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相席、満席、特別メニュー

「俺は屈しない。なぜなら俺が未来の世界最強だからだ」
四人がけテーブルの、私の真正面に座る男がそう言った。馬鹿みたいだが決意の篭った魂の一言だ。
何故こんな男に相席を許してしまったのか、何故自分が今この場にいるのか。一ヶ月前の自分を猛烈に恨んでいる。
私は今、行きつけのダイナー「マッコール」の一席で特別メニューと対峙している。


特別メニュー、それはこのマッコールの創業より伝わる謎深き一品。
その真実の姿は誰も知らない。客である我々に開示された情報は店のメニューブックにあった。それはおどろおどろしいタッチのフォントの「特別メニュー」の赤い文字の下に、「オーダーには一ヶ月前の電話予約をお願いします」との一文が添えられているだけでしかなかった。値段はそれなりにリーズナブルだった。が、食すには相応の覚悟を求められる。誰にでも手が届くメニューなのに、過去にそれを食べた者の話を誰も聞いたことがない。まず仕込みに一ヶ月かかることがおかしいし、それが他のメニューより一回りだけ高い、少し奮発する気があれば誰にでも手の届く値段にあることが怪しさを掻き立てていた。おそらく店主が趣味で考案したゲテモノ料理だろうというのが私の見立てだ。

私はそのメニューを興味本位で頼んだのだ。いや、ちょうどバイトの給料が入る今日この日に少し高いけど何か変わった物を食べてみたい。ひと月前の私は軽い気持ちでそう思い付いたのだ。

ダイナーの扉を開けてウエイトレスに予約をした者ですと伝えると、すぐさま奥の席に通された。今日はやけに客が多かった。
年季のある木製の椅子に腰を掛けて待つ。
話には聞いていたが誰もその実態を語ることのない幻の一品。
それを目に焼き付ける時を今か今かとそわそわして待っていると、
「相席、いいですか?」
低い男の声がした。
「はい、いいですよ」
折角の特別メニューなんだし誰か見届けてくれる人が欲しかった。友達でも連れてくればよかったんだけど予定の空いている子がいなかったのだ。

そう思ってふと目線を上げると、彼がいた。
真っ白なロングコートを羽織った長身の青年。その鍛え上げられた肉体は衣服の上からでも視認できた。
「げげ、鬼瓦 響剣(おにがわら きょうけん)!」
「げげと何だ、失礼な」
彼は大学の変人四人衆の一角、修羅の鬼瓦。指ぬきグローブの五代、サーフボードの津上、24時間立ちんぼの城戸に引けを取らない狂人。入学してそうそうの新歓期間に、キャンパス中の武道・格闘技系のサークルすべてに殴り込み、腕に覚えのある上級生たちを一人残らず叩きのめし、総じて出禁になった迷惑野郎。行き場のなくなったこの男は、なんと私と同じ文化系サークルに所属し、不本意ながら何度も同じグループになってしまうことが多かった。しかも偶然出席していた講義で二人きりのペアを組まされたこともある。己の正義に反する誤りには体一つでぶつかっていく時代錯誤の武人肌。根っからの事なかれ主義の私とは正反対だった。彼と私はそのスタンスの違いから何度も衝突することがあったし、こじれた諍いの数は両手では数え切れないほどある。それでも何故か私たちが一緒になることが多かった。
違う極同士の磁石は引かれ合うとはいうが、できればそんな世界の法則を歪めてやりたかった。
友達から「きっと運命の相手なんだよ」とからかわれるのが嫌だったし。
「君もこの店の特別メニューを頼むとはな……。見所のあるやつだ」
「その不遜な態度は置いといて、鬼瓦君もそのメニューを?」
「ああ、話に聞いてな。この店には誰も頼まない品書きがあるとな」
「あなたそんなミーハーな人間だった?」
「手の届く値段にありながら誰もその実態を知らない一品。それはそれは俺の挑む価値がありそうだ」
「あなたそんなグルメハンター気質だったっけ?」


馬鹿みたいな男と馬鹿みたいに益体もない会話を続けていると、店中の客がちらちらとこちらの様子をうかがっているのが目に入った。あらやだ目立っているんだな……。いやだなこんな男と一緒にいると私まで変人だと思われる……。
その時の私はそんな平凡でありきたりの思考に囚われていた。
本日特別メニューに挑む恐れ知らずの若者が2人いることを聞きつけた常連客たちが店に押し寄せていることに気付いていなかったのだ。


ジュウッ!という音を上げながら、ほくほくと湯気を立てたそれが鉄板に乗ってやってくる。
幅は分厚く、とにかく体積がデカい。絵に描いたような理想的なステーキ肉だ。
胃袋の大きさには自信がある私としては相手にとって不足なし。


ただし、その色が真っ黒であることを除けば……。


熱々に熱せられた板の上に鎮座する黒々としたステーキ肉を見つめながら、私が
「すみません。これは何のお肉なんですか?」
おそるおそる店主に訊ねると返ってきたのは

「ギガント・デーモンのステーキです」
と意味不明な答えが返ってきた。

「は?」
「ギガント・デーモンのステーキです。ギガントデーモンとは魔界に棲む恐ろしい悪魔で……」
「いやそういうことではなく」
私の静止を無視して店長が滔々と説明を続ける。
「魔界に堕ちた者の体内に流れるエーテルを貪りその強靭な肉体を保っている恐ろしい種族なんです」

「その豪腕は魔界鉄をたやすく引き千切り、5000度のファイアブレスを吐く、それはそれは強大な悪魔なんですよ」

「召喚の儀式の準備と実行、そして喚び出したデーモンの討伐にちょうど1ヶ月かかるんですよ」

「しかも今回は2体ですよ。2体」

「久しぶりに……ふふ……悪魔ハンターの腕が鳴りましたよ」

店主はまくし立てるように語った。
「ほう、店主殿はそんな強敵を2体も屠ったというのですね……。見かけによらずずいぶんたくましいお方で」
なに感心してるんだよ。もっと突っ込むべきところがあるだろ。
「ふふ、お褒めの言葉は嬉しいのですが、ステーキが冷めてしまいますよ」
店長のその一言で現実に引き戻された。
目の前の禍々しいほどの漆黒のお肉。
これを今から食べるのか。これは体に入れていいものなのか。

「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
躊躇する私と鬼瓦君を店長と店中の客たちが期待の眼差しで見つめる。

「では、いただきます」
普段は空気を読めないこの男も流石にこの場の雰囲気に呑まれたのか。

鬼瓦君は意外にも行儀よく肉を切り分け、口に運んでいく。
咀嚼を終え、飲み込んで一息つき、
「何というか……独特の味ですね」
この男も言葉を濁すことがあるんだな……。
どことなく苦痛を抑えような顔で着実に食べ進めていく。
が、元々の体積がバカでかい肉だから全然減っていない。これには狂人鬼瓦も形無しか?

「俺は屈しない。なぜなら俺が未来の世界最強だからだ」

そして冒頭の台詞に戻る。

「君、食べてないようだが?」
彼が私をじっと私を睨みつける。
正直目の前の男の有様を見たら食欲がなくなるんだけど。
「もしかして君は店主殿が苦労して作り上げた料理を残すというのか?」
「え、いや……?」
言葉に詰まる私。店主の様子をを伺うと悲しい顔をして私を見ていた。そんな目で見ないで欲しい……。客たちの態度も一様に落胆と言った感じだ。正直いたたまれない。目の前の鬼瓦君に視線を移すと彼は黙々と食事を再開していた。
なんだかんだ凄い男だ。あれだけ苦悶を味わったのにまだこの試練から逃げ出そうとしない。対する私はどうだ。せっかく頼んだ料理に口をつけることすらせず、放棄しようとしている。こんなゲテモノの頂点のような料理のために店主はおそらく命を賭けてギガント・デーモンとの死闘に臨んだのだろう。それも2体。鬼瓦君はそんな彼の想いに報いようとしている。この男はいつだって本気なのだ。どんなに馬鹿馬鹿しく私なら一笑に付して捨て置くことでも本気で立ち向かっていく。対する私はなんだ?いつだって事なかれ主義で、冷笑的で……。
私はナイフとフォークを手に取り、肉を切り分けていった。想像よりも柔らかい……。
客たちがおお!とどよめきを起こす。店主の顔に笑みが浮かぶ。見ていろよお前ら。
そして肉を口に入れた。

まずい!!!!!!

だが、私は止まらない。次々に肉を食べ進めていく。今の私はデーモン肉処理場だ!

「ふ、君はやる女だと思っていたよ……」
口元に付いたソースを拭いながら彼が呟く。この男の不遜で上から目線の一言も今では誇らしく感じる。
「さすがは俺の好敵手」
好敵手!?物凄く突っ込んでやりたいが今はステーキに集中だ。
うおおおとばかりにフォークを肉に突き刺し、噛み砕き、飲み込む。舌が麻痺し、味側辛くなってきた。体が熱くなってくる。汗がヤバい。私今体温何度あるのかな?

私たちは食べて食べて、食べていった。
そしてなんと二人同時に完食の時を迎えた。

わあああああと店中が沸き、「やりましたね!」と店主。

「ふふ、また機会があったら次は2枚の完食に挑戦してみたいな」
「私はもう2度と食べなくていいです」

今は勝利の余韻に酔いたい。お酒でも頼んでしまおうかな。しかし、体の熱が収まらない。
「兄ちゃん姉ちゃんやったな!いいもん見せてもらったよ!」
客たちが私に激励の声をかけて一人また一人と帰っていく。彼らは何か料理を頼んだのだろうか。

「あ、ひとつ言い忘れていた」
店主が何かを思い出したようだ。

「ギガントデーモンの肉にはね、特別な効用があるんですよ」
熱病にかかったように真っ赤になっている私たちに彼がそう切り出した。
「それは何か?」
鬼瓦君が訊く。

「物凄い精がつくネ」
「は?」
突然ウエイトレスがわりこんできた。
何故か片言口調で衝撃の事実を告げる。
「精がつくね。強壮効果がもりもりネ」
「は、え?」
「ま、頑張ってネ」
さっと立ち去っていく彼女。周りを見渡すとあれだけ店中を埋めていた客たちがひとり残らずいなくなっていた。
「それじゃ私たちは店の片付けをしますので、お二人でごゆっくり」
「え、ちょっと」
頼みの綱の店主が厨房に戻っていく。
「おふたりを邪魔する無粋な真似はしませんので」
ちょっと逃げないで説明してください。精がつく?強壮効果?意味がわからない。
「ちょっと鬼瓦君」
仕方がないので近くの男に助けを求める。
彼ははぁっと息を吐いて私を見つめる。
時代錯誤の武人、いや蛮族のはずなのになんだかとても色っぽい!

「そういえば君の名前は?」
今それを訊く!?
というかいつも顔を突き合わせているというのになんて失礼なやつだ。
「和 まこと」
でも許してあげる。私は優しいし、それに……
「素敵な名前だ」
息が詰まる。不遜で上から目線の言葉なのにどうしてこんなに胸をしめつけるのだろう?
彼が私に歩み寄る。
「もっと俺の近くでそのかんばせを見せてくれ」



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