現代詩手帖12月号年鑑を読んで


現代詩手帖12月号年鑑の2023年代表詩篇を読んでいる。現代を代表する詩人130人が選ばれその詩人の1年のベスト作品が掲載されているのでしょう。が、そのほとんどに何の感興も覚えなかったことに衝撃を受けている。自分の鑑賞能力も疑っているのですが、谷川俊太郎、平田俊子の2氏の作品にはいつも期待を裏切られたことがない。が、その二氏以外では3,4篇の作品しか心に響かなかった。とても長い、長すぎる作品が多く、何か言いたいことがあるのだけは分かるが、表現を一ひねりも二ひねりもしてあるので、容易には伝わってこない。ストレートだったり直叙だったりする作品は、ひとつもない。ここにどんな暗喩が仕掛けられているか、私などは余程注意深く読まないと分からない。その根気がないし、いかにもプロっぽい作品でとても解凍できない、という無力感が湧いてしまう。比較的短く分かりやすい作品もあったがそのひとつ、弁護士詩人の中村稔氏の作品など、呆れてしまった。このような優秀な頭脳を持ち詩歴が長く素晴らしい詩評論を量産している詩人にして、作品となるとこんな自分が世界の中心であるかのような視点しか持てないのかなあ、と。メタ視点がないとモノやコトの本質には迫れない。詩は短い言葉で本質に迫るものだと思うゆえ。著名度に惑わされるまい、と思ったことです。
 そうは言っても、大きな賞を受け、今最も注目されている詩人の作品は、分からずとも解読してみたいし、その必要があると思う。自分がリアリズムの作品しか書けないから。四季の詩人たちが好きで抒情的な詩を最高と思っているから。違う次元の作品を読み解き,そんな詩を書けなくても書きたくなくても、どんな技術が使われているかを知りたいと思うから。
 谷川俊太郎氏は作品の優劣をつけることを肯定されず、結局は好き嫌いだという意味のことを書いていらっしゃる。詩はおいしい、おいしくない、という基準で評価していいのだ、と。そうと思います。私には商業詩誌二誌に載る投稿詩は全くおいしくない。おいしくないどころか不味いのです。作者と読者という関係にも相性があり、それがすべてではないかと思う。