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あらためて自己紹介。

noteにはプロフィールページが設置できることを知ったので、今日は改めて自分は「こんな人です」「将来こんなことをしてみたい」ということを書いてみたいと思います。

お仕事依頼ページの方にも書いた通り(留学カウンセリング・英語プライベートレッスン受付中です!)、前職は高校の英語科教員です。とはいっても、一般的な英語の教員としての授業というよりむしろ、国際科の授業開発をしたり、国際バカロレア(IB)の授業を担当したり、演劇部の顧問をしたり、海外への校外学習の企画運営・引率に関わったり、海外の学校との交流の担当をしたり、本当に教員なの?ってぐらい、色々なことを経験させてもらいました。
でもやはり大きかったのは、3年間同じクラスを持ち上がりで担任したこと。教えているようで、私自身がたくさん学ばせてもらった3年間だったな、と思います。彼らの人生のうちの大事な3年間を近くで伴走させてもらって、そしてそれは同時に私の人生にとっても、かけがえのない3年間になりました。
このように、教員の仕事は本当にやりがいも大きく、魅力的ではありますが、とはいえ、やはり守られた環境で自分の教科や部活の専門性だけでいつまででも勝負できてしまう、特権的な立場・職業だな、とも感じています。

今、もう一度学生の立場に戻ってみて、その力の大きさを良い意味でも悪い意味でも感じています。
教員というのは、生徒に良い影響をたくさん与えることができるからこそ、同じ分だけ生徒を傷つけたり、負の影響を及ぼすこともできてしまう。
物事は全て陰陽どちらもあるので、巨大な力は適切にコントロールする術と心を持っていないと、良い方向に作用することも、悪い方向に作用することもあるのだな、と改めてその責任の重さを実感します。

そして、教員になると、自分の専門の分野から物事を語っていれば良いけれど、生徒はそれに応えることを全ての教科・課外活動の教員から同時に求められる。
実は意外と新しいことには挑戦しないのに、生徒に対しては「新しいことに挑戦しろ」と口を酸っぱくして言う。(もちろんそんなことない、素敵な先生もたくさんいますよ。)
教員としての年月を重ねるうちに、自分もそうなっていないかな、というのはいつも不安だったし、だからこそ、思い切って一度外に飛び出す決断をしました。

高校で国際教育に携わりながら感じた、多様性の中での市民形成の難しさやあり方をヨーロッパの事例から学ぶこと。
古くからの文化や芸術が市民生活の中に根付いているヨーロッパに「住む」ことで、「美しいもの」を守っていくとはどういうことなのか、身をもって体験してみたいと思ったこと。
私にとって大事な国であるカナダは元を辿ればイギリスやフランスに、趣味のサンバのカーニバルに出場したブラジルはポルトガル・・・と、この世界のグローバル化を進めていったのは、ヨーロッパの国々であることは否定できないからこそ、その根源を見てみたいと思ったこと。

そんなことを考えて飛び出して、もちろん決断が正しかったのか悩んだりすることは多々あるけれど、同時に、あれ・・・なんだかんだそれは学べているな、とも思ったり。

安定した高校の教員という立場を捨てて、更に教育学の分野でもない海外大学院に進学したので、「専門性は?」とか「修了後のプランは?」なんて質問をよくされますが、正直今はまだ全くわかりません。
でも、少なくとも、今振り返ると、教員時代に私が最も楽しんでいたのは、生徒や他の先生たちとホームルーム教室やラウンジのソファで時間を忘れてお話ししていた時間だったなと思っています。
進路について面談したり、とりとめもないお話をしたり、通りかかった誰かも加わって、話が盛り上がってよくわからない方向に行ったかと思えば戻ってきたり、普段はろくに話さない人の話のはずなのに、なんだか自分にも思うところがあって振り返ったり、みたいな、そんな時間を生徒や同僚の先生たちと過ごすのが好きでした。
そんな、放課後のホームルーム教室やラウンジのソファのように、いろんな人がふらっと立ち寄って、安心して自分の考えたことや体験を自由に話し合って、お互いに刺激を与え合って、たまにそこで新しいアイディアが沸いたり、ネットワークができたり、何かチャレンジしようと思っているときに背中を押してもらえるような、そんな場所を作りたいな、と思っています。
それは、「学校」なのかもしれないし、「カフェ」なのかもしれないし、「ゲストハウス」なのかもしれない。そして、それもいつになるかはわかりません。正直、そんなにすぐじゃなくていいかな、と思っています。

「良い大学に行って、大企業に勤める」なんて価値観だけじゃない、というのはよく言われるし、私も生徒たちによく言っていましたが、その一方で「若手起業家」とか、早くして成功することが是、みたいな焦りにも近い雰囲気が最近の社会にはありますよね。どこかに近道や誰かが書いた「攻略本」があるはずだ、みたいな。
でも、やっぱり自分で体験することこそが大事だと思います。本屋さんに積まれたたくさんの「ハウツー本」は、どこまで行ってもその人の持つ体験や言語の域を出ませんから。

若くして何かを築くと「失う」ことが怖くて守りに入ります。守りに入ると自分のためだけになります。それよりも、自分がこうありたい、と思う生き方を体現できていた方が幸せだなと思います。

だから私は、いつかそんな場所を作れる人になりたいし、そのためには自分が常に面白い体験をしていたいし、もっと視野を広げ、価値観をアップデートする必要があるなと思っています。
人生100年なんて言われちゃう時代なんだから、焦らずじっくり自分の畑を耕そうと思っています。
そして、大きなご縁の中に身を委ねて、自分が生かされる形で、誰かのために生きていたいな、と思います。

そんなことを思いながら、一念発起して現在ヨーロッパの大学院にいます。そして、思い切ってnoteをはじめてみました。また新たな人や学びや機会に出会えることを願って。

実は、この文章は昨年度末、離任する際に担任していた大切な生徒たちに送ったお別れの文章を改訂したものです。
忙しくなって、余裕がなくなったり、不安になるとついつい忘れてしまうけれど、あの時の自分はこんなことを思っていたんだな、こうありたいという強い意思を持っていたんだな、というのを思い起こさせてくれて、今でも自分の背中を押してくれます。
また次のステージに行くまで、自分を見失わないように、自己紹介兼、指針のようなものとして、ここに残しておこうと思っています。

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