見出し画像

2020.6.28 思考持久力を育てる古典教育⑦

「教育大国」に生まれた我々の責務

史実を辿っていけば、教育改革の方向も自ずと明らかとなります。

小中学生の間は従来型の学校教育で、基礎学力をつけさせつつ「思考の持久力」を鍛え、それを通じて学問をする喜びを体験させる。

高校、大学では、主体的・対話的で深い学びを増やしつつ、現実の世の中の問題を主体的に考えさせる。

ただ、問題はそれに必要な教師が得られるかどうかという事です。

松下村塾では、吉田松陰という無私の志に燃えた希有な人物がいたからこそ、優れた後進を鍛えることができました。

松陰が無きままに、主体的・対話的で深い学びという手法だけ真似をしても、「鵜の真似をする烏」に終わってしまうでしょう。

齋藤孝教授も
「現在の教員養成の場を知る者として、学習の場を質高く維持していく教師たちが、恒常的に確保できると楽観的にいうことはできない」
と語っています。

でも、教育とは学校だけで行われるものではありません。

家庭や職場、塾、社会人の勉強会や交流会など、志のある人はいろいろな場で『志の教育』に取り組んでいます。

日本は江戸時代から現在に至るまで、市井の多くの人々が様々な形で、次世代の人材育成に志してきた『教育大国』です。

教育行政がこれだけふらついても、国家の大本が維持できているのも、このお陰でしょう。

齋藤教授の提言などで、今後の教育行政が少しでも真っ当なものになることを祈りますが、私たち国民はそれに頼らず、
『一人ひとりがやれる事をやっていく』
というのが、この教育大国に生まれた私たちの祖先と子孫に対する責務です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?