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039.スプーン一杯の認知症

母は乳がんになって女になった。
038.スプーン一杯の認知症で、書いたように、母は今もまだ嫉妬に苦しんでいる。この魔法を解くには、父の愛なのだろうな。
父は、相変わらずニヤニヤ笑っている。手の施しようがないことを理解しているのだろう。毎日のように悪循環で妄想愛人の居る妄想パチンコ屋に行く。実際に行っているのだろう。毎日、何時も責められるから仕方ない。逃げていく。確かに、男は追うと逃げると云うが、まさしくそう見える。
母が、嘆く「お金は要らないから、愛が欲しい。信用できる愛が欲しい」と素晴らしくご尤もな意見を、私は記憶の中にある母の言葉で一番まともだ!と同意すること言う。小さな車の中で、手を叩いて賛同した。
あれだけ、父が嫌いだった母は、取り残された自分にプライドがズタズタになったのだろう。つい先日、テレビで言っていた。「配偶者より幸せになってはいけない」と・・・そこだけしか覚えていない。まさに、父は、母より幸せだと、母は思っている。父は思っていない。父は、母の方が幸せだと思っている。残念だ。

父は、もっと、違う場所に気楽に遊びに行きたいらしい。愚痴っていた。母は、行ける日と行けない日がある。肢体は健康ではあるが、頭から心までが少し調子悪い。父の体調も気になるが、どうにもならない。娘たちが母を連れて出る時が、一番楽なのだろう。しかし、夫婦で出かける時より、少し寂しそう。二人だけの世界は、私には見えない。
私からすると、今が、十分幸せな夫婦だと思う。

最近感じる、認知症とは

つい先日、またも母から電話で、家出宣言。曇りの日は少し調子が悪く夕方まで続いた。私には何番目に電話してくるのか知らないが、一番に電話したように話始める。認知症とは、今生きる術なのかもしれないと思うこともある。辛い人生を振り返ると辛く生きるのに疲れるから、自分に都合の良いことばかり記憶して、生きる希望を大切に抱きしめているのかもしれないと思うことが多い。
なってみないと、分からない、なったとしても分からない。

昨日、友人に話した。

個人の感想というものだけど

「現実というものは、ストローから生まれるシャボン玉みたいなものかもしれない。一人ひとつシャボン玉のバブルの中に生きていて、それがたくさんあって、ひとつの現実があるように見えるだけで、本当は、そのバブル1つひとつが世界で、本当は、1人にひとつ現実があって・・・自分以外は、自分のバブルの現実には存在しないのではないとか・・・」
と言った後、自分でも分からなくなった。あまりに複雑で、今度、絵にしてみよう。
そのバブルでフワフワと浮いてあちらこちらに流されて消えては生まれを繰り返す。
認知症になったら、そのバブルが少し曇って遠くまで見渡せない。そんな風に感じる。認知症だけではなく、それは個性でもあるのかもしれないなと思う。

わたしのあたまのなか

語ると、話が逸れるので話を戻そう。これは、後日(・ω・)ノ

母は、88歳にもなる父に愛人がいると思っている。そして、自分は、悲しく耐える存在であると主張する。私の気持ちが元気な時は、少し態度を変えて、同情してみる。すると母は、「そこまでではない、不幸なのは、親に愛されず、1人で色んな困難を乗り越えてきた、あんたが可哀そう」という。
これは、もう認知症ではなく、性格だわと心で呟く私。
仲の良くない私の姉から、母の携帯電話に電話が掛かった。横から、ご飯食べて帰るって・・・と言うと、母は「シーっ!」と言って姉に適当な返事をした。私が思うに、1人でちゃんとやってるを言いたいのか?仲の悪い妹といると姉から心配されなくなるとおもっているのか?よくわからないが、後者かなと、捻じれたハートの私はそう思っている。

母とうどんを食べて、まだ少し落ち着いてないようなので、スーパーに買い物に行き、時間を少し潰して家まで送った。
帰りの車で、「母ちゃんはええね、娘三人がとっかえひっかえ、世話してくれる。私は、1人だから、誰も見てくれんよ」と言うと。「だったら、母ちゃんが見てあげよう」と母は言った。それは、助かる。
スーパーで買った父の夕食の総菜を持って、車を降りてサッサと自宅に入る母を見送り、私は、薄暗くなった道を帰った。
どこが、妄想で、何処が現実なのか詮索する気は当然ないけれど、とりあえず母の今日のイベントは終わった。