P.7|鯨めぐり(青森県青森市〜八戸市〜岩手県洋野町)
三陸沿岸部〜北海道沿岸部の漂着鯨にまつわる記録や伝承の連なりが気になって、調べている。
特に、鯨がイワシやニシンを連れて来る漁業の神と結びつけられる話の数々。それは、全国一律に「捕鯨は日本の文化」と語られるようになった時代以前の、土地に根ざしたものの見方のような気がする。
8月最終週末、青森県青森市〜八戸市〜岩手県洋野町の旅記録。
1. 諏訪神社(青森県青森市栄町)
陸奥湾に流れ込む堤川の河口近くにあるこの神社には、祭日にイルカの群が川をのぼり参拝するという伝説がある。
かつては神社が今よりもっと下流の、河口付近の中州にあったそうだ。拝殿の中にイルカを模した「ねぶた」がいくつも置かれていた。例大祭の日にはねぶたに灯が点されるそう。見てみたい。
手水もイルカ。
お守りにもイルカ(尻尾がちょっと魚っぽい…!)。陸奥湾では今もイルカやクジラがやってくるらしい。
2. 稲荷神社(青森県青森市桑原)
この場所は「鯨森」と呼ばれていたらしく、気になっている。今後調べてみよう。鳥居の注連縄は「じゃんばら」という、青森県で作られる独特の形。輪っかが連なって網目状になっていて、ここから違う世界なのだな・・・と、どきどきしながらくぐった。
3. 西宮神社(青森県八戸市)
このあたりの地名を「鮫」という。その昔、鮫の沖に毎年姿を現わす鯨がいた。その鯨が現れるとイワシが大漁となった。鯨は「八戸太郎」と名付けられた。ある時、八戸太郎は熊野灘で銛を打ち込まれ、弱りながらも泳ぎ着いた鮫の海岸で息絶えて石になったという。それが、この石。
八戸太郎の「くじら石」は下部が地面に埋まっていて、どれほど大きな石なのかわからない。足幅で測ったところ、地上に出ているのは6〜7メートルくらい。
太い方の形状は、どこか鯨を思わせる気がする。埋まっているから、神社が鯨の上に建てられているようにも見えてくる。
他にも、まだ新しい石造りの鯨。
「蕪嶋神社」がある蕪島はすぐ近く。2015年に焼失した社殿も、昨年再建された。
社殿の脇に、海を眺めるように小さな石造のイルカがいた。
神社を下ったところにある蕪島休憩所では、蕪島の歴史などパネルで紹介されていた。休憩所にいたスタッフの方と話していると、昔、八戸の白銀という地区に鯨の骨でできた「くじら橋」があったという。
その後調べてみたら、「八戸88ストーリーズ」の記事を見つけた(「くじら橋の伝説」)。1681年に八戸湾に打ち上がった、36頭のマッコウクジラの骨を利用して建てた橋だったという。
かつては蕪嶋神社の近く、恵比寿浜に東洋捕鯨会社の解体場があった。その当時の処理方法では鯨の血や油が海に流れ出し、贓物が近隣沿岸部まで流れ着いたという。そして、1911年。鯨の血や油で海が汚れ、イワシの不漁も重なり漁民たちの怒りが頂点に達した。漁民たちは集結し鯨解体場を襲撃。東洋捕鯨鮫事業所焼討事件として知られている。今では解体場の名残も無い。
4. 鯨州神社(岩手県九戸郡洋野町種市)
1818年、種市の八木から八戸の白浜までの間に、118頭の鯨が打ち上がった。角浜の人たちは鯨を授けた神様に感謝し神社を建立したという。
昔はもっとたくさんイルカやクジラがいて、頻繁に漂着したのだろうか。自然が変化するスピードと、人の自然観や語りが変わるスピード。歩みは同じではないのかもしれない。
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