佐久間寬厚

16才で様々な障害を持つ人達との生活へ。人間の根源へのアプローチを「場」を起点に開拓し…

佐久間寬厚

16才で様々な障害を持つ人達との生活へ。人間の根源へのアプローチを「場」を起点に開拓して来ました。人間の心の奥へ潜って行く場を無数に見て来ました。辿り着いた結論は人間のポテンシャルを引き出し、全開にした先にある世界。ここでは「ゾーン」をキーワードにその入口を初公開して行きます。

マガジン

  • 場を再定義する

  • 潜在力活性化プログラム

    人間の心に迫る数々の場から見てきた、世界観、実践的知恵、人がその能力を全開にする為のカギ。これまで語らずに来た秘密度の高い内容をこのページで公開して来ました。特に重要な部分、有料記事にしたものを2022年もまでの記事を全て纏めてパッケージ版とします。恐らく他では殆ど語られていない内容かと思います。

  • 親方と僕

    多様性と共存、宇宙でたった1人、唯一無二の存在がそれぞれ個性を発揮し、集まる共同体は可能か、人類の未来のテーマを先取り実験したパイオニア宮島真一郎。16の僕が出会った親方との時間を書き残そうと、1年半に渡り書き継いできたシリーズ。

  • ゾーンの力

    人間の可能性、潜在力を全開にするための方法をエッセンスシリーズとして纏めて来ましたが、その中でも更に厳選した13本の記事となります。

  • エッセンス

    人間の心の奥へ潜り、可能性を開く、と言うワークの中で掴んだ、実践的哲学のエッセンスです。

最近の記事

時を経て

とうとう出たね。 いやいや、ついに出た。 個人的ストーリーとしても決定的なことが待っていた。今、震える様な思いだ。 中沢新一著「精神の考古学」 一冊の本が出版されたことがこれほど大きなことだと言う事実を他の人に伝えることは難しい。 20数年待っていた。いや30年近いかも。 途中もう出ないのかも知れないと思ったりもした。 この数年はやり終えた場所から再び振り返る、再認識するそのことが必然であるテーマとして、母川回帰とも言える内面の旅の中にある。 そんな時期にこの本が出たこ

    • 生きづらさについて

      このテーマを語るのははじめて。 何故かというとそれは僕の生業として、実践が先にあるから。 生きづらさは安易に語られ、それでも大丈夫とか、安易に肯定され、安易に慰められ、終わってしまう。 こう言うことを言う人達には実践がないから。 その言葉や理論は空想から出て来ているから。 僕の生業は生きづらさを抱える人達とずっと向き合い共に歩むことだったから、安易に語ることは出来なかった。 アウトローにも本物とイミテーションの偽物がいる。 本物のアウトローは出て来ないから、見えるところには

      • 物語の終わり

        ただでさえ時間がないのにテーマの時期に入ってしまい過去に読んで来た本を少しづつ読み返している。 特に小説は物語に入り込むので時を忘れる。 一瞬にして時間が過ぎ去る。 ブログも数本書きかけてお蔵入りしている。 もう一つのブログページは年に数回しか書かないけど、あと2つは残しておきたい内容があり、それも後回しにし続けていて気になっている。 どうにもこんなことは初めてだ。 取り敢えずどんどん終わらせて生きて来たのに。 今回もちょっとした話に止めておく。 人の一生は一つの物語。

        • 帰れると思っていたこと

          さてさて、本当に久しぶりでそしてもう書かないかも、とも思っていたけど夏頃目処に、いやもしかしたらもっと早く有料記事を復活させようかと思う。 このページの醍醐味だし。 はい。もう暫しお待ちを。 僕が人より多く経験したり自覚したりしてるのは、 幼少期からの特殊な環境ゆえの、 まあ率直に言って、無常とか死とか、そう言うものが日常であること、直ぐに隣にあること。 もうそれはどれだけ叩き込まれてきたか。 それでも、あ、と思うことがある。 忘れていた、とか甘かったとか、自覚が弱かっ

        マガジン

        • 場を再定義する
          45本
        • 潜在力活性化プログラム
          46本
          ¥5,000
        • 親方と僕
          32本
          ¥1,500
        • ゾーンの力
          13本
          ¥3,000
        • エッセンス
          16本

        記事

          八咫烏

          4月ってこんな忙しかったかなぁ。 年始め的なことかな。 いや2024年はもうずっとこのペースが続いている。 数日前、ワークショップに向かう旅先で立ち寄った神社でのこと。 お参りして戻ると後ろから見ていた息子が、近くにあった祠を指差して、ほらと言う。 八咫烏神社とあり、その祠にカラスが止まっている。 パパがお参りしている時にあのカラスが飛んで来てパパの正面に止まって、お参り終わるとまた飛んで、こっちの方まで来てここに止まったよ、って。 八咫烏神社の方は小さな祠だったけど、で

          桜走る

          書く時間もなく、相変わらず走っている。 そんな訳で桜の写真がない。 でも特にここ2日で沢山の桜を見ている。 今日は雨の中を。 寒い土地の桜こそが綺麗だと思っていた。 でも志摩に来てからこっちの桜も綺麗で。 志摩から鳥羽に抜ける道を毎日通っている。 沢山の種類の桜が次々と通り過ぎる。 桜の中を走っているけど、桜のほうこそ僕の前を駆け抜けて行く感じがする。 止まって見る桜より綺麗だ。 目で見えない遠くの花火が好きなのと同じく、走って行く桜が好きになった。 前線から引いて久し

          目を開いた瞬間に生じる

          暫く書けていないけど、今日は特別公開の内容を多分最後の方で書くことになる。 本来は有料記事にすべきなんだけど、時々こうして公開で。ここでの有料記事はコンテンツを売ってると言うよりはセキュリティの意味が殆どなんだけど。 でもねぇ、相変わらず書きかけの記事も下書きのまま残してるし、あとね、「ダウンズワールドと僕」と言うブログを断続的に書いていたんだけど、そっちもそろそろもう書くこともないかな、という中で2本ほど最後に書いておきたいことがあって、。 今まで人生の殆どの時間を場に

          目を開いた瞬間に生じる

          最近のこどものアトリエと地元施設への出張アトリエで、気になる作品、素晴らしい場面がいくつか記憶に残っている。 もうあんまり外へ公開する気はないけど、このページにまたビジュアルだけ、ちょっとだけのせようかな。 喪失、身を裂かれる孤独が通過し、進行して行く時でさえ、人の心を見る場に自らの魂をおいて来た。 そして、年を取ったね、すっかり。 マイナスな意味、ネガティブな意味ではなく、今の僕はすっかり脱殻。 脱殻になれたことにホッとしているくらい、やってきたってこと、だよ。 「

          お帰り

          暫く書けてなくてね、そしてこれからもペースは落として行くとは思うけどね。 でもこのページはとことん書いたのでね、良かったら過去記事をじっくり読んでみてね。 さてさて、やっと読み返し、聴き返し、再鑑賞を断続的にやりつつある。 文字通り再発見、再認識の日々。 止めないとね、捨てないとね、新たなスペースが出来ないからね。減らしたら新しい発見が沢山ある。 毎日、1時間以上は車の運転してるから、その時間ずっと小唄をかけてる。 ふっとね、あ~何十年ぶりかなぁ、って。 あ~、ここに居た

          アトリエメモ2

          こどものアトリエより。 上の写真はドリッピングした色が服に着いたもの。 元々のハートのデザインと重なってオリジナルな世界に。きれいだなぁ。

          アトリエメモ2

          アトリエメモ1

          さてさて、携帯に残っている作品写真。 今年からSNSを辞めたので、インスタとフェイスブックに投稿してきたアトリエでの作品写真そのままになってて。 ここのページの雰囲気とは少し違うけど、覚書程度に残そうかな。 ほんと現場に関してはもう充分やったから、今はもうね余生みたいな感じでサラッと見てるだけなんだけど、それでもね生命ってものがね、人生ってものがこの瞬間、この場面でね、1枚の絵の中に見えてくる感覚やその掛け替えののなさへの自覚はやっぱり経て来た今の方が深まってはいるな。 昨

          アトリエメモ1

          気づいた時には遅過ぎる?

          認識の旅。 昨年の後半くらいからずっとそのテーマが過っている。ここ数年、この人生でこれまでで一番長く、動きを止めて同じ場所で、同じ景色を見ている。 そんな中で幾つかの本、音楽、映画をもう一回見なければならない、と思っていて、リスト化もしたい。 必ず見えてくる何かを感じている。 直ぐにも始めたかったけど、仕事に追われて結局まだ最初の一歩さえ踏み出せずに、やや余った時間に断片的に見ているだけ。 全編を通しで鑑賞出来るのはもう少し先かも知れない。 しかし年は取って行く。 まあ

          気づいた時には遅過ぎる?

          場の中で

          はいはい。なんか残ってました。 いつ書いたものか、そんなに前でもないと思うけど、下書きの状態で残っていたので以下、ひとまず上げておきます。 例えばね、やってた頃の感覚なんだけど、 場に立つ。そうすると見える。それまで見えなくても、立ったら見える。 色々考えてても、立ったら思考が止まる。 色々あっても、身体だめでも、心駄目でも立ったら消える。でね、そう言うのが消えて、フラットに、全くゼロになるからこそ、はじめて、ね、見える訳で。 場も見える。対象も見える。 見えなきゃ何も出

          祈り

          能登、北陸、新潟、地震による被害を受けた皆様、心よりお見舞い申し上げます。被害が最小限に治まります様に。1日にも早い復旧をお祈り致します。 新年から暫く書く気も起きそうにない。 能登の画像や映像を見て言葉を失った。 土地とは自らの身体の一部なのだと実感する。 大切な場所が壊れて行くことに見が引き裂かれる想い。あの場所も、あの場所も。 もう二度と作れないものの宝庫の様な場所でもあったから。貴重な文化の多くも失われる。 またも打ちのめされる。 何年も実家にも帰れず、今年こそは

          2024

          さあ、来ました。ね。 2023年は節目として、そして長年の約束を果たした年だったので、2024年は生まれ変わって新生児の様にまた歩き始める。 携帯待ち受けは龍。 まあまあ、ね、さてさて。 今年も正月返上で暫く昼も夜も仕事入ってる。 みんなのことを思うと、と言うのと、 その人、たった一人のその人の中に入ってみると、 ね、例えば今は子供を見ることが多いからね、 これから生きて行く生命と言うのを見る。 切なくなるよね。人間ってそう言う存在。 誰だって苦労しなきゃならないでしょ

          3年の眠り

          早いもので、ね、本当に早いもので。 2023年、間もなく終わり。 どんなに忙しくても合間で、暮れには芝浜を聴く。 今年は談志全盛期の。志ん朝も良いけど手元にテープがない。 現実的な色々問題はあったけど、ここまでの流れで、僕が果たさなければならなかった使命、2023年に与えられていた任務を全う出来たことでホッとしている。これでもう良いんだな、と言う解放感と。 数十年の約束でもあったから。 今年でSNSでの発信を休止して、いわゆる人間活動に入った。いや、それより持ち帰った標