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人は感情というもので出来ている。

 私は自己肯定感が低いと自負している。自己肯定とは単なるポジティブ思考ではなく、自分のネガティブな所を受け入れることができることである。
 ちなみに私はポジティブの押しつけほど浅ましくて嫌なものはないと思っています。自分の価値観が他人に通じるという傲慢。

 私は現在就労支援に通って半年ほどになるが、(美人の)スタッフさんからは「なんか君変わってきたね」と言われた。やはり美人は愛されて育ってきていて変なコンプレックスもなく素直なので人を見る目も確かなようだ。
 私何が変わったのかな?と自分なりに考えてみたのだが、多分自分の沸き起こってくる感情をまっすぐに見つめることが出来るようになってきている事が大きいと思う。

 我慢したり譲ったり同調したり、対人関係ではいつもそうなっていて、後悔ばかりしていて、自分軸がないというか、自分のことが分からなくなっているというか、うまく言葉では言い表せないですが今まではそんな感じでした。
 それがたまって爆発して退職してしまう、というのが最近のパターンでした。 
 決断できなくて、他人軸で、自分の意見を言うのが怖いという私の性質は幼少期、それが許されない家庭環境だったからである。つまり決断したり自分の意見を言ったら小馬鹿にするかの如く批判されるということである。この感覚を一般の人に説明するのは難しい。
 
 こんな生きづらい自分が嫌で嫌で。

 最初に私がやったことは自分の感情を感じること、理解することでした。

 本当に食べたいものを食べたり、買いたいものを決める練習をしたり、桜とかアジサイとかきれいな花を見たら観察して美しさを味わったり、そういうことから始めた。
 おいしいものを食べるとき、例えば私はアーモンドチョコレートが大好きなのですが、カカオの香り苦み、砂糖の甘さ、カカオバターの風味、ナッツの香ばしさ、そういうものを一口一口味わいながら食べて自分の感情をマインドフルに感じる練習もした。
 就労支援でよく人と話す機会があるけど、なんか気持ちいい会話が出来た時があって、人と話すのは楽しい、と本当に久しぶりに感じて、昔こんな会話してたかな、と思い出していたが、確かに記憶にある限りでは、そんな楽しい会話の時間は存在していて、ただそんな楽しい会話あるわけないという私の思い込みで楽しい記憶が覆いかぶされていただけなのであった。その思い込みが過去の潜在意識そのものであり、これを溶解していくのがこれからの人生の課題の一つだ。
 
 私アダルトチルドレン界隈ではよく耳にするインナーチャイルドという言葉を聞いた時なんか暖かいというか懐かしいというか気持ちの良い言葉に聞こえて、自分なりにそれについて調べてみた。
 インナーチャイルドというのは感情の象徴。赤ちゃんとか保育園児とかそういう感じ。思考に支配された大人と正反対の存在。
 そのインナーチャイルドの癒しという本には自分の小さかったころ(3歳くらい)をイメージして、と書いてあったのでその通りにしてみたが見渡す限りにどす暗い壁が幾重にもありそれに囲まれている自分がいて、存在も、顔も、思考も何一つ浮かんでこない、イメージできない。
 
 次に、これも本に書いてあったことだが「今まで我慢ばかりさせてごめんなさい」とインナーチャイルドに誤り「生まれてきてくれてありがとう、今まで本当によく頑張ってきたね、生きてくれてありがとう」と本の書いているままに最初は呪文のように自分自身に声かけた。
 1か月くらいするとだんだんそのどす暗さが薄くなり、薄暗い台所が現れた。この映像は好きではなくなぜなら母親の後姿を思い出すからだ。母と一緒に遊んだり出かけたりした記憶が私にはなくて唯一あるのがこの後ろ姿なのだ。呼んでも決して振り返ってくれない、そういう感じ。
 だんだんインナーチャイルドが反応してくれるようになったが、それは女の子だった。はて、?と考えたが私は小さい頃はキン肉マンとか北斗の拳とかそういうのが怖くて大嫌いでこともあろうにミンキーモモとかが好きだったのでなるほどと合点した。

 インナーチャイルド、今何を考えてる?楽しい?何がしたい?と親が子供に掛けるように声掛けをした。まるで自分の人生で母親からしてもらえなかった事をやり直すかのように。。。
 当たり前だが自分がうれしいとインナーチャイルドはうれしいし自分が悲しいとインナーチャイルドは悲しいのだ。
 例えば今このNOTEを書いているとき私のインナーチャイルドは、つまんないことしないで楽しいこととかやったら?と言っています。でもこれを書いているときは自分なりの考えを表現できているので悪くない時間だとも言ってくれる。
 その作業は自分の感情に向き合うということで、それにより私は自分の感情が修復しつつあるのを感じた。
 今までは自分の感情を我慢したり否定していることがほとんどだったが、今は少しづつ自分の感情を受け入れられるようになってきた。
 自分の良いところを少しづつ認められるようになり、何より自分が少しづつ好きになってきた。

 今までは自分の悪いところは克服しなければならないと思っていたけど、今はそういう考えからなるべく自由になりたいと思う。
 例えば、人の意見に流されるという性質は、悪く言えば自分が無いということだけど良く言えば柔軟な思考とも言えるし。
 例えば私はITが大の苦手だが、その代わりお菓子を作れるし、みたいな。
 それはただのポジティブ思考ではなくて、自分の出来ることを見つけてそれを伸ばしていく思考に切り替えたほうが、なんか精神的にも得だし、いい意味で要領よく生きていきたい、と思うのである。
 


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