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ポジティブな人間はいない。ポジティブ変換が上手なだけ。

最近、ちょっと自分的にすごく衝撃な気づきがありました。

それは、

ポジティブな人間はいない

という事実。

なんで衝撃だったかというと、
私自身、自分のことポジティブな人だ(と思っていた)から。笑

実際、楽観的だし、細かいことは気にしないし
幼少期のころはかなりのオテンバで明るい子どもだったし
周りからも「陽」だと言われていて、
自分でもポジティブな人だという認識があった。

でも、世の中の理(コトワリ)を理解した時、

この世界の万物、全てのことがらが
隠と陽の両側面がないと存在できないと知った時、

ポジティブな人間がいるのではなく
すべてのことに対して
陽の側面を見るのが上手な人がいるだけなんだと気づいてしまった。

つまり、
一見ネガティブなことでも
ポジティブに変換するのが上手なんです。

ということは、ですよ?

もちろん
ネガティブな人間だって存在しません。

今、自分がネガティブで悩んでいる人がいたら朗報ですね。ね?笑

あなたは、ネガティブな側面を見るのが上手なだけで、
なんならポジティブなこともネガティブに変換するのが得意なのでしょう。

実際、どんなにポジティブに見える人がいたとて、
その人の人生にポジティブがことしか起こっていないわけではないし
(すべて変換してたら、本人はポジティブなことしかないと思うでしょうけど。笑)

なんなら結構、波瀾万丈だったりする。

大切なことって

ポジティブな側面を見る自分
ネガティブな側面を見る自分

を想像したとき
どんな体感覚がするのか。

つまり、
どっちが心地よさを感じるかだと思うんですね。

そりゃ、
「ポジティブな側面を見る自分」でしょ!

と思うかもしれませんが、
本当にそうでしょうか?

普通にいるんですよ。
「ネガティブな側面を見る自分がなんか良いな」
って思う人。

そっちのが心地よいというか
刹那を感じられるとか、
落ち着くとか、なんだとか。

私の友人にもいるんです。
とにかく’’闇’’を見つけるのが好きな人。

むしろ、どうしてもそっちを見ちゃうんですって。

その友人がネガティブな人間なんじゃなくて
「ネガティブを見ることにもはや心地良さを感じている人。」
という感じ。

そういえば、
ずいぶん昔に、たまたまテレビで
ヨシタケシンスケさんという絵本作家の方が出ていて
そのインタビューで印象に残ったことがあったな。

彼の絵本の内容って結構
ネガティブなことを面白おかしく書いていて
その点が人気みたいなんですね。

その時、聞いたことがなんか印象に残ってて、

それが何かというと、

「自分はすごくネガティブで、日々のどうでもいいことに、いちいち落ち込んじゃうから、それを面白がりたくて、それを絵本にしている。」

みたいなことを言ってたんです。

ようするに、
「どうしても自分はネガティブな側面を見ちゃう」
ということをもはや受け入れて武器にしているんですよね。

ネガティブ好きなポジティブ変換上手とでも命名しましょうか。笑

たぶん、彼はネガティブな側面を見ることに
もはや心地よささえ感じているのだと思うんですよね。

だから、もし
「ネガティブな自分が嫌だな、心地悪いな」
と思うのであれば

「自分はなんでネガティブなんだろう…」
と落ち込むのではなくて、

それは自分の真実じゃないから
ポジティブな側面をもっと見つけてみよう!
と思えばいいだけなんです。

ポジティブな側面を見る自分を想像したら
どんな体感覚がするでしょうか?

なんか良い!!
って感じがしたら、
それが本来のあなたです。

感情はいつだってナビなんです。

心地悪いなら、良い気持ちがしないなら
「それは本来の自分ではない」
と教えてくれているだけ。

だったら変えていけばいい。
だって絶対に変えられるから。

それで、
自分のことをポジティブだと思っていた私が
何を考えたかというと、

実はポジティブな人こそ、
ネガティブな感情を感じるのが不得意で
無意識にフタしているんじゃないかということ。

そう、
わたし自分でいうのも何なんですけど
ポジティブ変換がすっごい上手なんですよ。

だから、
なんか嫌だなーーってことがあっても
すぐ切り替えられるし
けっこうダメージ大きくても
寝たら忘れるみたいな…

まぁ結構なポジティブ野郎なんですわ。

それで、ふと

感情は感じ切らないと残る

って何かで見て

「なるほど!!」

って思ったことを思い出したんです。

それは

ポジティブな感情って
その時、一瞬にして感じ切るから
あまり続かなくて

逆に
ネガティブな感情は
切り替えたり
忘れようとして感じ切ろうとしないから
モヤモヤと引きずるし残る

ということ。

そして
感情って時間がたって感じなくなっても
身体の細胞が覚えている

ということ。

そしたらですよ?

ポジティブ変換が上手な
いわゆるポジティブな人って
その瞬間は忘れているし、切り替えられているけど

その分
身体の細胞に蓄積されてるのかもしれない。
(それが本当なら、オ、オソロシイ!)

しかもですよ?

身体は感じ切りたいから
現実で起きる現象をつかって
その感情を感じ切るようなことを起こすとまで言われています。
(ちょっと信じがたく感じる人はごめんなさい。)

つまり、自分の身体に

「恐れ」や「不安」
「悲しみ」や「寂しさ」

これから貯まっていたとして、

日常で起きる
ネガティブに感じる感情を
その都度切り替えていたら

こういった

「恐れ」や「不安」
「悲しみ」や「寂しさ」

を引き起こすような現実が
繰り返し創られるということです。

それは、

人間関係として現れるかもしれないし
お金などの物質に対して現れるかもしれないし
さまざまですが。

そう思った時
すぐに、ひとつ心当たりがあるなと思ったことがありました。

それは、ずっと
「人の要望に応える」
という現実から、
「要望にこんなに応えたのに、ちゃんと見てくれない」
という悲しさのループでした。

何か依頼を受けて全力で対応した時
相手はすごく喜んでいるのに
思ったより一部分しか見てくれてなかったり

要望に応えようとしずぎたばかり
全然自分が役に立ってないな
と思うような出来事があったり

出せば切りがないですが、
「要望にこたえていないと、受け入れてもらえない」
といった寂しさが、心の奥に眠っていたんですよね。

もうこのループ嫌だなって思ったので
ちゃんと自分で、その感情を感じることにしました。

どんな人だって
ネガティブな感情を留めておくのって嫌ですよね。

そこにとどまるのって
苦しいし、悲しいし、
とっても辛い。

でも、感じ切らないと
もしかしたら、
この先また同じようにその感情を起きる出来事が起こるかもしれません。

(わたしは、実際そうだと思ってます。)

面白いことに、感じ切ってしまえば
同じような出来事が起きても
もはや、同じ感情はでてきません。

だから、私は

ポジティブな側面を見るのが上手かつ
ネガティブ感情を感じ切るのが上手な人間になろうと
そう決めて過ごしてみると

自分の中に眠っていた
エネルギーがうわぁって溢れてきました。

面白いですよ、これ。

ポジティブ変換が上手な人も
ネガティブ変換が上手な人も

ネガティブ感情を感じるのが上手な人間になりましょう!

なんならポジティブな感情も
もっともっと味わって感じ切って生きていけたら最高ですね(^^)

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