見出し画像

これまでと、今と、これからと。

これ一つで「桜田 真碧」と「家と晴れ|さくらだ写真館」について なんだか少し詳しくなれちゃう仕上がりを目指して、ぎゅっと詰め込んでみました。

こちらの note には、私がラジオでお話しした内容をなるべくそのまま、話し言葉らしい表現も残しつつまとめておりますので、お好きなスタイルを選んでお楽しみください。



今回のラジオでは、多くの方がなるべく聴きやすいようにと普段よりも速く話す意識をしたり、標準語を維持したりしながら録りました。もう少し素に近い私の様子は、過去の放送回からお聴きいただけます。



桜田 真碧について


こちらは、私の本名です。自分でもお気に入り。
1998年9月2日に生まれているので、先日25歳になりました。応援してくださる皆様のおかげです。いつも、本当にありがとうございます。

この先で私のことには多く触れるので、あっさりと次に進みますね。


写真家として、何をどう撮っているか


私は、自分の人生 を撮っています。

いつの私が、どこにいて、何を感じて、何を見て、それをどう捉えたか

というものを、ずっと死ぬまで撮り続けるつもりです。そのなかで予測できない出逢いや出来事がもちろん沢山あって、それも “私の人生の一部” として大切に残しています。
つくって撮る、例えばセッティングして、イメージをガチガチに固めて「作品撮りです!!!」というスタイルではなくて、本当に私が「あ、撮りたい」「いま撮ろう」となった時に偶然撮れたものが、私の 最終的に “作品” と呼べる状態のもの になって Instagram に投稿されたりだとか、それがどんどん集まって個展を開催したり、写真集にまとめたり。そういったスタンスで、これからもずっと撮ってまいります。


いまの私がどのように発信しているか


Instagram のアカウントが、桜田 真碧としては2つあります。
作品を載せていくものと、私自身についてを載せるもの。後者は、人間としての私をもっと知りたい方に向けた内容になっています。

なぜ わざわざ2つに分けているか
作者の姿を見たくない、作品だけを見たいという方の目に情報が入らないようにするためです。そういった方々にとっては、私の人間らしさが感じられる内容の発信は必要のないものだから。その意図を不意にお邪魔してしまわないように、私自身が載っているアカウントは非公開にしてあります。

なぜ 私自身の発信をするようになったか
先述にもあるとおり私は 自分の人生 を撮っているので「私」と「私の作品」とは 切っても切れない関係 です。私がいるから作品が生まれて、私の作品があるから私が生きていて────。そういう意味も込められた状態で発信している以上、私の作品を本当によく丁寧に深く捉えようと向き合ってくださっている方にとっては、私の情報もあったほうがより味わい深くなるかな、と考えて作りました。
私の非公開アカウントのハイライト「はじめに」には書いているのですが、実は私は「私自身を載せること」があまり得意ではありません。作品を載せるのは好きだけど、私自身のことになると「本当に見たいかな?これ」「見て嬉しい人がいるのかな?」と考えてしまって。「自分を良く見せるんだ」「見て見て」という気持ちがあんまりなくて。
それでも、作品をより深く愉しんでいただくためという目的があるし、あの非公開のハードルを超えてフォローしてまで見たいと思ってくださっている方々のことを考えて、私は「そろそろ更新しなくちゃな」と思いながら動かしています。

作品と私を分けてはいるけど 本来は一体のもの なので、どこまで作品をどう捉えたいかによって決めていただく感じですね。どう楽しみたいかによって使い分けてください、というスタイルをとっております。


展開している、生涯密着型の撮影サービス


家と晴れ|さくらだ写真館

ケとハレ、と読みます。

語源は「ハレとケ」
日本人が持つ伝統的な世界観・概念の名前で、ハレが非日常、ケは日常を指します。その順番を入れ替えて、私は「ケとハレ」にしたのです。
なぜなら、私にとっては “日々” つまり “ケ” がとても大切だから。
おめでたい場面の写真は積極的に残したくなるものですが、私たちを取り囲んでいる日常は残らない。おめでたい日ではない日こそが “人生” なのに、そのままの温度では残らないじゃないですか、なかなか。私はそれが結構悲しいなと思っていて。
私が自分自身の人生を撮っているように、ご家族や恋人、ご夫婦、一人の人間、生きてくださっているお方に「日々を切り取る力」を使うことができたら────私の力を使うことができたらすごく素敵だなと思って、そういったサービスを開始いたしました。


なにが「桜田 真碧」を形成しているのか


私のことを人間的に、だいぶ割愛しながら、でも伝わるように話してみます。

私は青森県の津軽半島、左側のずっと北にある外ヶ浜町というところで生まれ育ちました。そのなかの平舘(たいらだて)という地域です。すごく小さな町で、コンビニがまず無くて、商店が3つあります。地域に古くからある商店です。このお話からも大体予測できると思うのですが、人数がすごく少ないです。一学年が10人を超えていたら「うわあ多いね!」となるような感覚。
保育所から中学校まで、私はその地域のなかで勉強をして、部活もして育ちました。人数が少ないから、あらゆる選択肢がすごく少なかったんですね。選ぶには少ないわ強制参加だわ。全てに参加しなくてはいけない。何かしらの役割を一人ひとりが担って、それを上手くこなして、協力して、先生方にも助けていただきながら、他者に自分の意見を伝えられるようにみんな育ったと思います。今では感謝していますね。不自由を感じることのほうが多かったですが、その分 “自分” という存在と向き合う時間が割と多かったかなと思います。関わる人が少ないからですね、楽しかったです。

私が写真をカメラで撮り始めたのは、高校3年の晩夏でした。つまり、進路が決まっていました、その時。私は好きなものが英語だったので、外国語科に進んで、その後「小さな子に英語を教える資格を取りたいな」と思い保育専攻のある大学に進んだんですね。その推薦が決まったあとに私は写真を撮り始めたので「写真のことをしたかったな…でも保育に決めちゃったな…」となりました。でも、その学校に通いながら、保育を学びながら、そんななかでも個展をさせていただいたりグループ展にお声がけいただいたりして。写真の活動をずっと続けていて、そこで「あ、やっぱり私にしか撮れないものが確実にあるな」と思いました。直接 私の写真を観てくださった方々の言葉があったから、そういった自信に繋がって、そこからいよいよ私が “あること” を始めます。

2018年4月から2019年3月まで、母校・外ヶ浜町立平舘中学校に密着撮影をしました。子どもの減少によって閉校することになったんですね。取り壊されるのではなく、学校としての役目を終えることが決定したのです。
そのとき私は大学2年生の年でした。保育専攻がそもそも2年制なので、実習三昧の、もう資格取得に向けていっぱい物事がぐわあっと動く年でした。それでも「私が撮らなきゃ後悔する」って、すごく強く感じたんですね。「無茶かもしれないけど、でも私にはできる。むしろ私にしか無理」と思いながら、先生方にまずはプレゼンをしに行きました。アポイントメントをとって、校長と教頭を前に、資料を広げて。
私、大っ嫌いだったんです、自分の故郷。でも、卒業して「ああ 私は本当に恵まれて育ったんだ」ということに気づいて。そのとき私の手元にあったのは、業者の方が残した形式的なアルバムだけでした。“当時の本当の私” は、そこにはいませんでした。
そういったことを私が中学卒業後に実感して、平舘中学校の最後の卒業生になる子たちにとって、それはあってはならないな と。私が彼らの日々を撮って、それがそのままの温度でずっと残るような、そして、たとえ彼らが今は平舘のことが好きじゃなかったとしても、いつか「ああ すごくいいところだったなあ、すごく恵まれて育ったんだなあ、僕たちは」と思えたときに、そのままを振り返られるように、とにかくそれを私が実現させたくて、行動しました。
「行事も撮りますが、それよりも日常を、普段の彼らを 多く撮りに来ます。」
そのまま、生徒たちにも PTA の方々にも一つひとつ大切に伝えました。

もちろん肖像権だとか、今後色々なことが起こるかもしれなかったので、そちらも書類を作って、お世話になった先生方のお力もお借りしながら、皆様にお配りしてサインと印鑑をいただいて。そうして沢山の方々のご協力のもと撮影を全うしました。また、個展の開催や写真集の制作、各メディアでの取材などを通して『平舘』がより永く人々の心に残り続けるよう努めました。

こういった経験をして、卒業するときに「やっぱり今は保育士ではない」と。資格は取れたけども今じゃない、と思いました。
一番 人生で貴重なもの って “時間” ですよね。
私は “時間” だと思っています。“時間” を一番に考えた時に、写真をやりたい、ってすごく思いました。「私は写真の道に進みたい」と思って、ある有名な写真家の方のアシスタントにダメ元で応募しました。そして、すごく高い倍率のなか面接に呼んでいただいて、その面接で採用していただいて。労働のための拘束時間や金銭面なども含めかなり厳しく過酷な条件だったのですが、なんとか両親を説得して「今しかできないから、私に挑戦させてください」と強くお願いをし、青森を離れて東京に出ました。
そんなこんなで色んなことがあったんですけど、そこで私がアシスタントのお仕事と当時の日々の出来事などからも影響を受けて、声が出せなくなったんですね。後から判明したことですが、心因性でした。お薬では治らなかったです。
アシスタントもその時に見切りをつけて辞退し、それからも本当に色々なことがあったのですが、今こうして写真家として活動しています。


叶えると決めていることと、その先


私には、叶えると決めていることがあります。
それは「生涯、写真を撮り続ける」ということ。

撮り続けてどうしたいか。
私の命が終わっても、作品って残るものですよね。インターネットならインターネットに残って、作品としても知られたまま消えるじゃないですか、私が。どんな形でこの命を終えるかはわからないけど、いつか終わったときに、私の作品やそれに込めた想いだけはずっと残るし、その残ったもので 私がいない時代を生きる一人 が辛いとき、苦しいとき、もう生きていたくないのに生きなくちゃいけない、生きる楽しみがわからない────そういった気持ちになっている方が私の作品を見つけてくれたらいいな、と思っています。
だから、私が撮り続けるのは、思いっきり長い目で見て私が思っている目的というのは、自分のためとかではなくて、本当に “生きるのが苦しい方” のため。私は、そのために撮りたいんですね。もう少し生きてみてもいいかなって思うきっかけで在りたいんです、私の作品たちが。
それも、私が苦しい時代とか、辛い出来事がたくさんあって、そのときの私を救ってくれたのが “写真” で。“私が写真を撮ること” で、私は前を向いてきたんですね。
だから、そうやって前を向くきっかけとなった自分の “写真を撮る” という行動を続けていって、それがどなたかに届いて、一人に届いて、その方がまた何か生きることにおいて発見があったりとか、ちょっと幸せが増えたりとか、そんなことに繋がればもう本望です。私はそれ以上は望みません。だから撮っていきたいんですね。
そうやって、撮っていくこと、自分の人生を撮ることに加えて、私の出逢う方々、
私の撮る “日々のフィルター” を自分の日常にもかけてみてほしいな、という方
私の視点で、私の感情で、私の積み重ねてきたものをもとに、目の前にいる方を撮る、ということがサービスの一つとして出来上がったばかりで。そういった形でどんどん巻き込みながら、私を必要としてくださっている方と一緒に、私はこれからも写真を撮っていきたいですし、そういった覚悟を持って、毎日生きています。


私の人柄について


これは、ラジオで大体わかるかなと思います。声って結構その人が出ますよね。声と、話し方と、話す内容と、言葉遣いと。
そういったことを踏まえて、ラジオが “私を表現できる一つの方法” であり、それでいて皆に強要する形でもないので、選んで聴いていただけていいなと思います。
そのほか Instagram のハイライトなど各所に散りばめてありますので、もし気になりましたら探検してみてください。下記ページでも、実際に私と関わってくださった方がどんなふうに「桜田 真碧」を捉えてくれているかを読むことができます。


後天的に身につけたものが多いからこそ


私けっこう愛嬌がたっぷり備わっているんです、実は。本当にずっとにこにこしてるんですね。口角上がりまくりなんですけど、それでも本当に最初からこんな感じではなくて。人見知りもすごかったですし、自分の姿も好きじゃなかったです。全然好きじゃなかったです。だけど、私 負けず嫌いなので、負けたくなくて。自分を好きじゃない自分が嫌 だったんですね。それを変えたくて、とにかく変えたくて、メイクやヘアスタイル、お洋服も、すごくお勉強しました。私はどんなお顔立ちで、何が似合って、どんな魅せ方・立ち居振る舞いをしたら最も魅力的か────すごく突き詰めました。
それでやっと “いまの私” が出来上がりましたし、これからもどんどん色々と進化していくと思います。そうやって後天的に身につけたものが私は多いんですね、とても。だからこそ、私の今の信念があったりとか、“日々を残したい” の他に
私の「自分が嫌だった」「嫌だった自分を好きになった」という経験をもとに、その感覚を私と関わる方にも体験していただきたいというか、体験を私がプレゼントできると思っていて。私、本当に写る方のこと、目の前にいる方のことを本当に「美しい」と思いながら撮っているんですね。魅力を見抜くのが得意だと思います。その方にしかない魅力がわかります。
それを私が感じ取って、伝えて、写真にも収めて、写真という形でお送りして、それでその方が自分自身のことをもっと好きになれたら、すごく私も幸せだなと思って撮っています。このことも、直近で8月に写真のご依頼をくださった女性のお方が伝えてくださって。「まおさんは、写る人の唯一無二の魅力を見つける天才です」と伝えてくださったのが本当に嬉しくて。もう本当に本当に、今でも、これからも私の力になっています。この場でもお礼を申し上げますね。本当にありがとうございます。

すっごく長くなって、もうどうしよう。
ここまでお話しできると思っていなかったです。

本当に “いまの私” は、過去を乗り越えて、経験から学んで、それを自らの価値観に反映させながら、今日という日を生きています。
私が発信している内容というのは、決して「過去も私はずっと綺麗な人間でした」「生まれてこの方ずっと清き人間です」と言っているわけではないのです。色々ありながら “いまの私” がいて、その色々なことを乗り越える過程で、私のなかの やさしさ や 思いやり を私自身が育ててきました。だから、“いまの私” だから出来ることだったり撮れるもの、届けられる作品というものがあります。それをこれからも楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。それが “画面越しに作品を観る” でも、“依頼をする” でも、“作品集を手に取る” でも、どんな形でも構わないので。
本当に 私を好きだと思ってくださる一人ひとりの存在が、その皆さんが生きていてくだされば、それが嬉しいです。ほんとうに。


最後に


とっても長くなってしまいました。それでも最後まで聴いてくださり、丁寧に読んでくださり、本当に、本当にありがとうございます。
メール、DM、stand.fm 内のレター機能などからご感想やご質問を届けてくださる皆様、いつもありがとうございます。いつでも「送りたいな」と思ったらお送りください。どれも私は大切に読みますので、お好きなように、伝えたくなったら伝えてくださいね。


これからも、愛を込めて。





ご感想は勿論のこと、「見てるよ!」「応援してるよ!」の一言だけでも、ものすごく嬉しいです。いつも、本当にありがとうございます。