自殺者と遺族と宗教の在り方

目の前には、ごろんと死体がひとつ。
その死体は、長年私と生活を共にした弟の死体だ。
頑張って生き抜いた人間の最期がこんな腐り果てた姿なんてあんまりじゃないか、なんて思った。

その日はいつも通りの時間に仕事を終えて、恋人と付き合って一年記念のプレゼント探しをするのに街中を見て回っていた。
携帯電話が鳴り出し、出てみると祖母だった。
「ぺん子ちゃん、落ち着いて聞いてね」と思いトーンで話を切り出された瞬間、「あ、弟が自殺したな」と分かった。
何故分かったのかは後述する。
案の定、弟が死んだ報告でショックはあれど驚きは無かった。

私と両親は北海道内の離れた場所で別々に暮らしており、弟は上京していた。
だんだん大学院を不登校気味になった研究室の教授(それか助教授。うろ覚えだ)が弟のことを気にかけてくれて親にたまに連絡をしてくれていたようだった。
大学や大学院の先生で、ここまで学生の面倒を見てくれるというのは珍しい。
母は心配になる度に、毎回コンビニによってお弁当を買ってから弟の元へ行く生活をしていた。
これは後に母の口から聞くことになるが、その日は何故かコンビニにも寄らずお弁当も買わず、弟の部屋へ向かったとのことだった。
……お弁当を持って行ったところで、弟はもう食べれないけど。
合鍵を使うと、いつも掛かっているドアのチェーンが掛かっていない。
母は廊下を歩み進める。
部屋には、死体がごろんとひとつ。
夏だった。暑くて、セミの鳴き声がうるさくて、遺書の日付通りに亡くなったとすれば、死んでから二週間は経っていた。
一人暮らしのため、発見が遅れた。
人間の死体は、二日目だか三日目から腐ると聞いたことがある。
普段迷惑をかけるのを極端に嫌う弟の最後の悪足掻きだったのか、死体の腐敗を遅らせる為にクーラーがつけっぱなしになっていた。
だけど悲しい哉。勉強ばかりの人生を送ってきた弟は少し世間知らずなところがあって、クーラー程度で死体の腐敗を遅らせることは出来ない。
母は警察を呼び、遺書はあるものの念の為事件性が無いか調べることとなったが、矢張り自殺であることに変わりはなかった。

夜、私と父が北海道から関東にある母の待つホテルに到着した。
私の親は俗に言う毒親で、教育虐待が特に酷かった。
他には、化粧禁止だの、恋愛禁止だの。
父は特に暴力が酷かった。
そんな二人が泣いている。
よくいるその辺の、ありきたりな親のように泣いている。
この人達から私は父性や母性を感じたことは無かった。
だけど、皮肉なことに、このとき初めて父性を感じた。自殺をしたことで発生する賠償金のことよりも、「こんな風になる為に上京させたんじゃない。金の問題じゃないんだ」と言った。
その言葉を、弟が生きているうちに言ってほしかった。
死んでからでは伝わらない。
殴ったり蹴ったり詰ったり、お金さえ稼げばいいんだろう、なんてものより、その言葉が一番弟に響いたのではないか。
弟は人見知りで口下手で、コミュニケーションを取るのが苦手なことで悩んでいたようだった。
でも、遺書には「死にます」と一言。あとは、日付だけ。
彼は、遺書でも口下手だった。
最期の最期まで口下手だった。
ちょうどその頃、弟は卒論でも就活でも悩みを抱えていたようで、私達遺族は自殺の理由に思い当たるものがあれど、一言しか書かれていない遺書では明確な理由が分からなかった。
悲しかった。弟が亡くなったことは当然悲しい。
もう会えないことも悲しいけど、これはまぁ、私が我慢すればいい。
だけど、遺書に一言しか書かれていないのが悲しかった。
言いたいことを最後まで満足に言えなかったのではないか、何より、死ぬときに私のことを思い出してくれたのだろうか。
少しくらい、脳裏を過ったのだろうか。
それとも、私は取るに足らない存在だったのか。
今となっては誰にも分からない。

そんなことを考えていると、母がぽつりと言った。
「でもね、私、安心しているところもあるの。もう心配しなくていいから」

は? この女は何だ? この目の前にいる、人間のような見た目をした化け物の発言内容がよく分からない。
この化け物は泣いているのに、言動が一致していない。
私の脳が理解を拒否している。

なに、それ。
この化け物は母性を何処に置き忘れたのだろう。
それとも、最初から持っていなかったのか。

翌日。私は、更に「何それ」と思わされる出来事に直面した。
警察署での遺体の確認だった。
第一発見者の母はもう見たくないらしく、私と父で確認を行った。

嗚呼、頑張って生き抜いた人間の最期がこんな腐り果てた姿なんてあんまりじゃないか、なんて思った。
発見当時は蛆虫まで湧いて、ベッドの上で死んだものだから、布団には体液が漏れて黒くなっていたとは聞いていたけど。
目の前にいるこのご遺体は誰だろう。
色白だった弟の肌は変色して焦げ茶色になっている。
一度も染めたことのない黒い髪の毛は水分が抜けて茶髪になっている。
警察官は死体の確認の前に眼球が残っていると言っていたが、腐った肉に埋もれて沈んだのか、白目の部分が1mm程度しか確認出来ない。
これではもう、大好きな野球が見れないじゃないか、とか、昔から何でも一発で上手くいく子だったけどこんなことまで一発で上手くやるなよとか、場違いなことを思った。
死臭も凄くて、世の中にはこんな匂いがあるのかと初めて知った。
親は、弟の面影があると言っていたが、私には面影なんて無いように見えた。

それでも悲しみに暮れることは許されず、容赦無く現実はやってくる。
遺族である私達は、不動産屋と大学院の研究室の教授と、大学院の事務らしき方に頭を下げ、大学院では除籍の手続きもしなければならなかった。
弟は死ぬ直前まで大学院をやめるかどうか悩んでいた。
頑張って進学した大学院。
だけど、行くのが辛い大学院。
弟は死ぬことで除籍という大学院をやめるに近いような形になって、私はそれも悲しかった。
だけど、大学院から解放されて良かったのだろうか。
どの道もう死んでいるから、生きている私達はこの出来事を、自分に都合の良いように解釈する。
生きている人間はいつだって狡い生き物だ。
死者の為と謳いながら、その実私達は自分達の為にお通夜をしてお葬式をしてお墓参りをして法事をする。
これらの行為は死者の為ではなく、本質的には生きている人間が心の折り合いをつける為のものだ。
弟の命日だって、遺書には記されていたが、死体の腐敗が進み過ぎた為、警察では正確な命日が分からなかった。
だから、死亡届を提出する際も、「〇月某日」と記載して下さい、と役所の人に言われた。
それでも私達は勝手に、遺書に書かれた日を命日としている。
こんなもの、全部全部生きている人間の自己満足だ。
こんなことをしたところで故人は生き返らず、故人の苦痛も消えてなくなるわけではない。
最高に下品な言い方をすれば、生きている人間は故人をズリネタにして葬儀だの何だの自己満足に浸るマスターベーションをしているに過ぎない。
死んでからではなく、生きているうちに何かやっておけよ、と思う。
そして、無能な私はいつも間に合わない。
先に書いた、弟が自殺をすることを分かっていた話に繋がるのだが、当時鬱病を患っていた私は、「早く死にたいなー」と実家のリビングで言った。
その場には、弟と食器洗いをしている母が居た。
弟は、「そうだよね。早く死にたいよね」とふざけて言った。
弟は無自覚だが、本音を言うときほどふざけた口調で言う癖がある。
だから、このときに私は、「弟の最期は自殺だ」と分かってしまった。
だけど、何月何日何時何分に何処でどんな方法で死ぬかまでは分からなかった。
無理に病院に連れて行こうとしても嫌がるだろう、かつての私みたいに。
その話を父にしたら、「どうして見殺しにした?」と言われた。
あーーーーー、またか。
自分だって、弟が死ぬ前日に「また逃げるのか」と詰めるメールをしたくせに。
母だけでなく、父も化け物だった。
やり場の無い感情を誰かにぶつけることで自己を保つのはよくあることだ。
だけど、私もこの男と同じ自死遺族なのだ。
そして、私達は三人で弟を殺したのだ。
出来損ないの姉に見切りをつけて、弟にだけ期待を押し付けた両親。
そうなることが分かってて、そうなるように勉強を放棄した姉の私。
間接的とはいえ、私達は人殺しだ。
先の弟の発言に対して、母は母で、「あんなの冗談だと思った」と言い出すし、眼鏡をかけているくせに自分の子供のことを何も見えていない。
そんなお飾りな眼鏡なら捨てちまえ、と思う。
不動産屋ではこちらが迷惑をかけたとはいえ、「どんな方法でやったんですか?」と興味本位に聞かれ、ご遺体の確認の為に警察署へ行くのにタクシーに乗ったときは運転手からしつこく理由を聞かれた。
警察署になんて行く時点で楽しいイベントでないことぐらい分かるだろう。
それとも、それが分からないくらい馬鹿なのか、分かってて聞いてくる、俗に言う「他人の不幸は蜜の味」というやつなのか。
職場のウマの合わない上司は、「こんな姉だから弟は死んだんだ」と言ってきた。
宗教に入っている親戚からは、「ぺん子の体調が悪いのはぺん子にサタンがついているから! 弟は生き返るよ!」と理解に苦しむことを言われ、苦しいから死んだのに生き返らせるとか地獄だろ、と思うし、誰も彼もが、私が悲しみに集中することを許してくれなかった。
不快なことを言われると、感情のリソースを悲しみではなく怒りに割かなくてはならない。
私は悲しみに集中したいのに、それすらも許してもらえないのか。
そんな世界が、悲しいときに悲しんでいられない世界が、弟のような優しい人間が優しさだけでは生きていけないこの世界が、凄く憎くて壊したくなった。
いっそのこと、こんな世界、壊れてしまえと思った。

場面は葬儀に切り替わる。
葬儀は、地獄だった。
葬儀屋の方がこっそり教えてくれたのだが、蛆虫の湧いた死体というのはどれだけ綺麗にしてても、死後筋肉が緩み口が開くし、他にも鼻の穴とかから蛆虫がこぼれてゆくという。
もうお経も何もかもすっ飛ばして火葬してほしかった。
同時にこの国の葬儀のスタイルが火葬で良かったとも思った。
お坊さんがお経をあげている間、弟は体内にいる蛆虫に自身の肉を食われ続けていた。
私は目の前にある棺の中で起きているその現実が嫌で、許せなくて、早く燃やしてくれと思った。

そうして弟は火葬され、骨になった。
骨壺に骨を移してゆく。
最後に、「頭の骨を崩さないと骨壺に入らないので崩していいですか?」と聞かれた。
そう聞かれたら、首を縦に振るしかないし、言わばこの台詞は気遣いなのだろう。
ガシャガシャと弟の頭蓋骨が崩されてゆく、壊れてゆく、小さくなって、遺骨の粉まで飛んで、「やめて、やめて、やめて、それは私の弟なの。弟の頭を、崩さないで」と心の中で叫んでいた。
私より背の高い弟は、あっという間に私より小さくなった。
赤ちゃんくらいの大きさ。
それが、酷く悲しかった。
子供の頃は女の子の方が背が高い、なんてこともあるが、私達姉弟は基本的にいつも弟の方が成長が速いから大きかった。
その弟が、今はこんなにも、小さい。

地獄はまだまだ続いた。
当時の私は、泣くときはいつも一人で泣いていた。
あんな化け物のような親でも葬儀のときは泣いていた。
だったら、私くらいは泣かないでしっかりしなくちゃ、と泣かなかった。
それに、この頃は私も頭がいつも以上におかしくなってて、お別れは笑顔でとか考え出していたので、そのときの写真の中の私は笑っている。
恋人の前でも元気なふりをして、して、して、し続けて、ある日心が決壊した。
「私はいつまで元気なふりをすればいいの!?」と怒ってしまった。
そこからは揉めに揉めて、というより私がどんどん壊れていった。
恋人のことを好きなのに詰って、もう感情は滅茶苦茶で、遂に恋人から別れを切り出された。
これが決め手で私は自殺未遂をして、人生初の精神科病棟での入院をすることになった。

当時の記憶は結構朧気なところも多い。
ただ、入院前に親戚からエホバの勧誘をされたことは覚えている。

突然だが、「多世界解釈」「パラレルワールド」という単語がある。
これは、世界が無数にあって、その世界と同じ数だけ別の自分がいるという仮説だ。
当然、同じ数だけ他の人達も存在する。
仮に、だ。この仮説が立証されたとして、そしてエホバのいう死者が蘇るというのも実現したとしよう。
ついでにエホバとやらは、生き返った後の世界は幸せに満ちているらしい。
よくもまあ、会ったこともない神様とやらの発言を信じれるものである。
閑話休題。
そのとき、この世界線の弟は確かに救われるかもしれない。
でも、だとしたら別の世界線の弟は?
世界が無数に在るということは、様々な最期を迎える弟が存在することになる。
私は一時期頭が悪いくせに、なんとか命日に戻れないかとアインシュタインの相対性理論の本も読んだ。
どうにかしてタイムマシンを実現出来ないものかと思っていたのだ。
本を読む前から不可能だろうと思っていたし、読んだ後は更に不可能だ、と思った。

けど。弟が亡くなってから時間が経つに連れて、相変わらず自分の中の時間は止まったままだけど、考え方が変わったところもあった。
もし、やり直しが出来たとしても、私はやり直さない。
今でもゲロを吐きそうなくらいの地獄な日々だけど、それでも私は弟が自殺する世界を選ぶ。
何故なら、独り寂しく悲しく死んでいった人間が確かにいたことを覚えておくのは、遺された人間の責務だからだ。
否、正確には責務ではないのかもしれないけど、こうでも思わないとやってられないのだ。
皆生き返って幸せだから、過去のことはもういいじゃん! なんて片付けたら、私はきっと命を安く扱うし、命の価値や重みが下がる。
弟の最期を変えられないのは凄く悲しい。
これを書いている今も泣いている。
だけど、弟の痛みや苦しみは無かったことにしたくないし、それによって弟のような人を一人でも減らせるまではいかなくても人に優しく出来るのは、今を生きている私達の特権だ。
だから、私はやり直さない。
仮に今、魔法使いか何かが現れて、「あの日に戻ってやり直してみる?」と聞かれても、私は何度でも弟が自殺する世界線を選ぶ。
我ながら酷いエゴイストだと思う。
だってこれすらも、先で書いた「自己満足」なのだから。








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