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026.スプーン1杯の認知症

少しだけ、気配りが困難になってきている母。それでも、薬が合って、開き直って、気性の激しい父が少し穏やかになったためか、進行が遅くなっていると思う。時間は待ってくれないので、そうでない父も少し物忘れが増えた気がする。

先日、母がうなだれ、ため息つきながら話始めた。

〇〇(長女)は父ちゃんが可愛がった。膝の上から降ろすこと無くいつも抱っこしていたんよね。△△(三女)は母ちゃんが可愛がった。そりゃもう可愛がったんよね。あんた(私は次女)は、いつも貧乏くじで・・・申し訳ない。結局、あれだけ可愛がった二人は、いつも言葉はキツイし、意地が悪い。何もしてやってないアンタが一番優しいのはなんでかね?

そう言って、下を向いた。最近、この話を何度も言う。私も掛ける言葉がない。今更、何も期待はしていないし、そもそも甘えた記憶が殆どないわけだから、今の母の状況で、ワガママを言う習慣も特に残っていない。そもそも無いわけだし思い出しようも無い。10年くらい前は、父や母、姉から嫌がらせを受けていたが、今の状況で仕返しする気も起らない。見てみぬふりでもいいが、性分なので、私も始末が悪い。同居する姉に関しては、優しくできない理由もあろうし、言うと角が立つ。姉は母に「■■(私次女)を連れて出ていけ!」と言ったらしい。母のボヤキだからどこまで本当なのか分からないけれど。優しくしろなんて言うと、大変なことになる。妹は、気性が激しく言葉もキツイ。先日、妹と喧嘩した。週に1回くらい電話でもして優しい言葉を掛けろ!と。妹は無意識にまだ、母を叱り飛ばす。

まだ、母に甘えているから、そうやって怒鳴ったり、キツク言ったりしてるんだと思う。姉妹がこのnoteを見たら、発狂するだろうな。でもまぁ、いつかは優しくなるでしょう。

母は、若い頃父の乱暴な振る舞いに、「寝たきりになっても、オシメを変えてやらない!」と陰でよく勇んでいったものだった。最近は、その話をすると、「しっかり、面倒みてもらう」と高笑いしている。平和なもんだ。

以前は、「あんたら三人同じように育てたのに、なんでこんなに性格が違うかね?」と申していたが、明らかに対応が違っていたと思うことを言うと、随分言い返されたものだった。『私の感覚は合ってるじゃん』

以前、姉も妹にも、差があることを言うと、自分だけ可哀そうを思っている。とけなされた。私は高校の時のクラブの道具は、入学の時の1回だけ買ってもらったが、妹は、試合がある度に、おねだりして買ってもらっていた。姉も然りだった。何故か、私だけバイトしていた。その代わり、干渉は他の2人より少なかった。でも、母は、私が幸せになることは、嫌がっていた。

悪口だな。

私って、親切で優しいの!ではなくて、今は、母を楽しんでいる。

どんな風に生きても、いつかは老いて小さくなっていくんだ・・・自分の人生が幸せかどうかなんて、若い時のことは、ほとんど消えて、今どうなのか?でも十分なのように思う。「あれだけ死ぬまで恨んでやる!」と父に対して言っていた母は、父を出かけることが楽しいらしい。そして、自慢にしている。勝手なものだね。スプーン1杯の認知症は、紅茶に入れてもハーブティに入れても、コーヒーに入れても、ちょうどよい甘さのよう。父も、若い頃を反省しているようで、優しくすることを楽しんでいる。

私は、優しくされなかった仕返しに優しくしているのかもしれない。それは、本当に、スプーン1杯の認知症の効果なのかもしれない。鍋1杯の認知症なら、こんな風に受け入れることも出来ないんじゃないかなと思う。だから、有難いと感謝している。どんな量でも本人は、いい迷惑だろう。

カウンセリングをしていると、幸せとか、そうじゃないとか話を聴く。今は、なんか、以前と比べて、幸せの概念が変わってきた。何が幸せなのか、幸せでないのか、明日気分が変わるかもしれない。できれば、毎日都合のいいように変わってくれると助かる。

私の今日の幸せは何だったんだろう。

電気を消した部屋で考えながら暗闇に解けていく意識の中に埋もれながら。