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感想 『スピノザの診察室』 夏川草介 / 著


 どうしよう。一言では感想をまとめられそうにない。

 このnoteにある緑色の投稿ボタンをクリックしたわたしは動画の一時停止状態で頭の中に縦二本線が浮かびそこから動けないでいた。読んで良かったのは間違いない事実で、誰かにめちゃくちゃ薦めたいのも本当で。だからこそ今週は自信を持って投稿するんだとこの場所にやって来た。だけど、いわゆる氷山モデルのように一番上にある見えている“感動”の下には、簡単には言い表せない感情と作品への愛がたくさん詰まっているからだ。


『スピノザの診察室』夏川草介/著 水鈴社

 
 主人公である医師の雄町哲郎(マチ先生)は京都の地域病院で働いている。実力ある医師がこの病院に働く場所を変えて出会ったのは、個性的な同僚と様々な事情を抱える患者たちだった。


 筆者の夏川草介さんといえばベストセラー『神様のカルテ』が印象的な現役医師である。静かで時にユーモアもあるあたたかい物語に惹かれ『本を守ろうとする猫の話』や『臨床の砦』『レッドゾーン』『始まりの木』も合わせて愛読してきた。物語に込められた命の現場にいる筆者ならではの経験や考えが伝わる素晴らしい作品ばかりだ。

『スピノザの診察室』はそれらの作品の先にまだこんなにも世界が広がるのかと驚きにも似た感動をもたらしてくれた。いわゆる医療を扱う小説と同じように勿論病気も扱う。しかしながら物語の大きな円の中心にあると感じるのは、極めてシンプルな“人間”という存在である。

 かつて『神様のカルテ』シリーズでもこの“人間”という言葉は登場している。医師の栗原一止は、医師の話ではなく人間としてどうあるべきかを考えてこう語っていた。読みながら当時思わず手が止まった記憶がある。

医師の話ではない。人間の話をしているのだ。

『神様のカルテ2』より

人間としてどうすべきか何を重んじるのかが、ひと粒のグラニュー糖となって金平糖の中心部分になるとすれば、今作ではこれまでの医師の経験をふまえて生まれたであろう伝えたいことがその外側にかかるシロップのように幾重にも重なり、同じ形が一つと無い唯一無二の物語を形作っていた。

一般人代表のような人生を送るわたしですら、この20年で「進学 就職 出産 子育て 転勤 手術」といろいろなことを経験した。ゆえにきっと医師である筆者も多くの経験や出会いと別れがあったことは想像に固くない。

 人として人間として大切なものは何かを丁寧に伝えながら、物語では魅力的な人物たちとマチ先生の好物である甘味 そして夏川作品に欠かせないユーモアが次々に登場する。『スピノザの診察室』は、感慨深さと愉快とが同居する稀有な作品である。作中の患者さんからのメッセージに涙し、やりとりされた人間としての気持ちの深さを知った。

 最高、脱帽、いや違うぴったりくる言葉が見つからない。とにかく冒頭のわたしの言葉通りのこの深い感動を伝えたいのに一言では上手く感想を言えないもどかしさを抱え、ぜひ読んで欲しいと願うこの現象」に名前が欲しい。


 このような作品を今回読むことができて幸運だと改めて思う。おかげで、なんだかんだありすぎて疲弊する毎日に大切にするべきことがわかった。どんな人生においても必要なものをこの作品、いやマチ先生から教わったのだ。ネタバレ防止で詳しくお伝えできないが、公式サイトの筆者からのメッセージでそれが間違ではなかったことを知り今安堵している。


 少し時間を置いて今度は美味しいあの和菓子とともに、またじっくり二回目を読むことにしたい。初夏の風を感じながら。




水鈴社さん公式noteにインタビュー記事がありました。本を読まれた方はぜひこちらもご覧ください。オススメです。




お読みいただきありがとうございました。








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