100人の詩人たち

「青い凪」の会による『凪組Anthology2024』というアンソロジーを読んだ。凪の会というのは、ネット、それもXに詩を投稿していた方々が集まって作った同人誌であるようだ。その会の主宰者の石川敬大さんという詩人が一念発起して創られた100人のネット詩人によるアンソロジーである。私はネットに投稿はしていないし、その会の存在も知らなかったものですが、欠員が出たことを偶々知って参加させていただき、100人の詩人のひとりとして作品を掲載していただいたのです。石川氏の大変なご苦労の上、出来上がったこの詩書をとつおいつ読んでいる次第。作者の年代も詩歴もまちまち、いろいろで、従って読んでの感想もいろいろ様々である。プロ、、、と言っても何をもって言えるか分からないのですが、新聞や雑誌に作品を発表している方、なにかの賞をとられた方などをプロの詩人として、そういう方々の高度な喩を駆使した作品群と素朴に思いを書きつづった作品群と、奇抜で前衛的ないかにも現代詩という作品群などなど、同列に並んでいて壮観である。その中に恥ずかしながらおずおずと、私の古風な詩も、混じっているのです。
自分をおおいに棚に上げて言うのですが、正直、私が名を知っているような詩人以外の方々の作品には心に響いた作品は多くなかった。技術はなくても切実な、書かざるを得なかったという作品や、特殊なアイデアで面白い作品もあったし、もっともっと深く詳細に読まないとほんとは分からないのかもしれないけれど、読者のことを全く考えていない自己満足的な作品が多いと感じた。自分を、自作を客観的に見ることができないといい作品にはならないのだな、と、これは自戒でもある。唯誰かに認めてほしいために言葉にしたのかな、と感じた作品が目についた。
ただ、それであっても全作品が、その詩人だけの唯一で独自で果てのない心の宇宙の産物なのだ。だから響き合える心も、まったく響かない心もあるのは当然なのだ。技術とか言葉の選び方とか、テーマとか主張などの功劣とか、賞の選考で考えられる項目を抜きにしたら、私の心に響いた詩が私にとっていい詩なのだという平凡な結論に至った。
同時に自分の詩風も自覚せざるを得なかった。私には幻想の詩は書けない。あくまでリアリズムをベースにした抒情詩を書いているので、非日常性や想像や幻想を暗喩として何かを伝えるという詩は書けない、ということを自覚して、ちょっぴり残念でもあります。