老いの歌

これから日本を待ち受ける高齢化社会の問題。何にも世の役に立てないけれど、若い時思い寄らなかった老いの現況を、作品にしていこうと思い、このような詩を書きました。

老老ロード                      桜塚ひさ
 
 
 おとなりも老老
お向かいも はす向かいも
三軒どなりも老老介護
わが通りは老老ロード
救急車がひんぱんに来る
 
老いは力仕事である
冷や汗をかいて動かない重い体を転がすこと
そして予期不安と闘うことである
 
老いは悲哀の仕事である
隣家の老女が
二階の小窓から蒼白の顔を出し
か細い声で 助けてぇ 助けてぇ
と呼ぶのに耐えることである
 
老いは発達心理学のテーマである
しばしば過去の集積と向かいあい
自分を恥じたり憐れんだり
この道はどこまで続くのかと案じたり
それでも
心は円熟の月が見たいと希むのだ
 
深い雨夜
老老ロードを救急車がゆく
さあ これから関門海峡を渡るのか
はたまたカルパチア山脈を越えるのか
 
老いは未知の地への探検である
 
 

 これが私の日常です。不安と隣り合わせで暮らしています。恐怖とも闘っています。お隣の老女のホラーじみた声が恐ろしく、雑草取りに庭に出るのが怖いのです。3年前越していらしたときは普通でしたのに、今は毎日ひっきりなしに、やめてえ、助けてえ、という叫びが聞こえます。認知症というわけでもなさそうですが、私を庭に見つけると、ほあー、とか、ひえーとか奇妙な声に続いて何か話しかける風なのです。よくお頼みする大工さんや夫が庭に出たときには絶対出ないので、私に相手してほしいのかも。でも、病中の夫の介護で一杯の私にはその余裕が、ない。。。。以上に、怖い。いつ出るか分からず、すっかり変わってしまったお顔も声も不気味で怖いのです。どなたか通報されたらしく、パトカー数台と警察官が10人ばかりも来たことも。でも事件性はないと帰って行きました。
これが、老いと老いの日常です。老人ホームなどではきっともっといろいろなことが起きているんでしょうね。受け止めて、でも怖がらず、いなせないといけないと思っていますが、心の余裕も自分の時間も殆どありません。子育ての時も自由はありませんでしたが、今の不自由とは気持ちが違います。世の全ての介護中の皆さん、こころから尊敬します。隣家の、高齢の娘さんには特に。

このような作品を書く事が、心の開放になっています。