小豆に思う、子供を思う親心
今年初めて小豆を育てている。
小豆は好きだ。小豆を煮てお汁粉にする。毎年冬になると2.3回は小豆を煮る。
「子供が好きだから」
「子供が喜ぶだろうから」
そういう理由で(もちろん私も好きだが)せっせとケーキを焼いたり、ピザ生地を捏ねたり、夕飯の肉じゃがを作ったりする。喜びを持って。
子供の喜ぶ顔、それを見るためにそれらを作る時間は、そう長くはない。
作り終わって、喜んで食べてもらうと、その私の喜びの時間は終わる。
9月お彼岸過ぎに息子が訪ねて来た。
大の甘党の息子が、
「最近ケーキよりあんこが好きになってきた。スーパーでおはぎがたくさん売っていて、買って食べたけど美味しかった〜、おはぎって美味しいんだね。」
と幸せそうな顔で言う。
嬉しくなった。
畑から収穫してきたばかりの小豆が干してある。
それを持ってきて、
「今年は小豆育ててるんだよー」
長いインゲンの様なサヤを開き、中から赤く色づいた可愛らしい小豆を出しながらそういうと、
「へー、小豆ってこうなってるんだ!」
そう、私も知らなかった。
一緒に感動しながら、茹でてあんこを作るね。と約束した。
それからと言うもの
少しづつ収穫時期をむかえる小豆を干し、サヤが乾燥したらサヤから出し、喜んで食べてくれるであろう息子の顔を想像し、喜びに溢れた日々を過ごしている。
ほぼ収穫を終え、
2カップぐらいと少ないが、さらに虫食いを避ける細かな作業も苦にならず、穏やか気持ちと、柔らかいものに覆われた様なふわふわ心地いい時間を過ごしている。
この小さな赤い豆をつるつると撫でながら、愛おしみながら。
私の母が未だに
「腰が痛い、膝が痛い。」
と言いながらも梅干しを漬けている。
私も子供達も
「おばあちゃんの梅干し以外食べられない。」
と言って手作りの梅干しを心待ちにしている。
そのことで、私の小豆作りと一緒、体のあちこちの痛みも忘れるほど、幸せに満ち溢れて、きっと楽しみながら梅干し作りをしているのだろう。
そろそろ私が梅干し作りを引き継ごう。
そう思っていたが、梅干し作りは、母の幸せの時間なのだ。
小豆作りを通して、母の子供を思う気持ちを共有する事が出来た様な気がする。
この喜びをいつまでも味わっていたいし、味あわせてあげたい。
まだまだ母にわがままを言って、梅干しを作ってもらおう。それが元気の秘訣かもしれない。
小豆の粉かな選別作業はまだ終わっていない。
丁寧に、この時間を楽しみたい。
「おいしい!」
と喜ぶ子供の顔を想像して。
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