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2022.8.14 明治天皇が命名…この神社はどこ?

毎年8月15日に繰り返される、靖國報道。
国内では、
「一部の閣僚が参拝した」
「参拝しなかった」
というニュースが世間を賑わせ、中国や韓国、アメリカからは、お決まりの
「断固たる反対」
「失望」
の嵐…。

こうした批判は、もはや風物詩のように繰り返されていますが、実は、つい最近始まったものだということをご存知でしたでしょうか?

歴史を遡ってみると、戦後しばらくこうした批判は一切なく、ある時期を境に、急激に批判されるようになったのです。

一体なぜ靖國が批判されるようになったのでしょうか?

そこには、祖先との繋がりを歪める“ある重大な事件”がありました…。

そもそも靖國神社とは、日本人にとって、どのような存在だったのでしょうか。

今回は、まもなく77年目の終戦記念日を迎えることもあり、靖國神社について皆さんに今一度、正しい認識を持って頂くために書き綴っていこうと思います。


靖國神社が創建されたのは、1869(明治2)年のこと。
この頃の日本は、江戸から明治という歴史的大改革の渦中にありました。

時代の変革には痛みが伴うもの…。
安政の大獄、戊辰戦争など、避けられない対立によって尊い命が多く失われました。

こうした痛みを乗り越え、新しい時代を迎えた時、国家のために一命を捧げられた人々の名を後世に伝えるべく、明治天皇の思し召しによって創建されたのが靖國神社だったのです。

この時代にも、日清・日露・大東亜戦争など、日本は数々の戦争を経験。
こうした国難から日本を守るべく命を捧げた人々は、『英霊』として靖國神社に祀られました。

戦争が終わってからは、英霊の功績を称えるため、戦後間もない1945(昭和20)年10月には、当時の幣原首相や昭和天皇が参拝。

1951(昭和26)年に吉田茂首相が参拝した際には、主要閣僚・衆参両院の議長・副議長も参拝し、この時の一般参拝者は35万人を数えたという記録も残っています。

このあとも、歴代首相たちはほぼ毎年、靖國神社に公式参拝を続け、また日本国民もそれが当たり前のことでした。

ちなみに、歴代首相の靖國神社参拝回数は、
吉田茂 5回
岸信介 2回
池田勇人 5回
佐藤栄作 11回
田中角栄 5回
鈴木善幸 9回

それなのに、一体なぜ毎年のように世界から“靖國バッシング”が起きるようになってしまったのでしょうか…?

時代の空気が一変したのは、戦後40年の節目となる1985(昭和60)年のこと。
突如として、朝日新聞などの左翼メディアが『反靖國』の大キャンペーンを展開したのです。

<いまなぜ公式参拝>
<民主主義の根幹の問題>
<思想攻撃明らか>
<軍事大国化への暴走>…。
連日、過激な見出しが新聞の一面に並びました。

中でも朝日新聞は最悪でした。
実は、この時期まで、中国や韓国、その他の諸外国から、靖國参拝に対して批判されたことは一度も無かったにもかかわらず、1985(昭和60)年8月7日付の新聞で、
<中国が厳しい視線で凝視している>
と完全に事実無根の記事を掲載。

そして、8月10日…。
こうした朝日新聞からのラブコールに呼応するように、今まで一度として靖國に反対してこなかった中国が激しく反発。

中国が騒ぎ出すと、朝日新聞も、この主張を報道するというキャッチボールを繰り返し、同年8月14日には、中国外務省が歴史上初めて公式に靖國参拝反対を声明。

こうして、ありもしない『靖國問題』がでっち上げられ、中国のみならず、韓国、北朝鮮、アメリカまでも、この問題を外交カードとして利用することに…。

この事件から40年近くが経とうとする今でも、靖國問題は良くなるどころか、むしろ悪化するばかり…。

靖国神社について正しく報道するマスコミはほぼ皆無で、8月になるとうじが湧くが如く、ひたすら批判の嵐…。

日本人から靖國神社についての正しい理解が奪われるだけでなく、先人たちが繋いできた日本人としての価値観、考え方までもが失われようとしているのです…。


今では中国や韓国から、
「被害国を傷つける」
などと靖國参拝は毎年批判されますが、そうした問題は戦後40年を迎えるまでは一切ありませんでした。

英霊を祀る場所として、日本人は靖國神社を大切に守ってきた歴史があり、少なくとも戦前・戦中・終戦直後の時代を生きた人々は、そうした認識があったのです。

しかし、段々と時代を経て、戦争の時代を生きた人々は減っていき、メディアでは夏の風物詩のように毎年、靖國神社をバッシング…。

NHKや朝日新聞、毎日新聞など、多くのメディアの集中砲火により、日本人の認識はどんどん変わってきてしまいました。

このままの状態では、靖國神社の伝統は失われてしまう…。

日本を守ろうと命を懸けた先祖の努力を踏みにじってしまうことになる…。

更に、日本の子供たちは、そんな国に対して愛国心を感じることは難しいかも知れません…。

しかし、まだ遅くはありません。
私たち一人ひとりが靖國神社について理解を深め、それを子供や孫、友人に伝えていく。

そうした積み重ねで、靖國神社の正しい認識を取り戻すことができれば、祖先に対して誇りを持つことができ、日本人としての自身が湧いてくる。

そして、誇りある日本人が一人でも増えていくことで、再び明るく勇気に満ちた日本を取り戻していける。

今回は、そのように信じて書き綴らせて頂きました。

最後までお読み頂きまして有り難うございました。

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