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自分で創る自分ストーリー


「たくさんの方が自分の過去にとらわれて苦しんでいる」

でもね、、、
過去の思い出をどんなストーリーで残すかは

あなた、書く人の自由になってます。


私がマサチューセッツ州立大学の

大学院を卒業したのは3年前。

日本に関する修士論文を書かなくてはいけないプログラムでした。

選んだトピックは日本人の集団記憶について。


集団記憶は社会の思い出

社会全体でシェアされている思い出(記憶)です。

その思い出が忘れられないように銅像や

モニュメントとして公共の場に設置されます。

上野には西郷隆盛公がいるのも

現代に彼の功績を忘れないように、、、というもの。

戦争の傷跡を忘れないように碑が建てられたり

博物館が建てられたり。。。

それは集団記憶の一つの形です。


記憶は人の頭の中にあります。

目に見えません。

だから碑を建てたり、文章に書いたり

物語を作ったりして、形にして可視化し

現代、そして未来へ残します。

その時

過去の思い出をどんなストーリーで残すかは

現代人、書く人の自由になってます。


こんな思い出の形がとても興味深いと

思って修士論文を書きました。

誰でも家族の思い出、学校生活の思い出や

友達との思い出があります。

その中で

いつも楽しい思い出ばかりではなかったはず。


失敗したり、恥をかいたり、

馬鹿にされたり、からかわれたり、

消してしまいたい思い出もありますよね。


私は以前結構マイナス思考だったので

過去の失敗、恥、馬鹿にされたことなどを忘れることができずにいました。


まるで

過去に囚われて、過去に生きているような感じでした。

ちょっと心が落ち込むことがあると

過去の思い出がよみがえり

怖さ、不安、焦燥感に駆られて

何かに追い立てられているような気分。。。

常に

「あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ」って

意味もなく不安でした。


しかし、記憶について学び

「思い出は書き換えられる」ことを知りました。
自分なりの気づきがありました。

過去の思い出をどんなストーリーで書くかは

自分次第

「今」の私の自由です。


ここがターニング・ポイントでした。

思い出を残すのは「今」の自分。

思い出というストーリーを描くのは

現在の自分なんですから

無理やりに過去のつらかった時の

自分を登場させなくてもいいんです。

自分次第で

失敗したなぁと思うことでも

笑い話に変えることもできるし

それをシェアして他の人の勇気になったりもする。

思い出を

どんなナレティブでストーリーを書くか自由

思い出したくないことは

思い出さなくていい。

自分にそう宣言する。

この点に気づいて

なんとなく心が軽くなりました。


過去の事実は変わらないがどう思い出すかは変えられる。

好きなナレティブに変えられる。

もし過去にとらわれて悩んでいたら

わざわざつらいナレティブにするのは止めよ!って

宣言してみてください。

つらい思い出を引きずってるということは

今に生きることを拒否しています。

過去に生きていること。

自分の人生は自分で決められるので

楽しくらく〜に暮らしましょう。


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コーチングサロン 如意

アメリカ、アラバマ州

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