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そるとが人生を考えてみた

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感受性が豊かで心身に不調を抱えてきたわたしが、人として生きることを考えてみた。
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#メンタルヘルス

"生きること"は目的? 手段?

労働でお金を稼ぎ、そのお金でご飯を買って、生きる。 労働は"生きること"に繋がっている。 そして、労働にたくさんの時間を使うわたしたちは、"生きること"に精一杯だ。 ずっと、なんとなく、"生きること"を目的にしていたような気がする。 "生きること"を安定させるために、多くの時間を労働に費やしてきた。 趣味を仕事にしているわけでもなく、多くの会社員がそうであるように、そこまで強い思いを仕事に抱いているわけではない。 わたしの時間(=命)の多くは、"生きること"のため

しあわせの回路を開発しよう

しあわせを感じるには、回路を開発する必要がある。 と、さっき、カウンセラーさんに聞いた。 楽しいことをあまり感じられない。 これが、わたしのコンプレックスのひとつ。 でも、冷静に思い返してみれば、"世間的に楽しいとされているモノ"を受け付けなかっただけで、"個人的に楽しいモノ"はないわけじゃなかった。 わたしは、外側の世界に心を閉ざして生きてきた。 だから、わたしが楽しいと思うものは、わたしの内側の世界のものしかなくって、「楽しい」と思える対象が少なかった。 ま

わたしが自由を手放して、取り戻すまで

わたしは庭を持っていた。 広い庭で、木々が植わり、草花が生い茂り、虫たちがいて、土の香りがする。 四季折々の様相を見せるのが楽しみだった。 * 母親がやって来た。 「雑草は汚いから抜きなさい」 「でも、活き活きとしてきれいだよ。それに、雑草っていう草はなくって……」 「言うことを聞かないと、ご飯をあげません」 子供のわたしは何も言えなくて、そのうちに植木屋さんがやってきて、一面の草花を抜いて、すべてゴミ袋に入れた。 茶色い土が見えて、虫たちはいなくなった。

わたしを厳しくジャッジしていたのは、わたしだけ

成果を上げなきゃ、認められない。 からだに鞭打ち、外の世界を凝視して生きてきた。 けれど、からだが動かなくなって。 どうしても成果を上げられなくなって、とても怯えて過ごしてた。 どんな言葉で罵倒されるのだろう、とか、 ご飯が食べられなくなる、とか、 存在を否定される、とか、 色々考えて、目の前が真っ暗になった。 でも、そのいずれも実現しなくって、 わたしは虚構の世界で生きてきたことを、思い知った。 ひとは、わたしのことにそこまで興味ないし、 わたしを厳し

人生の高跳びをとんだり、あえてとばなかったり

わたしに、ぎりぎりの高さでバーを置いてくるのは、だれなんだろう? いつもいつも絶妙な高さだ。 人生の大半、何十年も、とびこせなかったバーがあるのだけれど、 最近、それをとびこすことができるようになった。気がする。 * 他の人が、人生を楽しんでいるとき。 わたしは、ただひたすら、バーのことを考えていた。 わたしの世界はわたしだけのもので、他の人と比較できないから、何も言えないけれど、 わたしは、あまり人生を楽しむことをせず、ひたすらバーのことばかり考えていた。よ

弱いまま堂々と生きる。

わたしは弱い。 生まれつきの感受性の高さが、世の中に合わず。 こころとからだをすり減らし、弱くなってしまった。 こころとからだの不調を"アクセサリー"として持ったり、 「生きづらい」なんて言っちゃったり、 「発達障害」かと疑ったり、 「繊細さん」だなんて名乗ったり。 人間は人の性質をなんだって"勝手に"定義するし、正直、なんであろうが構わない。 あまりになんやかんや言われ続けたら、「うるせえ」ってなっちゃう。(口が悪い) さて。 わたしは弱くて構わない。

人生にはルートもゴールもない、ようだ。

ルートはひとつ決められていると思っていたけれど、それはわたしの思い込みだった。 みんなが通ろうとしている、昔に作られたルートはあるけれど、新しい道を見つけることもできる。 ゴールはいくつか決められていると思っていたけれど、それはわたしの思い込みだった。 生きている以上、道にいるのだ。どこにだって行けるし、寝転がって休んでも良い。 進みながら外の世界を見回す。 これが生きるということ。かな。 世間が作った「ゴール」は幻想。 道はいくらでも作り出せて、つまらない「ゴ

わたしとして生きる意味を。

わたしは否定された。矯正されそうになった。 仕事で「この方法は駄目だ」「変えなさい」と言われた。 「今のわたしのままでは駄目だ」と今まで築いてきた"わたし"を完全に否定して、根本から塗り替えようとした。 それが大きな間違いで。 手を付けた根本から、わたしは崩れ落ちた。 「"わたし"がこの仕事をする意味はあるのだろうか」と正常に感じていたけれど、その思いを踏みにじり、進みすぎた。 昔から否定されることはあった。 感情を否定し、"わたし"がもう分からなくなっていた。