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2021.8.22 古代にもあった日本のユダヤ救出劇

応神天皇が繋いだ命…。

「この地もダメなのか…」わが民族が生きるか死ぬか…最後の望みは“太陽の昇る国の王”に託す…。

紀元後3世紀前半、朝鮮半島の王国新羅(しらぎ)に、ある民族がいた。

約200年前、彼らは戦争に負け定住の地を失った…。

当時、大陸の人間は異民族の彼らを侵入者として扱い、拒絶するばかり。

中央アジアから逃げるように東へ進んだ彼らは、ついに朝鮮半島まで辿り着く。
しかし、そこでも激しい迫害を受け、途方に暮れていた…。

追い込まれた彼らの首長である弓月王(ゆづきのおう)は、最後の望みを懸け、“ある人物”に向けて助けを求める手紙を送った。
その人物とは…、

我らが日本の第15代・応神天皇だった。
現存する日本最古の歴史書である日本書紀には、当時の様子が記されている。

<弓月君は民を率いて日本への帰化を望んでいたが、朝鮮の新羅によって妨害を受けていた。そこで応神天皇は朝鮮に精鋭部隊を派遣し、新羅を牽制。新羅の王は日本を恐れ、妨害の罪を認めた。これが功を奏し、弓月君の民は日本に渡来することができた。>

つまり、世界中で迫害を受けていた弓月王たちに、応神天皇だけが救いの手を差し伸べ日本に住まわせた。

彼らはそのまま日本に定着。
のちに秦氏(はたし)と呼ばれるようになる。
新羅とは違い、秦氏は日本で格別の待遇を受けた。

迫害や人種差別がないだけでなく、彼らは土地や政治的地位までも与えられていた。
当時、540万人だった日本の人口に対し、一説によると応神天皇が受け入れた民族は約2万人。

現代の日本で言えば、40万人もの移民を受け入れたのと同じこと…。

それでも、日本は突然やってきた異邦人の秦氏を手厚くもてなした。

夢にまで見た安住の地…。
それを応神天皇に与えてもらった秦氏は、その能力を存分に活かし、日本に貢献することに専念した。

その功績の1つが、“古墳”の建造である。
彼らの恩人である応神天皇。
そして次代の仁徳天皇の古墳は、国内最大級の『前方後円墳』として有名だが、灌漑など、それまで日本にはなかった高度な技術から、これらは秦氏が設計に関わったと言われている。
天皇に対する深い感謝と敬愛の念が込められた“贈り物”ということなのだろうか…。

さらに、彼らは政治や外交面でも日本に深く貢献。

例えば、中国からの遣いを断ち、対等の立場で振る舞った第21代・雄略天皇の時代。
天皇は秦氏を手厚くもてなし、養蚕業において彼らの技術を重用。

雄略天皇は中国の皇帝から、
「朝鮮半島を支配する倭の王」
と認められ、彼の治世からおよそ130年もの間、日本は中国への遣いを送らず、自立した国となっていた。

当時の中国は周辺国に貢物を贈らせるなど、東アジアにおいて絶対的な存在。
雄略天皇がその中国に対し、強気な姿勢で臨むことができたのは、世界中を渡り歩き、どの民族よりも大陸の情報を豊富に持つ秦氏が側近にいたためだと言われている。

文献だけでなく、文化遺産に遺る手がかりを読み解いていくと、徐々にベールに包まれたその正体が浮かび上がってくる…。

例えば、秦氏は、古墳以外にも日本各地に神社や寺院を数多く建立している。

その中で、彼らが日本で最初に作ったとされるのが、兵庫県赤穂市にある『大避(おおさけ)神社』。

この『大避神社』はかつて『大闢神社』と、今と異なる漢字の表記であった。
この『大闢』という言葉…、

実は、中国語ではユダヤの国イスラエル王国の君主“ダビデ”を意味する…。

つまり、彼らは自分たちが初めて作った神社を『ダビデ神社』と名付けたということだ。
果たして、これは偶然の一致なのだろうか?

さらに、秦氏の代表的な秦河勝(はた かわかつ)が建立した京都市にある広隆寺。

そこには、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語など『十善戒』と呼ばれる10の掟が掲げられている。
この10の掟、皆さんもどこかで聞いたことがないだろうか?

…そう、古代イスラエルの指導者だったモーセの十戒である。

同じく10項目であるばかりか、不思議なことに内容までもがそっくりなのだ。

さらにこれだけではなく、彼らの名前「秦氏」にもミステリーが潜んでいる。

この「秦」という字は、当時の中国において“外の人々”を意味したと言われている。

ここでは、万里の長城の“外”から来た民族を指しているのだろう。

そして、同時代に中国で『大秦』と呼ばれた国がある。

それが、ローマ帝国。

まさに同じ時期、当時のローマ皇帝によって国外追放され、世界中に散った民族こそユダヤ人だった。世界最大のミステリーと呼ばれる『失われた十部族』。
…実はその一部だったユダヤ人たちは、はるか昔に天皇とも深い繋がりを持ち日本に同化…。
私たちのルーツにも深く関わっていたのかもしれない…。

このように、日本書紀の記述を現代に残る遺跡などと照らし合わせて見ていくと、新たな古代史の真実が明らかになっていきます。

古事記や日本書紀といった過去の書物を現存する証拠と共に、丁寧に紐解いていくことで、歴史書だけでは知ることのできない古代日本の姿が浮かび上がってくるのです。

古代の日本人は西方から渡来したユダヤ人と手を取り合い、壮大な古墳や神社などの独自の文化を発展させていきました。
…しかし、ここで2つ疑問が残ります。

1つは、なぜ日本だけがユダヤ人を受け入れたのでしょうか?

ヨーロッパでも、アジアでも迫害を受け続けたユダヤ人を、日本だけが唯一温かく迎え入れました。

そしてもう1つは、なぜユダヤ人が日本に同化していったのでしょうか?

どの地域でも決して自分たちの信仰を捨てなかったユダヤ人ですが、なぜか日本ではあっさりと自身の信仰を放棄し、他の日本人に溶け込んでいきました。

西方から9000kmを渡り歩いたユダヤ人が、最後に選んだ日本という国は、他の世界の国々と比べて何が違ったのでしょうか。

これらの疑問を知るには、当時の日本人がどんな考え方や生き方をしていたのかを学ぶ必要があります。

そして、古代の日本人を知る手がかり…、それが『日本神話』です。

日本人のアイデンティティは日本神話の中に詰まっていて、これを学ぶことで日本人とは何なのか、私たちは何者なのかを真に理解することができるようになります。

例えば、先述した応神天皇が弓月王を救った日本書紀の記述ですが、これは日本神話の一節でもあります。

まるでフィクションのように思える神話も世界の歴史や文化、日本の遺跡などと結び付けることで、これまで謎に包まれてきた日本古代史の真実を教えてくれます。

人類学の世界的権威者のレヴィ・ストロース氏は
「世界の神話はほとんど歴史との連続性がない。しかし唯一、日本の神話だけは歴史と結び付いている。」
と言い残しています。

実は、史実としての歴史が神話の中にもしっかりと反映されていて、正しく神話を読み解くことが、実際の古代史を知ることに繋がります。

一体なぜ、ユダヤ人としか思えないような埴輪が、千葉県の古墳から出土するのか?

匂い、火傷、困るなど、なぜ3000語もの日本語が、ヘブライ語と共通した読み方や意味を持っているのか?

最新のDNAによると、日本人とユダヤ人の遺伝子は、親戚関係と呼べるほど類似。
中国・朝鮮人にはほとんど見られないアジアで珍しい遺伝子が、なぜ日本人に含まれているのか?

これらの謎も
「日本神話はフィクションではなく、歴史と結び付いている」
という観点から歴史を読むことで、はっきりと分かるようになります。

しかし、このような歴史の見方や神話の読み方は、これまで全くと言っていいほど伝えられてきませんでした。一体なぜでしょうか?

それは、そのような内容を語れる歴史家がいなかったからだと考えられます。

これまで述べたような考察をするためには、日本の歴史や神話に造詣が深いことはもちろん、世界中の文化や宗教・言語・神話など、あらゆる分野に精通している必要があります。

しかし、現代の日本のアカデミアに、このような広い視点で研究できる学者を生む環境はありません。

学問分野を細分化し、特定の分野だけを深く語れる専門家が輩出される構造になっているのです。

昨今の新型コロナに関しても、専門領域だけで解決できる問題など無いと言って良いと言えます。
専門は広い学問の入口に過ぎません。

文献資料がほとんど残っていない古代史は誤った歴史認識が溢れています。
しかし、そのような情報に惑わされないよう日本神話を丁寧に読み解くことで、古代日本の本当の姿を知ってほしい、先人が日本神話を通じて伝えたかったことを今の日本人に届けられればという思いで、今回は記事にしてみました。

最後までお読み頂き、有り難うございました。

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