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2021.8.3 教科書が教えないロシア革命の真実

ロシア革命に潜む謎

もし皆さんが、ロシア革命について、
「ロシア革命は、ロシアの民衆が立ち上がった革命」
と思っているのであれば、これから読まれる内容はかなり衝撃的で、今までの歴史観を大きく覆すかもしれません。

そもそもロシア革命には多くの謎があります。
例えば・・・

・なぜレーニンは、社会主義建設のため国内で400万人の命を奪い、スターリンは1260万人の命を奪ったのでしょうか?
ロシア国民のために起きた革命であれば、なぜ一般市民を殺害する必要があったのでしょうか?

・なぜプーチン大統領は、2013年1月にメディアに対してこのような事を言っていたのでしょうか?
「ソ連の最初の政府の80~85%はユダヤ人、誤った共産主義思想が崩壊したことに感謝したい」

・なぜ少数の政党が、ロシア革命という大きな出来事を起こす事ができたのでしょうか?
ロシア革命時には、お金も人も少ない左派集団だったのに、どこからお金や人が集まったのでしょうか?

など、いろいろと不自然な謎が多く、未だに真実が明かされていない謎の革命でもあります。

このロシア革命には、今も通じる大きな意味が隠されており、その真実についてこれから詳しく書いていこうと思います。

これを読み終わる頃には、ロシア革命から今の21世紀に通じる謎が全て解き明かされていきます。
是非最後までお付き合いください。

1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を構成した。

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このストルイピンという人物は、民族主義者・国家主義者であったため、彼は、『強いロシアを作ろう』というスローガンを掲げて、ロシア人によるロシア人のための政治・経済活動を進めていった。

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ただ、その当時ロシアは、ポーランドの領土の一部を自国にした際に、領土と共にポーランドに住んでいた少数のユダヤ人を取り込んでしまっていた。

後々、彼らがこのロシアに多大な影響を及ぼすことになるとは、その時は誰も思っていなかった…。

その当時のロシアは、
・日露戦争の敗北で農村も都市圏もボロボロ
・第一次ロシア革命が起こり、国民による帝政への不信

など、経済状況もボロボロな上、政府と国民の間に溝が深まる状況で絶望的だった…。

そんなロシアを何とかして救おうと新首相であるストルイピンは、農業改革を主軸に、言論・出版・結社・集会の自由の拡大、地方裁判所改革、県などの地方自治体の再編を含む地方自治の近代化、中央政府の行政機構改革、都市労働者の生活改善といった国民のための政治を実行し、自国を強化し国を強くしていった。

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その結果、ロシア経済はV字回復を見せ、かなり強くなっていた。
もちろん貧富の差はあったが、1905年の日露戦争後のロシア経済と比べると明らかに好転していた。

ストルイピンの執権の下で、経済は再び好況を迎え経済発展したが、この改革路線を妨害しまくる動きが発生した。
そして残念なことに、1911年9月、ストルイピンは暗殺されてしまった。

ストルイピンがキエフに行った際に、劇場でオペラを観ていた時のことである。

彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。
彼はストルイピンの席近くへやって来ると、ロシア皇帝ニコライ2世の面前でピストルを2発、ストルイピン目がけて撃ったのである。

ストルイピンが亡くなったことによって、ロシア人によるロシア人のための改革も終わってしまった。

そこから、このロシアを何としてでも解体し、新しい思想を持つ国家にしたいと願う、ある組織が動き出すのであった…。

『ロシア革命』とソ連共産党の誕生

ストルイピンが暗殺されると、ある革命の準備に入った。

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1917年11月7日の『ロシア革命』(別名:10月革命)である。

第一次世界大戦が始まって以来、ロシア帝国軍は負け続き。
物流ルートが寸断されてしまい、都市に十分な食料や燃料が届かなくなっていたのだ。

これに対し、皇帝や政府は適切な対策を取ることができず、「戦争反対」の声も高まっていった。

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そんな中、1917年4月に、左派の一派を率いるレーニンが、
「労働者と兵士の代表であるソヴィエトこそが、革命を遂行できるただ一つの政府だ。なぜならば、人々の思いに基づいて作られた権力組織だからだ」
「臨時政府は資本家の集まりであって、人々の意見は全く反映されていない」
「ソヴィエトを中心に、革命をさらに進めよう!全ての権力をソヴィエトに」
と声明を発表。

同年9月には、レーニンの勢力は全ロシアに拡大。
満を持したレーニンは、11月7日に武装蜂起を決行。
臨時政府を倒して国家権力を握った。

翌11月8日、レーニンらは全ロシア=ソヴィエト会議を招集し、
「我々がロシアの新政権だ」
と宣言。

1918年3月、ロシア革命で独裁的な力を手に入れた左派政党は、党名を共産党(ロシア共産党)に変更した。

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ロシアにおいては、共産党以外の認められない一党独裁となり、さらに1922年には、ソ連邦が成立してからはソ連共産党と称するようになる。

そして言うまでもなく、彼らの思想はマルクス主義。
つまり共産主義である。

ただ、ここで幾つかの疑問が残る。

レーニンの勢力は、政党の中では少数派であった。
革命を起こすほどの資金や人、力は無かった。
実際、1917年にロシア革命が始まった当初、レーニンはスイスに亡命しており、国内活動家は手薄であったため革命の主導権は取れていなかった。

では、なぜそんな状況から、ロシア革命を起こすことができたのか?

ロシア革命の前に、70人のユダヤ人左派グループがニューヨークからやって来ていた。

そして、スイスに亡命していたレーニンのグループがロシアに入った。
このグループもまた、ほとんどがユダヤ人左派だった。
ちなみに、レーニンは母方の祖父がユダヤ人で、レーニン自身はクォーターのユダヤ人でもあった。

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そして、ロシア革命で金銭的に大規模な支援をしたのは、ユダヤ人左派のヤコブシフ。
彼は、レーニンの政党に、ロシア革命の資金として約2000万ドルを拠出した。
そのことは、1949年2月3日のニューヨークアメリカンジャーナル紙でヤコブシフの孫が証言している。
また1918年から1922年にかけて、レーニンは6億ルーブル(約9億円)以上に相当するお金をヤコブシフの会社に返済のために送ったという。

そして、そのバックアップもあり、ロシア革命を成功させたレーニン。
その後、彼はソ連の新政権にユダヤ人約150人を参加させた。
そして、政府のトップクラスの人々は全てユダヤ人であった。

ソ連政府の各委員会におけるユダヤ人の数およびパーセンテージは、政府の中心の人民委員会総数23人のうち17人、77%がユダヤ人である。
また、軍事委員会も76%、外務委員会、財務委員会が80%、司法委員会に至っては95%であり、裁判がこの委員会の下で行われたとすると、ユダヤ人に処刑されたという印象が生まれたとしても不思議ではない。
政権内部のロシア人は2~5%と極めて少なかったのである。

そして、プーチン大統領は、2013年1月にメディアに対してこのように語っていた。
「ソ連の最初の政府の80~85%はユダヤ人、誤った共産主義思想が崩壊したことに感謝したい」

また、1997年11月6日、モスクワ放送は
「10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の1987年の間に6200万人が殺害され、うち4000万人が強制収容所で死んだ。レーニンは、社会主義建設のため国内で400万人の命を奪い、スターリンは1260万人の命を奪った」
と放送している。

そのほとんどがロシア国民である。
また、ロシア革命直後の2年間で、銃殺などで処刑されたロシア国民は100万人といわれる。
その対象は王朝、貴族政治家、軍人、官僚、地主、資本家など旧支配層が中心だった。
それだけではない。

レーニンは論文で
「ロシアの土地からあらゆる害虫、寄生虫を駆除せよ」
と命令している。

つまり、ロシア革命はユダヤ人左派によって、ロシアを奪うために実行した革命であった。
彼らはロシア革命を利用して資金を得て、ロシア国民を支配し、奴隷のように扱い大量虐殺をする…。
彼らにとってソ連という国は、彼らの理想とする独占的支配、つまり共産主義支配の壮大な実験場であった…。

ロシア革命ではなく、『ユダヤ革命』

ロシア革命について、もちろん私たちは歴史の教科書で学んだわけですが、残念ながら真実は隠されていました。

そもそもロシア革命という名称自体が誤解を招く元です。
「ロシア革命はロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆させた革命」
では決してありません。

ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人左派が、ロンドンシティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。

その意味で、ロシア革命ではなく『ユダヤ革命』と言うのが正しいのです。

イギリスの高名な知識人であるヒレア・ベロックは『The Jews』の中で、ロシア革命は
「ジュイッシュ(ユダヤ)・レボリューション」
であると明言しています。

当時のイギリスやヨーロッパ諸国では、ロシア革命がユダヤ革命であったことは常識でした。
しかし、我が国では現在に至ってもロシア革命の真相が教えられていません。
ロシア革命で成立したソ連邦が、1991年に解体されたにもかかわらずです。

世界は理論によって動いているわけではありません。
革命というのは
「革命を起こそう」
という意思があり、その実現のために必要な資金や人材を支援する人がいることで起こります。

ロシア革命の場合、
「ユダヤ人を解放しよう」
という意思があり、ユダヤ系銀行家、ユダヤ系財閥が支援したことで起こりました。
もしロシア革命が、ロシア人がロシア皇帝に反発して起こした革命であれば、皇帝の犠牲者であったはずの民衆が、権力を握った途端に圧政者となって、他の民衆に対して血の粛清をしたことの説明がつきません。
少なく見積もっても数百万、多ければ1000万人を超えるロシア人民衆が粛清で殺されています。

私たちが学校で習うような
「革命は民衆の勝利」
というような単純な理解をしていると、歴史の真相は見えてきません。

もしドイツ人がこの事実を受け取ったとすれば、彼らのユダヤ人に対する恐怖と憎悪の念が生まれないはずはありません。

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ヒトラーが『我が闘争』で
<ユダヤ人は全国民の皮を剥ぎ、搾取しながら国民の怨みをプロシア人に向けて煽った。此の宣伝は戦線では判っていたが、後方には影響はなかった。……プロシアとバイエルンが互いに口汚く論争し合っている間にユダヤ人は革命を仕組み、プロシアとバイエルンと双方共に骨抜きにしてしまった>
と書いている。

もし、ロシア革命だけでなく、ドイツ革命をユダヤ人が狙っていたとしたら、世界の歴史は大きく変わってきますし、歴史の見方、世界の見方も大きく変わります。

21世紀になっても世界が混乱状況にあるのは、ロシア革命の真相が理解されていないからです。
革命と戦争の世紀であった20世紀を総括する上で、ロシア革命の真相を解明することは必須なのです。

私たちが克服しなければならないのは、共産主義は労働者を開放する人道主義思想であるという間違った思い込みです。

東西冷戦時代に育った私のような世代は、共産主義は歴史の必然であり、正義の思想であると左翼知識人などから洗脳されてきました。

しかし、共産主義の真相は労働者の思想でもなく、歴史の必然でもなく、正義のイデオロギーでもありませんでした。

共産主義とは、国の資源と物言わぬ大衆を効率よく搾取する一握りのエリート支配層のための思想なのです。
であるからこそ、共産主義国が少数のエリート独裁政治になるのは必然でした。

今の中国を見れば明らかです。
一般市民は管理され、奴隷のような扱いを受け、トップ1%の中国共産党幹部だけが潤い、得をするというような形です。

共産主義と言わずとも、今の日本でもそのような形になりつつあると思わないでしょうか?

自民党が好き勝手にやって、私たちの声など無視し、GoToキャンペーンでは、GoToキャンペーン受託団体が二階幹事長らに4200万円を献金し、彼らにじゃぶじゃぶとお金が流れていっています。

日本は資本主義、民主主義と言われていますが、日本も独裁のような形になりつつあるのです。

私たち国民の声は届かず、一部の権力者や力を持った政治家が好き勝手にやり、その犠牲になるのは私たち国民です。

ロシア革命の時には、何の罪もない人たちがたくさん犠牲となり、今ではその対象が中国に変わっただけです。

そして、その矛先は我が国日本にも向けられています。

そこには、やはり共産主義者やユダヤ左派、国際金融資本たちの思惑があり、彼らによる情報の統制や真実は伝えず、国民を愚民化させ奴隷のようにさせたいのです。

そのような歴史が、これまで何度も繰り返し行われてきたのですが、日本ではそのようなことは一切伝わりませんし、話に上がることもありません。
そのように真実が隠された状態では、目隠しされたままの状態で好き勝手にやられ放題のままです。
しかし、私たちは決してそのような状態のままでいるわけにはいかないのです。

今回は、
ロシアでなぜ革命が起きてしまったのか?
そして、それを操る黒幕の正体は何者なのか?
について書くと共に、共産主義という大衆を効率よく搾取し管理する一握りのエリート支配層のための思想を知って、真実を知り、正しい歴史観を身に付けてほしいという思いから記事にしてみました。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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