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『言語が消滅する前に』でも中断は、あり

國分功一郎 + 千葉雅也『言語が消滅する前に』 幻冬社 2021年

通底する言語状況への眼差し、語られるのは政治、社会、文化、意識、思想、と幅広い。章立てを見ると硬い印象だが、対談なので歯切れよく読みやすい。おもに國分氏の抱える問題を、千葉氏が受けて整理しながら二人で深めていくという構図。國分氏からはハンナ・アレントからのヒントが諸所で提示されるので、アレントの著作を傍におきながら読むと面白みが増す。

意識の現れ方

新しい何かが意志としていきなりゼロから立ち上がる(非合理に)、というアレントの主張に対し、國分氏はそれ以前の文脈なり原因があるはず(合理主義的に)、と言う。さらには千葉氏の著書で語られている「切断」のこともあり、その責任を引き受ける覚悟はあるのかと問う。千葉氏はこれを受けて、意志は無から生じうるし自分は無の問題を引き受けている、と吐露。
もしやそれは、プロセスにおける中断のようなものではないか?、プロセスAからプロセスBへと切り変わる、その中断のつみかさねが変化を生むのでは… そのような接地点を二人は見出す。

線から面へ、ひとつの考察

合理・非合理、時間・歴史、プロセスというと、線的な感じがする。私はそこへ面を加えたら、と思う。面、つまりは「場」である。
たとえば問題意識の共有も、個々が分離したままで交信しあっているのではなく、地続きである場を通じてやりとりされているのではないか。思いの共有を可能にしている場があるのなら、それを整えることで議論を深め、おたがいをより理解することも可能だろう。

エモティコン化する言語空間

本書で指摘されるのは、最近の傾向として、言葉が単なるコミュニケーションの道具になってしまっている点。絵文字で簡単にすます、スマートホンの予測変換で十分、それどころか、本来自分の深層に埋まっているべき言葉を軽々けいけいにSNSへ出力してしまう。
エモティコン(情動を表現するアイコン、絵文字など)が多用される背景に、自分で考える必要のないもの・直感的なものも方が好まれる傾向がある。言語を使うことは解釈や検討も要するが、そこをショートカットしてしまう。楽をして、何となく通じる・繋がるを得てしまう安易さが充満している、と危惧している。

ネガティブの重要さ

二人はまた、「キモい」「ぼっち」「心の闇」などのネガティブな言葉を掘り下げ、肯定的にとらえなおしていく。一方で、本書には「エビデンス主義」を「一方的な貧相な基準」と断じる小気味よさもある。
責任を回避したいという思いが働いて、人々はフラットな市民集団へとまとまっていく。しかし各人の無意識は排除されてしまう。(千葉氏は特にイノセントな無意識のありようを重視しているようだ。無意識の概念も、フロイト・ユングの言う無意識とは少し違う気がする。)市民性の2つの面を考察し、大事なのは個々が個々でいられることでは…という投げかけがされる。
最後には、否定性とともに生きていこう、という積極的肯定にまで論を広げる。勉強は苦しいもの、生きていくのも苦しいこと。苦しみをも良しとし、受け入れ、その上で進むこと… 人間らしさ、たくましさへの信頼がある。「おたがいさま」を柔軟に生きる、というような。だからこそ孤独も、生き生きと有意味なものであり続けることが可能なのだ。

個を見る、社会を見る

二人の対談は社会的な表層をなめつつも、裏では人々の関係性と、個、そして孤独について探りあっている。それは新実存主義のような哲学が表出してきた、今日的状況そのものでもあるのだろう。
何よりも本書は、日常的に若者たちが抱くネガティブな感情、とりわけ自己評価の低さにつながるレッテルを再評価し、その大切さを示してくれる心強い良書でもある。一読をお薦めしたい。

(追記:2023.9.23.)

本書を読んで、ハンナ・アーレントの「孤独と寂しさの違いについて」(國分氏の発言、p93)に興味を持った方も多いと思う。引用元の『全体主義の起源 3』から、孤独についての考察をしたのでよろしければお読みください。https://note.com/sama_box/n/n237b05b8bd43


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