『七十二候』蛙始鳴‥かわずはじめてなく
「蛙始鳴‥かわずはじめてなく」
5月5日から9日頃
二十四節気では立夏となり蛙が鳴き始める頃となりました。
子供の頃、どこからともなく聞こえてきた蛙の合唱も、今となっては懐かしく。この記事を書くにあたりその鳴き声を確かめたくてYouTubeで検索し聞いてみたほど。
わたしの記憶の中ではグワッグワッと鳴く日本アマガエルの鳴き声が、一番しっくりくるのですが鳥のように高く美しい声で鳴くカジカガエルの声もとても魅力的です。
今年の夏はエアコンをかけたまま、閉めきるのではなく、窓越しにカエルの鳴き声に耳を澄ましその違いを聞き分けてみたくなりました。
ちなみにケロケロと鳴く蛙は居ないようですが
聞こえ方には個人差があるので人によってはそう聞こえなくもないのかもしれませんね。
「わたしが聞いている音」と「あなたが聞いている音」。同じ場所で同じ音を聞いていてもそれは同じではなく、耳から入った振動はひとりひとりの脳の中に蓄積されているデータと照らされ認識しそして「音」となるのです。
視覚も嗅覚も同じようにひとりひとり違い、同じものを見ていても本当に同じように見えているのか、匂いを感じているのか‥
そしてそこから
何を感じ、脳で何を受け取るのか。
そのすべてを知りたくても
確かめることはできない。
当然のことなのですが改めて思うとなんだか不思議で‥。カエルの鳴き声からそんな事を考えたのでした。
さて、五月と聞いて浮かぶのはどんな景色でしょう。鯉のぼりが空を泳ぎツツジや藤の花が咲く爽やかで過ごしやすい季節となりました。
夏の始まりでもあるこの時期、わたしは緑を求め山へと車を走らせたくなります。
空気も空も、青々とした木々も皆、この時を待ちわびていたかのように生き生きと光輝き、そこからたくさんのパワーを感じることができる気がするのです。
5月の季語に「風薫る」という言葉がありますが、まさに青葉の季節に風が吹きくそんな様子は清々しく優しい季節。
わたしは特に青もみじが好きで、風に乗り葉っぱがさわさわ音を奏でる‥そんな瞬間を目にすると何か新しいことが始まりそうな予感さえしてくるのです。
私事ではありますが、ここ数ヶ月心が落ち、苦しい日々を過ごしていました。
次から次へと起こるトラブルに精神が参っていたのかもしれません。負の連鎖に陥り、抜け道も光も見えずなんのために生きているのだろうと生きている意味を問いただすような時間でした。
気持ちが少し落ち着いた今思うのは、
そんな連鎖を引き起こしていたのは自分自身の心だったのかもしれない‥と。
ひとつの出来事に囚われるあまり、物事すべてをネガティブに考えるようになりため息ばかりつき、そこからまた新たなマイナスの種を生みまた落ち込み‥。
そんな心では、何かを学ぶことも移り行く季節も、目に映る花たちも‥霞んでしまう。
でも、抱えていたものをひとつ‥
またひとつと言葉にしていくなかで思い出したのです。
負を引き起こすのも自分なら、そこを抜け出すのも自分であり、起こった出来事も何もかも誰かのせいではなく自分自身の心次第なのだと。
自然がくれる力は偉大で、日々の疲れも悩みも
不安も‥吸い込まれていくような空の下緑ならきっと前向きになれる。
光溢れるこの季節、楽しく心穏やかに過ごしたいですね。
photoAC
『三月と九月』からお引っ越しをし、こちらの方で七十二候についての記事を書くことにしました。七十二候の記事の中で使用している写真はすべて写真ACからのものとなります。
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