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場が語りかける

僕が使う時の言葉として「場」と言うのは普遍的なものだ。
もっと個人的な要素が入る時は現場と言う。

現場は入るも者、創る者の人間性と技術や経験に依る部分が大きく、これを純化させると場に到達する。

本物の場は見ただけでもその人を変える。

1つでも多く、一瞬でも長く、場を開くこと、
場に入れること、見せることをやって来た。

何故ならそれはどこまでも稀有なものだから。

本物の場は殆ど何処にもない。
それう風のものでコスプレやってる人達は意外と沢山いるし、何となくの雰囲気だけでこんな感じかと、やる方も見る方もそこ止まり。

場はまずそう言うものが存在することを感じること、
そう言うものに近づこうとする志がなけれぱ見つからない。

だからまず、こんなものじゃないよね、
もっと先に何かあるよね、と言う感性と志。

場の声を聴ける者は稀にしか存在しない。

場に連れて行ける存在はまず居ない。

本当のことを言えばこれは場に限ったことではないだろう。
何事も本物は奇跡の様なもの。

人生において1番大切なものは本物を見極める目を持つこと。
自己満足しないこと。知った気にならないこと。
分かった気にならないこと。
最後まで行く覚悟を持つこと。
眩しいまでの本物を目を瞑らずに直視すること。

低いレベルで満足しないこと。

そして、見せること、連れて行くことを自らの任務として生きること。

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