辻征夫『ボートを漕ぐもう一人の婦人の肖像』を読む
『ボートを漕ぐもう一人の婦人の肖像』を読む
大好きな詩人辻征夫の『ボートを漕ぐもう一人の婦人の肖像』を読む。
『ボートを漕ぐおばさんの肖像』という詩集があるのでその姉妹編と言うべきか。7編からなる短編小説集なのだが、それぞれとても短いので長めの散文詩ということもできる、と思った。虚実ないまぜの、不思議な掌編が並ぶ。小説なのだからフィクションなのだが、どうしても語る主体が作者と等身大に思えて、自伝的エッセイに読めてしまう。実際の詩人の経歴をなぞっているし上質なユーモアを含んだ文章は辻征夫そのものだ。
「透明な地図―遠い岬」より
白い雲 ヘルマン・ヘッセ
おお見よ、白い雲はまた
忘れられた美しい歌の
かすかなメロディのように
青い空をかなたへ漂っていく!
長い旅路にあって
さすらいの哀しみと喜びを
味わいつくしたものでなければ、
あの雲の心はわからない
私は、太陽や海や風のように
白いもの、定めないものが好きだ。
それは、故郷を離れたさすらい人の終いであり、天使であるのだから。
なんのわだかまりもなく、白い雲を見ていたい、と書く詩人。妻と二人の幼い娘たちと夏の海を楽しむ詩人。だけどその前日には、父が深刻な病状であることを知らされていて、それを一人胸におさめて、妻にも肉親にも何も告げず、こうしてはためにも幸福なときを過ごしている。「ほんとうに 一瞬なのですね、こういう事は」と書く、辻征夫らしい口ぶりが魅力的。わだかまりなく白い雲を見ていたい、というすぐ出来そうなことが、ほんとうはできないのだ。
「砂場」という作品も、怖い。砂場で出会った少年の不気味さ。いわれなく盗人にされそうになった幼い娘の恐怖。きっと実体験をもとにしているのでしょう、日常に潜む恐怖、不安。
詩作品同様、日常を描くようで、非日常に連れていかれる作品群。異世界への扉は、日々の平凡な、どこにでもありそうなことおこりそうなことのすぐ隣にあって、実にリアリティに充ちているのだ。
長い旅路を経てきた者の一人として、白い雲を何のわだかまりもなく見ていられる境地にたどり着くこと、それが老境だと思えて、幸せな読書体験だった。