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『遠くて近い旧校舎の話』


朝練が終わり、先輩達が引き上げていくのを見送ってから、ようやく私達はそれぞれの教室へ向かうことができる。

"しきたり"とは、実に不可解且つ不便なものだと思う。
これを"伝統"とは呼びたくないなと、心の中でへの字口をしながら、

「あと10分だ!急ごっ!」
「あー、朝自習配るの遅れるー怒られるー」
「まだ間に合うよー、そっちのクラス近いじゃん!」
「ちょっと!シューズの袋、うちのカバンに
 引っかかってる!と、取ってー!」

それぞれの事情がこぼれ落ちるのを耳にしつつ、体育館をあとにする。

渡り廊下の端で、趣のある下駄箱から、くたびれたスニーカーを地面に放ると、乾いた音と砂が舞い上がった。
つま先を突っ込み、走りながら踵を滑り込ませれば、あとは自分の足を信じるのみだ。

駆け出してすぐに、面子の半分は昇降口に吸い込まれていく。

「じゃあまた放課後!」
「おつかれ〜」

私達の目指す旧校舎は、ここから更に、校庭の隅を駆け抜けなければならない。
体育館からすぐの中央校舎組が、心底うらやましい。

「あ、靴紐解けてるよ!止まる?」
「ううん、大丈…ぶぁっ」

言い終わる前に、私の隣で、幼馴染みが派手に視界から消えた。

「言わんこっちゃ無い〜!大丈夫?
 ほら、カバン貸しなぁ。」
「ゔぅ…ごめん〜」
「って、血ぃ出てるやん!洗って保健室行きなよ。
 先生には言っておくから。」
「朝からほんとごめん…お願いぃ。」

しょげた背中の戦友を見送り、彼女の分の荷物を背中と肩に掛け足して、進軍を再開する。

一度足を止めたせいか、顔と腕から汗が吹き出しているのを感じた。
濡れた身体に触れさせてしまうことになる増えた荷物達に、少々申し訳ない気持ちになる。

(汗、におっちゃうかな…拭く暇ないよなぁ。
せっかく着替えたのになぁ。)

そんな事をぼんやり考えながらも、両足が動き続けてくれていたおかげで、ようやく旧校舎の昇降口に辿り着いた。

外部活のクラスメイト達と挨拶を交わす。

「おはよー。」
「おはー。」

板張りのすのこに、次々と上履きが落とされて、パカパカと賑やかなリズムを奏でている。

その音に急かされるように、脱いだスニーカーを取ろうと屈んだ瞬間。

背負っていたセカバンがバランスを崩し、肩に掛かる二人分のシューズ袋を巻き込みながら、私を背後から押し倒してきた。

左手と脇に抱えた教科書入りの革の黒カバンが、上履きを履き損ねた無防備な足先に襲いかかる。

「あだっ!?
 ちょ、も〜〜っ!!」

「朝から何やってんのー?」

喧騒の中、一人静かにお祭り騒ぎになっている私の腕を、その声は笑いながら、荷物の山ごと引き上げてくれた。

「ご、ごめん…ありがとう〜…」

(あ、まずい。今汗びっしょりなんだ…)

助けてもらっておきながら、つい離して欲しい衝動に駆られ、掴まれた腕を思わず引いてしまう。
その動きを察したのか、パッと解放された腕は、下ろす間もなく再び掴まれた。

「なんかカバン多いな。
 何?もしかしてパシられてんの?」

「えっ」

見開いた瞳が捉えた表情には、普段の温和さとは打って変わって、疑いと、おそらくだが僅かに心配の色が見て取れた。

「ち、違うよ!これは…今、
 怪我して保健室寄ってるから!」

そう言いながら、私は身体を捻って、友の名前の書かれたセカバンを見せる。

「あぁ、そういう事ね。」

良かった、納得してくれたようだ。

「で?
 助けたのに拒否られてんのはなんで?」

いや、まだ納得してはいないらしい。

「あの、あ、汗…かいちゃってるから、その…」
 
追い討ちを掛けて、身体がのぼせていくのがわかる。
整わない息に、わずかに肩を揺らされる。
居た堪れず、俯いた私を見て、

「なんだ、そんな事かいな。」

半袖の肩口で口元を拭い、彼は笑みを見せた。

「こちとら汗どころか、土に砂にベッタベタっスわ。」

言い終わるや否や、私の腕と足元の荷物を、自分の肩にまとめて掛ける。

「あ、いいよ!持てるから。」

「いーからいーから。
 じゃあ代わりにこれ頼むよ。」

そう言いながら彼は、潰れた学帽の上に、青色の野球帽を重ねた代物を、頭にぽすんと乗せてきた。
思わず帽子のつばに手を掛けた私を見て、ニヤリと笑う。

(何をニヤついて…)

「いいねー、似合うやん。」

「…っ!」

返す言葉どころか、呼吸自体が詰まってしまう。

先に進み始めた背中は、一段飛ばしで階段を上り始めていた。
上履きに足を放り込み、慌てて追いかける。

「あっ、教室着いたら制汗剤貸して?
 石けんの香りのっしょ?お前のやつ。」

「は、はいっ!」

数段先から降ってきた言葉に、精一杯の返事をする。

踊り場を曲がると、ニ階の窓からの日差しに一瞬目が眩む。

君の息遣いと足音が、全身に響いてくる。

空いた片手で託された帽子達を抑えながら、ふと、その音色を、あと一階分聴いていられる事に気付く。
なんとも言えない、ふわふわした気持ちが、優しく膨らんできた。

予鈴が鳴り始める。

声にならない思いのひとつが、
パチッとひとつ、胸の中で弾けた。


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