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日誌(22/365 noteから離れて気づいたこと)

noteの作成からすっかり遠ざかっていた。
理由はいろいろあって、引っ越し、仕事、その他の予定などなど。。。挙げるとキリがないけれど最大の理由はカタチにこだわっていたことだと思う。
デスクに向かって、よし書くぞ!という気持ちを作って、noteを作成する。そんな日を待っていたが来なかった。書けるならカタチにはこだわらない、この記事はリビングでクッションに横たわり、リラックスして書いている。それでも書けている。とても楽しい。

noteを離れて気づいたことは他にもある。
私にとって書くことのハードルは低く、机に向かうことのハードルは高いということだ。机に向かって何かするというのは私にとって相当の抵抗があり、その先にある作業や書くことが遠ざかってしまう。反対に、机に向かうことを後回し、遠ざけることで別の場所で作業や書くことを開始できる。
これは勉強に似ている。
勉強は机に向かってするものという固定観念があると、机に向かわなければ勉強が始まらない。確かに、机に向かうことで集中できる、切り替えできることはあるかもしれない、一方でそもそも机に向かえなかったら集中の入り口にすら立つことができない。
つまり、やりたいことがあるなら、そこまでの距離は短くしておくことが肝要ということ。かたちは後からついてくるから、きっと大丈夫と思い込むマインドを持つこと、そんなことに気づいたという話でした。

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