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できれば意味不明な芸術家になりたい。

「○○大好き。このメンバーで本当に良かった!!またいつかこのメンバーで遊びに行こうね✨✨」

Instagramの投稿に添えられた文章は、大体みんなこんな感じ。私もInstagramはもう5年くらいやっているけど、こんな感じ。

「ザ・普通」「何のひねりもない」文章。でもそういう文章を書いていられるのは、それでなにも困ることがないからなんだと思う。別に、Instagramの投稿で恋愛ポエム並みの熱い想いを書いても仕方ないし、書こうと思っても書けないし。

でも、はじめて、好きになった人にフラれた時、どうして自分の気持ちがこんなにも相手に伝わらないのか、意味不明で、気づいた時には、なぜかTwitterを始めていた(大学一年生)。Twitterぽい名前のアカウントを作成し、もちろん鍵を開けて、テキトーにどっかの大学の哲学科の人とかをフォローしたりしてみて、それで、少しずつ、自分の気持ちを言語化してツイートしはじめた。

その次に好きになった人がいて、「その人に自分の気持ちをちゃんと言語化して伝えなければ!」という必要性に迫られた時、私はブログに手を出していた。書けば書くほど、彼は「面白い」と褒めてくれて、だから頭おかしくなるくらい書いて、そしたら文章は上達して、ブログの読者も着々と増えたけれど、結局その人ともうまくいかなくてすぐ別れてしまった。あんなに書いたのに、彼に私の気持ちは伝わらなかったのかしら。

私は、もう、文章上手くなりたくない。これ以上文章上手くなりたくない。そもそも文章を書くのは大の苦手だったし、高校生の時まで作文とか褒められたことなかったし、むしろ、中学入試の作文は平均点以下だったし、ここまでnoteの読者が増えるほどの文章力持っていないと思う。どうしても伝えたくて、辛くて辛くて仕方ないと思っていることがあったから、そのために、書いただけで、そういう風にしか文章書くのを頑張れない。「〇〇大好き!」とかいう単純な言葉では伝わらないな、仕方ない、もう少し具体化するか...と思った時しか、頑張れない。

つまり、「相手に私の気持ちなんてどうせわからないだろう」という感じで、人を信用していない時にしか私は文章を書けない。別にそれは恋焦がれている人に対してだけじゃなくて、このnoteを読んでいる読者のことだって、私は全く信用していない。わたしは、自分の言葉に、解釈の余地を与えたくない。「時田桜の文章にはいろいろな解釈があるよね」とか言われたくない。わたしの言いたいことは、わたしの言いたいことの一つしかないから。だから、わたしの言いたいことが、他人にそのまんま伝わって欲しいと願いながら書いている。どうせ「○○大好き!〇〇と旅行に行けてよかった!」じゃ、他人にはなんにも伝わらないって、他人のことを舐めているから、もっと具体的にわかりやすく文章にする必要があると思って書いている。そうすると、上手に書ける気がする。

他人を舐めながら書くっていうのは、たぶん、少し人に対して絶望しながら書いているっていうことでもあると思う。どうして、こんな、みんな、バカでアホなの、ちゃんと読まないの、伝わらないの、どうして不自然なエモさで塗り固められたわかりやすいけどくだらない文章ばかり読むのって。

たまに、「美術館好きそうだよね」「文学少女っぽいよね」みたいなことを言われたりするけれど、私は美術館も小説も何が面白いのかあんまりわからない。美術館なんて、「なんでこんなに人が溢れ返ってるんだろう」って、誰かに誘われてどこかしらの展覧会に行くたびに思うし、ほとんどの小説だって何が言いたいのか良くわからない。

抽象的すぎる絵画や小説や歌の芸術作品を見ていて湧いてくる私の疑問は、「どうして、世の中のアーティストたちは、あんなに、受け取る側に解釈を任せる作品を作れるんだろう」ということ。大体、私には、芸術家のつくる作品の良さが全然伝わってこない。ほとんどの小説も、私には面白さが伝わってこない。きっと何か伝えたいものがあるはずなのに、なにも伝わってこない。私はおかしいのかしら。私は山田詠美という作家の小説は大好きだけれど、彼女の小説が好きな理由の一つに、「解釈の余地が狭い」っていうのがある。彼女の小説(特に短編)には1ページ1ページに、メッセージが込められているのが分かる。何度読み返しても、見開き1ページを20分くらい眺めていても、感動し続けられるくらいのメッセージが、ちゃんと込められている。解釈は人それぞれというけれど、解釈の余地を残すなんて、それは私は、ただの芸術家や小説家のサボりだと思っている。サボんなって思う。解釈の余地がないくらいまっすぐちゃんと伝えて欲しいと思う。(芸術作品を鑑賞する時に必要な背景や文脈の勉強不足で、サボっているのは私の方とも思うけど、小説を読む人や美術館に足を運ぶ人のほとんどは私くらいの知識量だとも思う)

でも、意味不明な芸術家が羨ましいとも思う。解釈の余地を残して、作品を作るなんて、人を信じているんだと思う。

私は、今、意味不明な芸術家になりたい。人を信じて、自分の気持ちを伝えたい。解釈の余地を与える余裕を持った文章が書けるようになりたい。もう少し、人を舐めずに、ゆらゆらと文章を書きたい。「好き」という言葉と、あとそこらへんの景色の話で私の気持ちが伝わってほしい。でも、多分、私は意味不明な芸術家にはなれないので、「好き」って言って、それだけで伝わるような人を好きになりたい。とにかくもう、恋愛において言語化の必要性に迫られたくない。


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