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"松本人志"を30%インストールしたい。

ロールモデル、という言葉がある。
言動や振る舞い、キャリアなどにおいて、自分にとって参考になるような人のことだ。

自分で勉強したことをもとに動いてみるよりも、誰かの真似をした方がうまくいくということはよくある。私がそのことにはじめて自覚的になったのは中学1年生で、スラムダンクを読んだら急にバスケが上達したときだ。

人生を振り返ると、私は結構人の真似をするのが得意で、自己流ではうまくいかないなと思ったときには、誰かを自分に憑依させることで生き延びてきた。

そして今、私が生き延びるために必要なのは、「松本人志」なのではないかと思っている。

きっかけは、もう数年鬱病の友達が、
「自分の中に松本人志とかインストールすれば生き残れる感覚はあるんだけどそれは抵抗あったんだよな」
と言ったことだ。

私も去年、大学院でイロイロあって、「研究棟の手前まできて、足がすくんでしゃがみ込んでその場で1時間号泣して結局家に帰る」「5時間毎にどうしようも死にたくなって号泣する、という状態が1ヶ月以上続く」「お腹が空かない、ベッドから起き上がれない状態が数ヶ月続く」というところまで精神を病んでしまった。3,4ヶ月完全に休むことができたので、今では突然泣いたりしないし朝も起きられるようになるまで回復した。ただ、また研究をし始めたので、今度こそはメンタルが死なないような対策をする必要がある。
そこで、この、友達が言った松本人志を自分にインストールしたら鬱(適応障害)が治るのではないかという仮説を試してみたい。

※注意※私は水曜日のダウンタウンは観るけれど松本人志の『遺書』は読んだことないくらいの知識だし、彼の全部を知るわけでは全くないので、これから話すことは私の中の勝手な松本人志のイメージ像になってしまう。だけれども、インストールしたいものが綺麗にイメージできれば本当の松本人志がどういう人かという議論はこの試みにおいてはどうでもいい。

私のイメージする松本人志は先天的なものを信じる人間だ。

例えば、ワイドナショーで凶悪犯罪者に対して「人間が生まれてくる中で、どうしても不良品っていうのは何万個に1個、絶対に(生まれる)。これはしょうがないと思う。」
と言っていたらしい。これは、犯罪者とか弱い人間は先天的にそういう気質を持って生まれていて、環境とか教育とかじゃどうしようもない部分が大きいと思っているということだ。

そのほかにも、親ガチャに対しても「それ言い出したら、全部がガチャ」と否定的な態度をとっている例などから、彼は「すべては先天的に決まっている」というスタンスで生きているように見える。

その例としてさらに私の記憶に残っているのは、成功者としての自分自身についても、「デビューしたときから自分の“最終章”で売れるとこを読んじゃったのよ。だから面倒くさくてしょうがなかった、もう結論が見えてるので。『早く、俺知ってるし、最後』っていう。」と語っていたことだ。
売れた後にこの発言する人間、なかなかいないぞ、と衝撃を受けた。「もちろん努力もしたけど環境や運が良かった」とか嘘でも言う人の方が多い。

でも、志を持った人間が生きていくためにはある程度松本人志みたいな思考が必要なのではないか。

自分の成功は、運や環境、これまでの努力によらず、自分の根源的なものによって必ずいつか達成されると信じる強さ。他人の失敗は、その人の根源的なものだと信じる愚かさ。内省能力は弱くなるけれどこの方針だと折れない。

私の鬱の原因を一言で言えば、自分の理想と現実との乖離から生じる不安が巨大化しすぎたことだ。しかし松本人志のスタンスを取り入れれば、今の自分も過去の自分も未来の自分も全て確率的ではなく決定論的なものだといえるので、不安自体が無駄だという結論になる。

松本人志が、もし統計学者だったらきっと、ベイズ論者ではなく頻度論者だっただろう。私の勝手な統計学者へのイメージだけれども、頻度主義の人は「多少のばらつきくらいはあるが、あくまで真の結果は大体先に決まっている」みたいな気持ちの人、ベイズ主義の人は「人生は自分の選択で決まる!」みたいな気持ちの人。
例えば、私の身近にいる頻度論者Aさんは決めつけでものごとを判断することが多いので決断が速い分仕事が速かったり、人が就活についての不安を話していたら、「大丈夫ですよ。人は最終的にその人の能力に従って落ち着くとこに落ち着きますから。最初の選択とかはあまり気にしなくていい。」などと言って励ましたりする。
一方で、私みたいなベイズ主義(私は本来の意味でベイズ主義なわけではないです!比喩です!ベイズ分からないです!)の人は、偏見が少なくて自由度が大きいけれど内省的でネガティブなことも真っ直ぐに捉えるので人からネガティブな人間だと思われてしまう。

志の高いタイプがベイズ主義者だと、自分の選択の結果が理想との距離を作ってしまったと思い辛くなってしまう。だから、完全に松本人志になるのは嫌だけれども、30%くらい憑依させることで鬱を克服したい。つまり、

修士号は、頑張っても頑張らなくても何があっても来年の3月に取れる!その後の人生も上手くいく!と信じる!

ことにする。

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