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インドで行きつけのチャイ屋にいつも救われていた話

チャイ。何て短くて、何てかわいらしい響きだろう。インドといえばカレー、ラッシー、タージマハル、チャイ。4番目くらいにはチャイを思い浮かべるのではないだろうか。

インド人からチャイを奪ったら国民総一揆が起きるくらい、彼らの生活とチャイは切り離せない。インドではコーヒーなんて全く市民権を得ていない。コーヒーといえばチャイ同様に牛乳と砂糖を大量投入した濃厚カフェオレで、ブラックコーヒーを飲む人なんてほぼいない。

インド人の生活といえば、朝起きて歯を磨く、お目覚めのチャイ、朝ごはんを食べる、仕事、昼ごはん、食後のチャイ、夕方のチャイ、夕飯、夜のチャイ。日に最低4~5杯は飲んでいる。

テキーラのショットグラスより少しだけ大きいくらいのグラスだから量はそんなに多くないが、なんというか濃度がすごい。凝縮されたお茶の香り、こってりとした甘さ、濃いミルクの味わい。インドの暑い気候と辛いもの中心の食生活の中で飲むと、不思議とそこまで甘ったるくなく、美味しくいただける。

出会いと別れにチャイはつきものである。インド人の家にお邪魔すると、必ずお水とチャイを出してくれる。スラムのどんな貧しい家庭でも、こちらがどんなにいらないよ、と言ってもチャイをふるまってくれる。

インドではお客様は神様という考え方があって、日本のように、いや時に日本以上に「おもてなし」の心を大事にしているかもしれない。家に牛乳がなかったりすると、近所のチャイ屋に子どもをお使いに行かせて、薄いビニール袋にチャイを直接入れてもらって帰ってくる。これがインド流のテイクアウト。初めて見た時はビニールの成分が溶け出すのでは、などと気が気でなかったが、今では見慣れた風景だ。むしろ茶色い液体がビニール袋の中で飲まれるのを待っているのを見ると嬉しくなる。

私にはインドで行きつけのチャイ屋がある。20歳の頃から約10年通い続けているのだが、行くたびに背が低くて丸々とした店主のバルジーは目を見開いて満面の笑みで迎えてくれる。ずっとおじさんだと思ってたのだが、年齢は私とそんなに変わらなかった。彼は英語はそんなに話せないが、不思議と意思疎通に困ったことは一度もなかった。

手前が店主バルジー

彼のチャイ屋と出会ったのは、私が初めてインドに留学した時。初めて長期で親元を離れ、言葉も通じない土地で病気にかかったり、狭い人間関係の中でいざこざがあったりで、私はよく落ち込んでいた。落ち込んだ時に立ち寄れる場所があるのは人生の中でとてもすてきなことだ。正確に言うと、楽しい時も嬉しい時も、悲しい時も寂しい時も、いつもこのチャイ屋に来ていた。

私が少し落ち込んでいると、店主は「どうしたの?」とか「元気出しなよ」とかは絶対言わずに、無言でチャイとパイのようなチャイサモサをガス火であたためて、「はい」と顔の前に出してくれた。

あたたかくて、香ばしくて、おいしくて。言葉じゃない励ましってあるんだなあ、と思って涙を必死にこらえながら頬張ったのを覚えている。そしてお客さんが少ない時は隣に座って、家族の写真やくだらない動画を見せてくれた。チャイが特別めちゃくちゃ美味しいというわけではないのだが、バルジーの存在があるからいつもバラナシを訪れるたび、毎朝毎夕ここへ通った。

インド人男性は親しくなると、すぐ恋愛・体目的で迫って来たり、「実はずっと好きだったんだ」とか言って来たりするのだが、彼は一度もそんな素ぶりを見せることもなく、一定の距離以上に踏み込むこともなく接してくれた。それがどんなにありがたいことだったか。

いつしか彼は、「ファーストチャイラストチャイ、ノーマネー」と言って、私の滞在初日と最終日のチャイをおごってくれるようになった。どんなに久しぶりに行っても、彼がその約束を忘れていたことはなかった。突然来た私を迎える笑顔はずっと変わらなかった。

今はもう2年以上もインドに行けていないが、時々落ち込むことがあると、心の中でこのチャイ屋に座っている自分を思い描く。バラナシの細い路地を歩いていくと、遠くからでも背が低くコロコロしているバルジーの姿はよくわかる。

いつもの席に座る。やわらかくてなまあたたかい風が頬をなでて、地面には野良犬がだらーんと寝そべっている。何も言わなくても私のために別に作ってくれた砂糖抜きのチャイとビスケット2枚が出てくる。悲しい時もさみしい時も、何も考えたくない時もチャイを一口すすると、心が少しだけあたたかくなる。チャイを少しずつすすりながら、自分の感情に浸る。飲み終わる頃には何故だか、「まあ大丈夫かもしれない」という気持ちになっている。

またいつかインドを訪れて彼のチャイを飲みに行く日は来るだろう。その時はどんな話をしよう。私も日本でチャイを売り出したんだよ、って言ったらどんな顔するかな。


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