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帰るところはドコ

5月24日父が亡くなりました。



死因・病状


父は91歳で息を引き取った
数年前から認知症が進んでいた
てんかんの発作を起こすことも何度かあった
今年5月になり高熱を出して往診の医師に診てもらう
数日高熱が続き 点滴を繰り返した
少し様態がよくなることもあった
自分でトイレに行ったり食事の卓につくこともできたが
22日午後6時に痙攣を起こす
23日午前2時再び痙攣を起こし救急車で病院に運んだ
CTやレントゲンを受ける
救急の医師の診断では
発作を止めるには強い薬を打つことになるが
心臓が止まるかもしれない
痴呆が進んで脳の萎縮・損傷がある
肺に水が溜まっている
いつ息が止まってもおかしくない状態
という宣告を受ける
母や家族と相談し自宅に帰ることになった
父は点滴のまま寝たきり状態、意識もないので
民間救急車を手配した
自宅に帰り大きなイビキをかいているが意識はない
5月24日午前6時25分息をしていないことに姉が気づく
往診の医師に連絡をして午前6時52分死亡が確認された
老衰という事だろうか

思い出


父には散々迷惑をかけた
私が高校生の時無免許運転で事故を起こした
助手席にいた友人は大けがをした
その時の車の補償や友人の入院医療費は誰が払ったのか
かなり大きな金額になっただろう
父にその時の事を聞くことができないまま逝ってしまった
小さい頃の楽しい思い出は憶えていない
貧しい家庭だった
いつも忙しくしていたのだろう
一緒に遊んだのはプールに行ったことしか思い出せない
私が社会人になってからは職を転々とし心配をかけた
何度も喧嘩した
7年ほど前には取っ組み合いの喧嘩になった
ある朝
父は私の持っていたカバンを取り上げた
私は父を引き倒し上から押さえつけて罵倒した
私の態度が気に入らない父は
不満、苛立ちが募っていたのだろう
乗ることができないのに勝手に車の注文をしてきたり
無駄な買い物をするようになりお金を取り上げていた
私も父を嫌っていた
ここ数年は足腰が衰え歩くこともおぼつかない
手を引いてトイレに連れていくことがたびたびあった
手を繋いで一緒に歩く
親孝行は何もしたことがなかった
せめて手を繋ぐことくらいはできる限りやってあげたい
そんな思いだった

死んだときには

  「私のお墓の前で
   泣かないでください
   そこに私はいません
   眠ってなんかいません・・・・」

【千の風になって 秋川雅史】さんの歌が流行した
父がぼけ始めたころから死を覚悟していた
Amazonで棺桶と骨壺、死装束を購入してその時を待った
葬式をあげない、骨を拾わないつもりだった
宗教の儀式に何の意味があるのか
「魂は永遠です」というがそれにはなんの説得力もない
骨を拾いお墓に閉じ込める
戒名や49日の法要は私にはまったく理解できない
私は魂が永遠を確信している
人は死んだあと肉体とともに時間と距離を奪われる
無限に広がる空間、時間のない永遠の宇宙に漂う
肉体を失った後、思いの世界に生きていく
記憶がよみがえり悲しい思い苦しい思いが
肉体のない心に重くのしかかる
どんどんと辛く冷たく固まっていく
それを確信しているのは私だけだ
家族は葬式をして骨を拾った
私は文句を言うこともなく葬式に参加した
父の魂は永遠だ
無限で永遠の宇宙で生きている
明るく楽しい思いを届けてあげたい
父を偲び暗く冷たく固まることのないように
思いを送る
葬式は家族葬 喪主は兄が務めた
父の兄弟は8人で1人は他界している
母と私の兄弟姉妹も含め20人ほどが参列した
葬儀屋に払ったのは18万円ほどだった

私の帰るところは


私の死後
私は無限に広がる永遠の宇宙に帰っていく
葬式もお骨も墓も必要ない
無限に広がる永遠の宇宙を思うと嬉しくて仕方ない
母なる宇宙
そんな言葉がぴったりとくる
私の帰る場所は「母なる宇宙」だ
そこから来てそこに帰る
コロナ以降家族葬、密葬がぐっと増えたそうだが
直葬はまだまだ少ない
 直葬とは一般的な葬儀と異なり通夜式や告別式は行わない、亡くなった後遺体を安置してから出棺、火葬場へ移動して火葬を行うもの
私は直葬 骨も拾わない墓もいらない
無駄な葬儀にお金を使ってほしくない
僧侶、祭主祭官に払う金など一円も用意しない
ここに書いても遺言にはならないが残しておこう




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