2022.7.27 お稲荷さんと秦氏の繋がり
京都というと・・・、
壮大な自然の中に佇む松尾大社、
秦氏らしい雰囲気を醸し出す三角形の鳥居があり、蚕ノ社とも呼ばれている木嶋坐天照御魂神社、
上賀茂神社として有名な賀茂別雷神社、
そして、下鴨神社で有名な賀茂御祖神社など、たくさんの神社があります。
今回は、その中でも観光客が非常に多く人気のある『伏見稲荷大社』に、秦氏がどのように関わっていたのかを、少し書き綴っていこうと思います。
稲荷大社は、京都の代表的な神社で、近畿地方では初詣で最も多い参拝者を集め、全国に3万社以上ある神社です。
稲荷山の神は山の神として古くから信仰されてきましたが、総本山である伏見稲荷大社の創建には秦氏が大きく関わっています。
その理由としては、秦氏が社殿を建て、『伊奈利社』として祀ったからです。
奈良時代初期の『山城国風土記』は、なぜ「イナリ」と呼ぶのか、その由来を語っています。
既に秦忌寸など大勢の秦氏が京都にいましたが、その遠い祖先である秦伊呂具が稲作をして裕福な生活を送っていました。
ある日、伊呂具が米で作った餅を的として矢を射ったところ、その餅が白鳥に変わって飛び立ち、神社のある山に降りて稲が成長したため、『稲成』から『稲荷』という名が付いたと伝えられています。
これが、伏見稲荷大社の始まりであると『山城国風土記』には書かれています。
漢字の『稲荷』は、稲の魂を担っているという意味としてとることができます。
つまり、豊穣を表しています。
そのため、今では稲ばかりではなく、漁業や大漁祈願など、様々な糧、多くの利益を望む人々に祈られています。
ですから、会社の神棚には大体、稲荷神社が祀られています。
『山城国風土記』によると、『イナリ』の表記は元々『伊奈利』という字を当てていました。
この『伊奈利』は万葉仮名で、漢字ではありません。
万葉仮名で書くということは、
「これは外来の言葉である」
ということを示しているわけです。
外国の言葉を使うことで、わざと日本人ではなかったということを強調したとも考えられます。
イナリの語源が、秦氏の祖であるユダヤ人原始キリスト教徒であること、稲荷神社の鳥居が赤いのは、キリストの血の色だという解釈も中にはありますが、この時代、秦氏の一族は神社を使って日本人をキリスト教化しようという意図は持っていませんでした。
日本の思想の源流は、『縄文精神』と『やまとごころ』ですから、西洋のキリスト教が、そう簡単に入る余地はなかったのです。
『記紀』に書かれているような自然信仰、天皇家を中心とした社会に別の神を持ち込むのは不可能だということを、秦氏は早い時期に気付いたのでしょう。
そのため、秦氏は、逆にしっかりとした日本の思想体系の中に入り込み、それを強化するという非常に知恵の深い思慮で日本に定着していき、長い期間を経て現代の後裔の方々まで、その血が受け継がれてきたのです。
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