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今年の桜は可哀想

前回初めて書いたnoteは、私が危機的状況に押し迫られて書いたものでした。結局未だロックダウンは起きず、それを言い始めた当人、小池百合子東京都知事は、都市封鎖などは行いません、とあの時私を脅かしたようなトーンを抑えています。彼女のあの言葉に怯えて、ロックダウンに関する記事を書きましたが、それによって自分の友人、知人も不安の渦に巻き込んでしまいました。
それに関しては、自分も反省すべき点もあったと思います。ごめんなさい。しかし、あの小池百合子氏の発言により、色々な人が不安に貶められた事を思えば、あのロックダウンの記事は残しておきます。

「分からない」という事を「分かる」

さて、日本でも一向に収束の兆しの見えない新型コロナウィルス、COVID-19です。何処まで行けば終わりなのかも分かる人は誰もいません。
人々は、ただ、見えないものを恐れ、これが予防に効果があるらしい、とか、はたまたは、恐れのメカニズムを図式化し、こうすれば前向きに生きれるよ、と、人々の不安に溢れた心の隙間に入ってくるような情報がインターネットの中を駆け巡っています。

でも、そもそも誰もそのウイルスがどこから来て、何をすればそのウイルスに懸からないのか、分かりません。

テレビやインターネットでは様々な情報が飛び交います。

手洗いをする→これは毎日やっている
人混みを避ける→これも出来る
人との距離を取る→これも出来る

でも、

マスクをする→マスクそのものがない
アルコール消毒をする→これも手に入らない

ここで、プチパニックです。

でも、そもそも新型コロナ・ウィルス、COVID-19の正体は今のところ誰も分からない。どこまで怖がっていいのかも誰も教えてくれないから分からない。だからパニックになります。
でもね、じゃあ他に未だに誰も分からないものって何だろうと私は考えました。

○君の本当の気持ち
○明後日食べたいもの
○明日の朝好きなラジオ局から流れてくる素敵な曲

…。
ほらね、考えていると色々あるんです。

それで一番分からない事、
そもそも

○明日自分が生きているかどうか

という事です。何もこの病気ではなく、交通事故で車に轢かれるかも知れない。通り魔に刺されるかも知れない。昔の恋人が恨んで包丁を持って玄関先に来るかも知れない。

逆にそう考えると、この病気に罹るより怖い事があるかも知れないんです。
分からない事、人間はそれが一番怖いのです。

想像以上に恐れる事はいっぱいあって、それとどう付き合っていくのかが大切だと思いました。

だから、達観して言ってるわけではありません、だって前書いたように自分もいつ持病の発作で死ぬかも知れないから、余計に、
分からないものは分かったつもりになるんじゃなくて、
分からないものには、謙虚に、

(この謙虚にというワードは友人の言葉からヒントを得ました。)

「分からない」という事を「分かる」方が自分を窮屈にしないで生きれるのかも知れないと、思いました。

今年も桜は綺麗に咲いていた

去年引っ越してきたうちの近くには小さな公園が幾つかあります。知らなかったのですが、多くの桜が植えられています。
こっそり覗きに行きました。勿論、人はいませんでしたが、桜は遠慮する事なく咲き誇っていました。

勿論桜の本意かどうか分かりませんが、例年なら彼らの下で、シートを敷き、美味しいお弁当を食べて、美味しいお酒を楽しんでいる人々がいた筈です。

綺麗ね〜。
綺麗だね〜。
このお弁当美味しいなぁ。
あら、このお酒意外と美味しいじゃない。

きっと、桜はそんな言葉を毎年聞きながら、どうだ、綺麗だろう。と咲き誇っていた筈なのです。

そう思うとちょっと今年の桜は可哀想な感じがしました。

2020 4/10

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