2022.5.15 万葉集からわかる日本のユニークさ
日本のように一つ所に、同じ領域に、同じ民族が住み続け、2000年以上もの歴史を積み重ねてきた国は他にありません。
ヨーロッパを見てみると、古くはケルト人が住んでいました。
カエサルの『ガリア戦記』 に見るように、そこにラテン民族のローマ人がやってきてケルト人を蹴散らします。
その頃、中央アジアや中央ヨーロッパでは、フン族の圧カに押し出される形で、ゲルマン民族が西へ移動していきます。
ゲルマン民族の様々な種族がヨーロッパ各地に定着し、それがヨーロッパの
様々な国の原型になったといわれています。
それだけでは終わりません。
13~14四世紀になると、モンゴル族が侵入してきます。
ヨーロッパは大きく動揺しました。
国境線が西に東に、南に北に移動しました。
これはアジア大陸でも同じことです。
中国の歴史は幾つもの王朝の交代の歴史でした。
そして、王朝と王朝との間には、ほとんど連続性がなく断絶しています。
秦王朝の兵馬俑の技術は、その後の中国の彫刻に何ら影響を与えていません。
それは、単に王朝の名称が変わっただけでなく、漢族から鮮卑族、モンゴル族、満州族へと支配的民族の交代でした。
そこには戦乱がありました。
他民族に侵略され、追われて移動し、故郷を失い、消滅し、あるいは新たな故郷を求めるということが繰り返されて、現在ある国が定まっていったのです。
世界の国々は全て、このような変化、断絶を経験しています。
しかし、日本だけは、そのような歴史がありません。
一度だけ、モンゴルが攻めてきたことがあります。
しかし、日本の国土には侵入できませんでした。
明治以後を『近代』と呼び、何もかもが変わったように言われます。
しかし、何が変わったのでしょう。
日本人という民族はそのままです。
また、日本はアメリカとの戦争に負けました。
しかし米軍は、天皇には関与せず、米軍としての本土上陸もしませんでした。
その結果、基本は変わらなかったのです。
日本民族は体然として、同じ領域に日本人として暮らしています。
そして、2000年以上も前から日本が変わらずに、ここにあることを示す何よりのものは、天皇がおられるということてす。
明治のいわゆる近代化の波も戦争も軍年的な敗北だけで、日本を変えることはなかったのです。
世界史では、近代が国家観を形成し、人々の国民意識を育て、国家が成立したと言われます。
しかし、日本は大陸から隔てられた島国という条件もあって、自然と一体になって、大八洲がそのまま国土として意識され、早くから巧まずして人々の国民意識を育てることになり、それが途絶えることなく今日まで続いています。
本質の変わらない連続性を示すものとして、例えば『万葉集』を挙げましょう。
それは、日本の神話が生まれたのと同じ時期から詠み継がれてきたものです。
あらゆる人々が、自然の中で農耕をしながら、旅をしながら、防人の困難さに耐えながら、あるいはいつに変わらぬ日常生活を営みながら歌に詠んだものです。
それを今の私たちが読んでも、何の違和感もありません。
そこに詠まれている感情、気持ちをそのまま私たちのものとして感じ取ることができます。
だから『万葉集』は、今も一般の人に広く読まれ、その歌が愛唱されているのです。
このようなことは、他の国にはありません。
日本固有のものです。
これは、日本では同じ体制、同じ言語、同じ文化が変わらずに連続しているからにほかなりません。
世界には、紀元前の高い文化を示すもの、神殿や劇場、闘技場や水道などが幾つもあります。
しかし、それらはすべて遺跡や廃墟です。
その文化は途絶えてしまって、今は生きていません。
日本は違います。
未だ仁徳天皇陵を拝んでいます。
1300年前に始まった伊勢神宮の20年毎の遷宮は今も営まれ、人々は神々しい気分を感じながら玉砂利を踏んで参拝しています。
1400年前の木造建築である法隆寺は、今もそのままに仏教の法要が営まれています。
それらは全て今も生きています。
日本が不易流行の国である現れです。
グローバリゼーションの風潮の中で、国家観を薄めるかのような動きが起こっていますが、その流れに押し流されてはなりません。
日本が不易流行の国、歴史大国であることを自覚し、その位置に立って私たち日本人の体験・思想を世界へ向けて、しっかり述べていくことが、日本人が世界と交わっていく道であることを知らなければなりません。
なぜなら、日本は一大文明の国なのですから。
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