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“主役”にならない生き方

「やりたいことが何も見つからない」

「今の仕事がやりたいことなのか分からない」


仕事をしていると、このようなことで悩むこともあるかと思います。

今の仕事が本当に好きで、ずっとこの仕事で生きていきたい!
そういう仕事に巡りあえた人はとても幸運で、たいていの人はそこまでではないのではないかと思います。


今は個人が自由に情報発信できる時代ですし、個人で何かを作って、自分で自分をブランディングして、自分の価値を高めていける環境はあります。

他者の目なんて気にせず、自分がやりたいことをやる、そういう「自己評価」での生き方をされている方が、増えてきている印象です。

こういう方は、外から見ていて、とても輝いて見えますよね。すごく魅力的に映ります。

その一方で、「自分には、他人に対して誇れるものなんて何もない」「自分にはあんなことできないな」と、自分を卑下してしまっていませんか?


自分はたまにそういう感覚に陥ることがありました。


自己表現を堂々とされていてすごく輝いている人と比べて、自分は何なのだろう、と思う瞬間があるのです。


人生の主役は自分、なんて言ったりします。

その主役が、全然パッとしない。。。なんてつまらない人生。。。

一旦落ち込みだすと、どんどん沼にはまっていきます。


だからあえて、“主役”にならないというもあるのかなと思いました。



以前チラッと読んだ本(タイトルは思い出せないです。。。知っていたら誰か教えてください)に、他己評価で生きるということが紹介されていました。


  表    ⇔   裏方
ステージの上 ⇔ ステージの下


この2軸で、自分の役割を4象限に分けたとき、自分がどこに入るのかを考えます。これは、舞台で例えるなら、


表 x ステージの上 = 主役
表 x ステージの下 = 監督
裏 x ステージの上 = 脇役
裏 x ステージの下 = 助監督


となります。

表に立っているのは、ステージ上で輝く主役、そして全体の構成を作っている監督で、脇役と助監督は補佐的な役割です。

このとき、脇役や助監督って、主役や監督より必ず劣っていると言えるのでしょうか?


名脇役、なんて言葉もありますよね。主役としての華は無くても、主役を引き立てることに徹し、舞台を盛り上げることに貢献できる人が名脇役だと思います。


助監督も、監督の補佐を徹底的に行い、監督が舞台の質向上のために集中できる環境を整えられれば、監督にとってはいなくてはならない存在になります。


どちらが良いとか悪いとかはなく、単純にステージの上なのか下なのか、表に立っているのか、裏方に回っているのか、の違いだけです。


自分が主役や監督にならなくても、自分は脇役や助監督になると決めて、そこに徹すれば、主役や監督、ひいては舞台全体にとって非常に価値ある存在になれます。

これが他己評価での生き方です。


このような生き方も、とても素敵だと思ったので今回紹介させていただきました。

何か参考になれば幸いです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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