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固定観念が剥がれる瞬間を体験することは人生の宝である

生きている中で、
そして、これから生きていく中で

何が自分の人生であり続けてほしいかを考えた時、

ふとでてきた答えは
「固定観念が剥がれる瞬間を体験すること」
というものでした。

20代の時、
固定観念という言葉すら気にもとめることなく

「ああしなければ」
「こうして生きねば」

みたいな沢山の不要な思い込みをかかえて生きていた。

そこに気づいていなければ、
きっと、いや、絶対に今の自分はいなかった。

でもそうかといって
固定観念を持っていない人などいないんです。

人間は誰でもさまざな「観念」を持っている。

全く持っていないのは
きっと、生まれたばかりの赤ん坊くらいでしょうか。

まっさらな状態で生まれてから
環境や周りの人、さまざまな体験を通して

「〇〇は××」だといった具合に
無意識のうちに固定観念は作り上げられる。

そうして気づけば
箱庭の中で生きていて、それがあたかも真実のように見えるのだ。

この地球で生きているということは
陰と陽といった具合に、二元論が成り立っているから
ある意味、何かを思い込むことでしか生きることができないかもしれない。

自分が正しいと思っていることでも
誰かにとっては間違いだし、

自分が信じていることでも
信じていない人にとっては無いのも同然。

だから、自分がどういう観念を持っていて
それは本当に自分の人生に必要なのか見極めることはすごく大切だし

たとえ周りに「間違っている」と思われようとも
自分が本当に大切だと思う信念は持ち続ける強さも必要だ。

そしてもし、
自分が持っている「思い込み」「観念」に気づいて
それが、自分の人生に必要でなければ、手放すことだってできる。

だからこそ、

自分が持っている「思い込み」「観念」に気づく
「固定観念が剥がれる体験」は、
人生を振り返っても、とても貴重だったと本気で思う。

なぜなら、思い込みというのは
無意識領域にあるから「思い込み」というのであって
自分では、なかなか気づくことができないから。

ただ、自分と向き合って考えて見つけられるような簡単なものではなく、
自分の現実や、体験を通して気づけることがほとんど。

特に、自分とは全く違う価値観を持っていたり
全く違う観念を持っていたりする人と触れ合うのは、難しくなく本当に貴重な体験。

こうやって文章にするとありきたりなってしまうのだけれど
「価値観が頭の中でガタガタと崩れていく瞬間」は
地味であるけど、とてもパワフルな体験になる。

その瞬間からはもう、
その前に自分には戻ることができない。

つまり、自分の持っている固定観念に気づき、自分に必要ないとわかったその瞬間から、自分の人生をいかようにも変えることができる。

だって、気づいたということは、
もうすでに箱庭から出ているし
そこからは、自分が手放すか決めたらいい。

こういう瞬間って、ほんとうに日常のほんの小さな瞬間だったりするから
すごく地味で、人はあまり気にもとめてなかったりするけど、

人生の分岐点と言っても過言ではないんです。

自分を知るということは
とてつもなく長い旅路で

いまだに

「あ!こんなこと思い込んでいたのか!」

と、びっくりすることがある。
気づくと意識が広がって気分がよい。

少し余談にもなりますが、

「私がモロッコの現地ツアーを人に届けたい。」
と思った理由も、実はここにある。

今日、先月ツアーを終えた学生さんにインタビューをさせてもらった中で
も印象に残ったのは、

「モロッコにいた時と帰ってきた後の思考回路が違うことに気がついた。モロッコでは素直に自由な発想が生まれた。」

「モロッコは何もかもが違ったので、日本では絶対に経験ができなかったり感じられなかったりするものがあると思う。」

という言葉でした。

不思議なもので、モロッコの地場には
景色だけでも意識が開く感覚があるし、

現地の人との何気ない交流で
価値観が根底から覆されることもある。

それを少しでも感じてもらえたと知れてとても嬉しかった。

固定観念が剥がれる瞬間を体験することは人生の宝である


だからこそ、

私自身、この先の人生を通して
そういった体験を提供したり
自分自身がそのきっかけになったりする存在であり続けたい。

そう改めて決意した日。


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