桜塚ひさ

詩を書いています。読んだ本の感想、好きな詩、折々の思いを書いていきます。

桜塚ひさ

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最近の記事

初めて歌詞を書きました。

初めて歌詞を書いた。好きな詩人のxを見ていたら,歌詞の公募で最優秀賞なられたと読んで、そんなコンテストあるのかな,と見てみたら,ぜんじおんという社団法人が公募していたので応募してみた。課題曲に言葉をつけるのだが,子どものための歌というところが気に入って,作って送ったら思いがけず最優秀賞になりました。子どもたちに日本語の面白さを知って欲しかっただけなのだが,私自身歌が好きなので、何も苦労しなかった。以下のような歌詞です。 しゃくとりむしがゆく 余裕しゃくしゃくとすすむよ し

    • この詩の批評をお願いします

      猛夏襲来                              ざんぶざんぶ 大雨を連れて 夏が襲ってきた 大量の湿気をもたらして 大雨の波状攻撃が去ると 刃のよう陽ざしが容赦なく肌を刺す 荒ぶる夏が来た まとわりつく暑熱に 砂漠のラクダのようにじっと耐えている 風もなく 熱気で空気が歪む午後 小さな庭を青条揚羽が飛ぶ あの蝶は 籬を越え 武蔵野の林を越え 多摩丘陵を越え やがて丹沢を越え 富士をも越えていくだろう 蝶よ 地球を脱出したい蝶よ どこまで

      • 若い友人の詩

        最近夫の介護、夫の健康への不安、自分自身の体調不良などでnoteを開くこともできない日々です。こういう老いの実録も作品にして行けたらと思いながらも、日々精一杯。いくら年とっても思う事、生きることは生易しい事ではない。暮しの場があり、平和な国で、地位や権力がある訳でもない一庶民というのんきな立場の身であっても、そう実感する。終活をしていると過去に責められ、長いか短いかもわからない先行きに脅かされ、心は平安とはいかないのである。そういう日々、若い友人から詩が届いた。 「魔法」

        • 老いの歌

          これから日本を待ち受ける高齢化社会の問題。何にも世の役に立てないけれど、若い時思い寄らなかった老いの現況を、作品にしていこうと思い、このような詩を書きました。 老老ロード                      桜塚ひさ おとなりも老老 お向かいも はす向かいも 三軒どなりも老老介護 わが通りは老老ロード 救急車がひんぱんに来る 老いは力仕事である 冷や汗をかいて動かない重い体を転がすこと そして予期不安と闘うことである 老いは悲哀の仕事である 隣家の老

        初めて歌詞を書きました。

          石原吉郎について考えたこと

          石原吉郎の詩と人生を読み直している。長い間避けてきたのは、読めば必ず胸が苦しくなるのが分かっているから。だが、現在世界で起こっていることを思うと、この詩人の作品と人生の教えることは大きいと感じるのだ。起こったことは、変えることはできず、不可逆で、惨劇は惨劇で終わるしかない、と。随分前に野村喜和夫先生の講座に出ていたころに購入したままだった先生の著書『証言と抒情』を手掛かりに、難解と言われる石原吉郎読みにもう一度トライしているのは、近頃つくづく人間の運命とか宿命について思うこと

          石原吉郎について考えたこと

          巨匠の作品に感じること

          最近とつおいつ、詩の世界の巨星である谷川俊太郎氏の全詩集を読み返している。私の編著書『親と子の詞華集-知恵の花かご』というアンソロジーに最も多く採らせていただいたのは谷川作品だった。もっとも感銘を受けてきた、真言の詩人です。それでも全作品にあたりきれていない。作品数もだが内容も多岐にわたっていて、追いきれないでいた。そこで、難解な作品は後回し、隙間時間でも読める読みやすい作品を読み返しているのだ。 谷川氏は生活するために書いてきた、としばしば発言していらっしゃるが、それは読ま

          巨匠の作品に感じること

          難解詩に挑む

          現代詩は読まれない。難解だからだ。現代人には気晴らしは多くあり、なんでもタイパで、映画さえ早送りで見る時代に、苦労して訳の分からないものを読む人は詩人以外ではよほど酔狂な人だけだろう。私は難解詩には反対、というより書けないのですが、難しいことを易しく書くためには、難解詩を攻略する必要があると思う。分からないから排斥するのでなく分かったうえで敬遠したい、というので、一例を岡井隆著『岡井隆の忘れ物』の引用で検証してみる。この著者の教室に参加していたので人物像を知っているし多くの著

          難解詩に挑む

          読まれる詩を

          詩とは対話である、とパウル・チェランが言ったという。詩に限らず書き物は誰かに読まれることを本質的に望むものだ。エミリー・ディキンソンは作品を一切発表せず、ひとり書き溜めていたというが,死の前に処分した訳ではないから、いつか誰かに、という気持ちがなかったという証はない。 詩は投壜通信ともよく例えられる。いつか誰かに届くことを願って投げられる通信なのだ、と。しかしチェランは、非常に難解な詩を書いていた。誰にでも読まれることを拒むような。日本の現代詩もそうである。読者を選らんでいる

          読まれる詩を

          現代詩は読まれない 1

          わが市の図書館は週に一度購入した新刊書を書架とは別の棚に陳列する。その棚は大変人気で、ときのベストセラーなども出るそうでその日は開館前に行列ができるほどです。開館時間を遥かすぎて行くと棚はすっからかんか、または大変不人気の書物しか残っていない。私はベストセラー読みではないのでその行列に参加したことはないけれど、どんな本が残っているかに興味があり,たまに覗いていました。先回は棚に数冊残っていた中に、河津聖恵さんの新刊詩集があるのを見たものの、著名であっても、難解で私の心に響く詩

          現代詩は読まれない 1

          大岡信のモダニズム批判

          大岡信氏が若き日に書いた 現代詩試論。  ぼくは、詩は詩人の肉声を伝えるべきものだと頑なに信じている。小ブルトン、小エリュアール、小アラゴンはたくさんだ。まして、小西脇、小北園、さらに,クレジットさえわからぬ模倣のごった煮に至っては,まさに,反吐だ。 大岡さんが22.3歳の頃のデビュー作とも言えるこの試論はおおいに話題になったという。この一節を,当時新人作家だった開口健が賛意を表明、大岡さんに手紙を送ったのだそう。 大岡さんが  肉声に対して恥を感じるというくせは現代詩が持

          大岡信のモダニズム批判

          100人の詩人たち

          「青い凪」の会による『凪組Anthology2024』というアンソロジーを読んだ。凪の会というのは、ネット、それもXに詩を投稿していた方々が集まって作った同人誌であるようだ。その会の主宰者の石川敬大さんという詩人が一念発起して創られた100人のネット詩人によるアンソロジーである。私はネットに投稿はしていないし、その会の存在も知らなかったものですが、欠員が出たことを偶々知って参加させていただき、100人の詩人のひとりとして作品を掲載していただいたのです。石川氏の大変なご苦労の上

          100人の詩人たち

          切なくて詩を書いた

          未推敲で、ある合評会に出した詩です。 「完」                   何も持っていきません 全部残していきます 悔いはあります 残してあげられなかった 私が子どものころの海 松林に続く白い浜 素潜りして手づかみで魚を取った海を 残してあげられなかった 私が子どものころの秋の雁行の空  北極星北斗七星天の川  屋根の上に見た夜空を 残してあげられなかった 私が子どものころメダカをすくって遊んだ 川底の砂の光る小川 岸辺のすみれたんぽぽ 玉虫を追いか

          切なくて詩を書いた

          若い友人の作品

          「帰り道」 あなたと夢の中の 夜の駅前通りを一緒に通ったのは どのくらい前になるのか あなたは変わらずかっこ良くて元気で 何も変わってなかったね どうかこれからも あなたの信じるものを 好きな人を 好きなものを 大切にしながら ワタシには辿り着けないそっちで 永遠に生きてて下さい ワタシはあなたのかっこ良さにしびれながら 期限付きの今日と一生を生きていきます

          若い友人の作品

          現代詩手帖12月号年鑑を読んで

          現代詩手帖12月号年鑑の2023年代表詩篇を読んでいる。現代を代表する詩人130人が選ばれその詩人の1年のベスト作品が掲載されているのでしょう。が、そのほとんどに何の感興も覚えなかったことに衝撃を受けている。自分の鑑賞能力も疑っているのですが、谷川俊太郎、平田俊子の2氏の作品にはいつも期待を裏切られたことがない。が、その二氏以外では3,4篇の作品しか心に響かなかった。とても長い、長すぎる作品が多く、何か言いたいことがあるのだけは分かるが、表現を一ひねりも二ひねりもしてあるので

          現代詩手帖12月号年鑑を読んで

          続荒川洋治『真珠』に挑戦するの記

          かなり以前、何かの雑誌で作曲家久石譲氏が養老孟司氏との対談で興味深いことをおっしゃっていた。心に残ったので要点をノートに書き写していたのを思い出した。現代音楽の傾向について、不協和音の音楽が今や大半で、現代音楽家は感覚より意識で作曲していると。自分のために作っていて自分だけで完結しているから、聴衆は離れていくということだった。これは全く現代詩に通じると思ってメモしていたのだろう。感覚より、意識、それはおそらく世界的傾向で、その意味で言えば現代音楽も現代詩も世界に伍していってい

          続荒川洋治『真珠』に挑戦するの記

          荒川洋治 『真珠』と格闘する

          荒川洋治氏の最新詩集を読む,いえ,読もうとしている。あまりに読めないので現代詩手帖の12月年鑑の佐々木幹郎,藤原安紀子,石松佳三氏の鼎談を参照しながらよんでみた。分からない。このわからなさは,私の理解力の乏しさによる。それは確かなこと。この詩集が近年稀な、画期的で詩の愉しさを十分味わえる詩集であるとされる藤原さんの読み,背景を示唆する佐々木氏の解説でようやく掴んだこと。 それはこの詩集が現代詩の最先端,最前線,独走するトップランナーの総集編だということ。荒川洋治氏は,叙情を否

          荒川洋治 『真珠』と格闘する