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風の季節ほか

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「紫陽花の季節」スピンオフです。 「風の季節」「hollyhock」「白梅の薫る頃」「紫陽花の季節、君はいない」完結しました。 「夢見るそれいゆ」「紫陽花の花言葉」連載中です。
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#紫陽花の季節

紫陽花の花言葉 5

紫陽花の花言葉 5

病室から兄がフラフラとした足取りで出てきた。

「あの人……あんなに弱々しくなってしまったんだな」
兄の顔は青ざめていた。若いながらも威厳のある姿しか知らない兄にとって、ショックだったのは仕方のないことだった。

「3年前から体調を崩していて。自宅療養していたんだけど、3ヶ月前から急激に衰弱したので入院させたんだ。……もう今夜が峠だって医師から宣告されてる」

父がこんな状態だというのに、母は兄に

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紫陽花の花言葉 4

紫陽花の花言葉 4

学生時代の兄は、兎にも角にも目立つことを嫌った。愛想笑いはするものの、自分から他人の輪に入ることは決してしなかった。それが他人に踏み込まれない為の、兄の処世術だったのだろう。

中学時代に一度だけ、兄が書道で賞をとったことがあった。兄はそのことを両親には黙っていた。兄が賞状を学校のゴミ箱に捨てたのを、兄の担任が拾い、弟である俺に渡してきた。

兄との交流は母に禁じられていたので、本人に渡すわけにも

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紫陽花の花言葉 3

紫陽花の花言葉 3

兄と俺は、母親が違う。兄の母親【透子】は一族の当主で、古い家柄を守る為に父【彬良】と結婚した。当時、一族の若者は女性しかいなくて、有能な父を婿に迎えたのだ。しかし、兄の母親は、6月30日に兄【夏越】を産み落とすと、亡くなってしまった。

父は、兄の母親の一周忌が過ぎると、俺の母親【律花】と再婚した。兄の母親と俺の母親は従姉妹だった。一族はどうしても父を離したくなかったし、俺の母は父を手に入れたかっ

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紫陽花の花言葉 2

紫陽花の花言葉 2

兄は病室に入るのを躊躇していた。しばらく目を閉じて、息を整えると、意を決してベッドに横たわる父に歩み寄った。

父は自発的に呼吸するのも難しい状態で、酸素マスクと点滴に繋がれていた。

「お父さん……久しぶり。夏越です」
ぎこちないのは、20年ぶりの再会だからではない。兄が実家にいた頃も、父子の会話を交わしたことがほとんど無かったからだ。

兄の声を聞いた父は、ゆっくり目を開けた。最近は、意識のな

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紫陽花の花言葉 1

紫陽花の花言葉 1

20年ぶりに会った兄は、記憶の中とほとんど変わらない姿で俺を見た。

「……『清明』で、いいんだよな?」
兄は戸惑いながら、俺に話し掛けた。男性にしては少し高くて柔らかい声は、俺が思っていたより冷たい印象はなかった。

「ああ。久しぶり、夏越……兄さん」
兄をどう呼んで良いのか悩んだ末、こう呼ぶことにした。

「『兄さん』か……そう呼んでくれるのか」
兄は困ったように口角を上げた。俺は黙って頷いた

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hydrangea ─dream─ 後編

hydrangea ─dream─ 後編

「前にもひなたに言われていたのにな…」
ナゴシが小さな声で呟いた。

「ヒナちゃんに?」

「ああ。俺が年齢のこととか、他の男にお前をとられるんじゃないかとか、ひなたに不安を打ち明けたんだ。そしたらひなたに、ゆかりは俺が好きで生まれ変わったんだ、今の俺はゆかりをちゃんと見ていないって怒られたよ。」
ナゴシの力のない笑い声が聞こえてきた。

「…そうなんだ。」

ヒナちゃんは、あおいお姉ちゃんの娘で

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hydrangea ─dream─ 中編

hydrangea ─dream─ 中編

私はあおいお姉ちゃんの家から、市立の中学に通うことになっている。あおいお姉ちゃんは、私の腹違いの姉だ。

「ナゴシ。今日ダディーと話したんだけど、ダディーも挨拶しに一緒に日本に来るって。ナゴシにも会ってみたいって言ってたよ!」

「ん?紫陽、お父さんに俺のこと何て説明したんだ?」

「恋人だよ?他に何て説明するの?」

「……」
ナゴシは黙ってしまった。

「ナゴシ、もしかしてダディーに会いたくな

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hydrangea ─dream─ 前編

hydrangea ─dream─ 前編

「紫陽花の季節」の夏越の恋人「紫陽」の生まれ変わり「ゆかり」の物語、第3弾です。

日本にいるナゴシから電話が掛かってきた。
ナゴシは、私の前世からの恋人だ。

「ゆかり。今電話大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ。」
【ゆかり】は私の名前なのだけど、ナゴシにその名前で呼ばれるのにはまだ慣れない。

「…ねえ、ナゴシ。紫陽って呼んで。」
私は彼が名付けてくれた【紫陽】という名前が気に入っている。生ま

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紫陽花の季節、休日

紫陽花の季節、休日

「紫陽花の季節、君はいない」の番外編です。

2022年5月28日土曜日。昨日の雨が嘘のような青空が広がっている。

4月から働いている植物公園自体は休日も開園しているが、俺の配属された部署はGW以外の土日祝日は休みである。

「夏越くん、行ってきます。」
あおいさんは6月から職場復帰することになっている。
今日は産休中に伸びた髪を切りに美容室に行った後、八幡宮にひなたが無事に産まれた御礼参りに家

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紫陽花の季節、君はいない 88

紫陽花の季節、君はいない 88

「気をつけて行ってきて下さいね、夏越殿!」
「くれぐれも、失礼のないようにな。
人間にもそれ以外にも。」
御葉様と涼見姐さんに見送られる形で、俺は八幡宮を後にした。

鳥居の外に出ると、急激に蒸し暑くなった。
厚めの雲の切れ目から、光が射し込んでいる。

俺は一旦自宅に戻り、夏越の祓で拝受したリース型の茅の輪守を玄関の壁に吊るした。
まるで彼女を探し出す決意表明のようだと思った。

行動を始めるな

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紫陽花と傘

紫陽花と傘

あれはまだ、俺が紫陽(しよう)と知り合って間もない頃の話である。

6月の八幡宮の紫陽花の森は、雨に濡れて生き生きしていた。
俺は紫陽が紫陽花の精霊だと知っても、毎日会いに行っていた。

「ウーン!雨だと私元気になるね。」
紫陽は伸びをしたあと、くるくると楽しげに回りだした。
紫陽花ブルーのワンピースの裾が翻っている。

「やっぱり紫陽花が本体だからかもな。」
紫陽につられて俺も傘をくるくるさせて

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梅とホトガラフ

梅とホトガラフ

「紫陽花の季節」シリーズ、ケヤキの木の精霊「涼見」の物語です。

3月初旬の八幡宮。今日はとても天気が良い。
今年は梅が咲くのが遅かったが、ようやく開花してくれた。

「涼見~。やっと梅の花が咲いたわね!」
精霊仲間の紅葉(くれは)が話し掛けてきた。
「そうだな。私やお前みたいに精霊付きの木だったら、開花時期がわかるのだがな。」
八幡宮には梅の精霊はいない。少なくとも、私が精霊として生きている間に

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Sweet Valentine【後編】

Sweet Valentine【後編】

2月14日当日。
俺はチョコとたくさんの果物とマシュマロを用意して、自分のアパートにあおいを呼んだ。

「いつもバレンタインに柊司くんがくれる手作りチョコも美味しいけれど、チョコレートフォンデュも楽しいわね。」
あおいはとてもニコニコしている。

料理が出来ない彼女にとって、俺が切った果物をあおいが盛り付けたことで、共同作業になったのがとても嬉しかったようだ。

フォンデュを堪能した後、俺は席を立

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Sweet Valentine 【中編】

Sweet Valentine 【中編】

俺は隣人で親友(予定)の夏越に相談することにした。
夏越は懐かない猫のような男だが、料理の出来る俺はアイツの胃袋を掴むのに成功した。

「なぁ、夏越。彼女に何かしてやりたいんだけど。」
「何でお前が俺の部屋のベッドでゴロゴロしているんだ~!」
早速威嚇されたが、俺は怯まない。

「なぁなぁ、夏越。」
「~!バレンタインが近いんだから、手作りチョコでも作ったらどうだ?お前料理出来るんだし。」
「手作

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