![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/105374078/rectangle_large_type_2_24cc614fb5235e27cdb7de0a3c8083d1.jpg?width=800)
『遠くて近い旧校舎の話』
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/105374129/picture_pc_ed339c839e165e261930a5e7611e9df2.png?width=800)
朝練が終わり、先輩達が引き上げていくのを見送ってから、ようやく私達はそれぞれの教室へ向かうことができる。
"しきたり"とは、実に不可解且つ不便なものだと思う。
これを"伝統"とは呼びたくないなと、心の中でへの字口をしながら、
「あと10分だ!急ごっ!」
「あー、朝自習配るの遅れるー怒られるー」
「まだ間に合うよー、そっちのクラス近いじゃん!」
「ちょっと!シューズの袋、うちのカバンに
引っかかってる!と、取ってー!」
それぞれの事情がこぼれ落ちるのを耳にしつつ、体育館をあとにする。
渡り廊下の端で、趣のある下駄箱から、くたびれたスニーカーを地面に放ると、乾いた音と砂が舞い上がった。
つま先を突っ込み、走りながら踵を滑り込ませれば、あとは自分の足を信じるのみだ。
駆け出してすぐに、面子の半分は昇降口に吸い込まれていく。
「じゃあまた放課後!」
「おつかれ〜」
私達の目指す旧校舎は、ここから更に、校庭の隅を駆け抜けなければならない。
体育館からすぐの中央校舎組が、心底うらやましい。
「あ、靴紐解けてるよ!止まる?」
「ううん、大丈…ぶぁっ」
言い終わる前に、私の隣で、幼馴染みが派手に視界から消えた。
「言わんこっちゃ無い〜!大丈夫?
ほら、カバン貸しなぁ。」
「ゔぅ…ごめん〜」
「って、血ぃ出てるやん!洗って保健室行きなよ。
先生には言っておくから。」
「朝からほんとごめん…お願いぃ。」
しょげた背中の戦友を見送り、彼女の分の荷物を背中と肩に掛け足して、進軍を再開する。
一度足を止めたせいか、顔と腕から汗が吹き出しているのを感じた。
濡れた身体に触れさせてしまうことになる増えた荷物達に、少々申し訳ない気持ちになる。
(汗、におっちゃうかな…拭く暇ないよなぁ。
せっかく着替えたのになぁ。)
そんな事をぼんやり考えながらも、両足が動き続けてくれていたおかげで、ようやく旧校舎の昇降口に辿り着いた。
外部活のクラスメイト達と挨拶を交わす。
「おはよー。」
「おはー。」
板張りのすのこに、次々と上履きが落とされて、パカパカと賑やかなリズムを奏でている。
その音に急かされるように、脱いだスニーカーを取ろうと屈んだ瞬間。
背負っていたセカバンがバランスを崩し、肩に掛かる二人分のシューズ袋を巻き込みながら、私を背後から押し倒してきた。
左手と脇に抱えた教科書入りの革の黒カバンが、上履きを履き損ねた無防備な足先に襲いかかる。
「あだっ!?
ちょ、も〜〜っ!!」
「朝から何やってんのー?」
喧騒の中、一人静かにお祭り騒ぎになっている私の腕を、その声は笑いながら、荷物の山ごと引き上げてくれた。
「ご、ごめん…ありがとう〜…」
(あ、まずい。今汗びっしょりなんだ…)
助けてもらっておきながら、つい離して欲しい衝動に駆られ、掴まれた腕を思わず引いてしまう。
その動きを察したのか、パッと解放された腕は、下ろす間もなく再び掴まれた。
「なんかカバン多いな。
何?もしかしてパシられてんの?」
「えっ」
見開いた瞳が捉えた表情には、普段の温和さとは打って変わって、疑いと、おそらくだが僅かに心配の色が見て取れた。
「ち、違うよ!これは…今、
怪我して保健室寄ってるから!」
そう言いながら、私は身体を捻って、友の名前の書かれたセカバンを見せる。
「あぁ、そういう事ね。」
良かった、納得してくれたようだ。
「で?
助けたのに拒否られてんのはなんで?」
いや、まだ納得してはいないらしい。
「あの、あ、汗…かいちゃってるから、その…」
追い討ちを掛けて、身体がのぼせていくのがわかる。
整わない息に、わずかに肩を揺らされる。
居た堪れず、俯いた私を見て、
「なんだ、そんな事かいな。」
半袖の肩口で口元を拭い、彼は笑みを見せた。
「こちとら汗どころか、土に砂にベッタベタっスわ。」
言い終わるや否や、私の腕と足元の荷物を、自分の肩にまとめて掛ける。
「あ、いいよ!持てるから。」
「いーからいーから。
じゃあ代わりにこれ頼むよ。」
そう言いながら彼は、潰れた学帽の上に、青色の野球帽を重ねた代物を、頭にぽすんと乗せてきた。
思わず帽子のつばに手を掛けた私を見て、ニヤリと笑う。
(何をニヤついて…)
「いいねー、似合うやん。」
「…っ!」
返す言葉どころか、呼吸自体が詰まってしまう。
先に進み始めた背中は、一段飛ばしで階段を上り始めていた。
上履きに足を放り込み、慌てて追いかける。
「あっ、教室着いたら制汗剤貸して?
石けんの香りのっしょ?お前のやつ。」
「は、はいっ!」
数段先から降ってきた言葉に、精一杯の返事をする。
踊り場を曲がると、ニ階の窓からの日差しに一瞬目が眩む。
君の息遣いと足音が、全身に響いてくる。
空いた片手で託された帽子達を抑えながら、ふと、その音色を、あと一階分聴いていられる事に気付く。
なんとも言えない、ふわふわした気持ちが、優しく膨らんできた。
予鈴が鳴り始める。
声にならない思いのひとつが、
パチッとひとつ、胸の中で弾けた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?