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いってらっしゃい(16)

【「ジャパン&アップル・ストレート100」偽装問題についての記者会見が帝国ホテルで始まった。大勢の記者に質問攻めにされる小嶋常務たち。一方、本社の前では…】

「池田はきっと、役員に脅されたんです」
篠崎は先ほどの池田とのやりとりを一通り里沙子に説明し、ため息をついた。
「こないだ西村さんが言っていたように…。認めたくないけど、あいつ、何か弱みを握られてるんじゃないすかね。…だって、だっておかしいっすよ。あいつが急にあんな風に変わるなんて」
本当に池田が生け贄になることを受け入れるとは。里沙子は驚く。篠崎の言うとおり、何か弱みを握られているとしか考えられない。確かに、上が何の隠し球も持たずに池田と接触するはずがない。想像力が足りなかったことを悔やむ。
「西村さん、俺、あいつのために何もできないんでしょうか」
「…」
篠崎の真摯な問いに答えられない自分が情けない。2016年から来た広報部員として場数を踏んできた自信はある。マスコミとうまく付き合う自信もある。でも、後輩の不安一つを払ってやれない、今の自分。篠崎のまなざしが、エリオット少年のそれに重なった。

 (2―5)7月19日金曜日

朝。里沙子がアパートの自室のカーテンを開けると、太陽の濃厚な光が大量に部屋に差し込んできた。遮る雲は一つもない。今日も暑くなりそうだ。
午後の会見のため、午前中に発表リリースを作り、小島常務らのために想定問答集を作らなくてはならない。しかし詳しい発表内容はまだ知らされておらず、一体どんな記者会見になるのか想像がつかない。そして何より、結局、池田やヨッシーを守るための有効な策を思いつかなかったことが、里沙子の心を重くしていた。もどかしさと焦りでよく眠れなかった目をこする。もともと何か策があったわけではないが、ここまで無力とは。空の青さがつらい。

8時半に出社すると、篠崎がもう席に座っていた。
「おはよう、早いね」
「…おはようございます」
里沙子と目を合わさないように、ぼそりと挨拶した篠崎の目は赤い。
「きょうは忙しくなるよ」
「…うっす」
とはいえ、リリースを作るための材料がまだ岩本から提示されていないので、何もできない。今朝は9時から臨時の取締役会を開き、そこで決まった内容が広報室に伝えられる予定だ。早くしてほしい。
間もなく9時になろうというとき、ヨッシーが広報室に姿を見せた。
「ヨッシー、おはよう」
「…おはようございます」
篠崎に負けず劣らず、こちらも暗い。ここ数日ふさぎ込みっぱなしだったヨッシーだが、きょうはひときわだ。いつもはゆるふわにきっちりブローされている聖子ちゃんカットも、今朝はのびきってぼさぼさだ。
里沙子とヨッシー、篠崎の3人でお茶を淹れ、総務部や広報室の面々に配り終えた頃、岩本が広報室のドアを開けて入ってきた。手には一枚の紙を持っている。
「今、取締役会が終わった。至急、これで紙作れ」
里沙子たちは小走りになって岩本の席に集まり、差し出された紙をのぞき込んだ。「内部調査の結果と再発防止策」と題された後に、箇条書きで3つ。

・「ジャパン&アップル・ストレート100」に国産果汁以外の原料が入っていたのは、高崎工場の従業員が製造レシピを他の商品のものと間違えたため。調査の過程で当該従業員が自分のミスを申し出た。原因は2つの商品のレシピが同じファイルに綴じられていたためで、今後は別個のファイルに綴じることにする。
・元の商品と製法が異なる商品の味にほとんど差がなく、工場長始め他の従業員も気が付かなかった。監督責任として工場長は2カ月1割の減俸、ミスをした当該従業員も相応の処分。
・製法が異なる商品の回収は継続しつつ、早急に原料を国産果汁に戻し、生産を再開する。
以上。

里沙子は呆れた。ファイルを分けることが再発防止策?減俸は工場長のみ?このような子どもだましの対応、2016年だったらマスコミや世間に袋だたきにされるだろう。1982年の今だったらこの程度で許されるというのか。製造ラインの作りを見直すとか、原料チェック体制を複数人にするとか、もうちょっとあるだろう。現場トップの責任はともかく、東京の経営陣の、ひいては社長の責任はどうなんだ。しかし今からこの紙を突き返して稟議を回す時間はない。会見での想定問答で何とか切り抜けるしかない。里沙子は自分たちへの負担が想像以上になることを確信し、冷や汗をかいた。

昼食を摂る時間もなく、篠崎とヨッシーに筆を執らせ、自分も赤ペンを握り、午後1時過ぎにリリース原案と想定問答集、マスコミへの会見案内が出来上がった。パソコンや高性能のコピー複合機が当たり前にある時代に比べると、労力は倍じゃきかない。
会見は午後3時。リリース案と想定問答集は岩本に上げたまままだ戻っきていないが、マスコミに会見の連絡をするにはもうぎりぎりの時間だ。岩本の許可を得て、とりあえず各社に案内をファクスした。タイトルは「内部調査の結果についての記者会見のご案内」。
直後に広報室の電話が鳴り出す。
「どんな感じっすか。やっぱ会社ぐるみとか」
「上まで監督責任問われちゃう?」
「社長出てこないの」
「テレビカメラ、2台で足りるかな」
新聞やテレビ局の記者からの探るような質問攻めに、「申し訳ありません、会見でご説明致します」と、壊れたテープレコーダーのように(そういえばこの表現、2016年にはないな、と里沙子はちらりと思う)繰り返す。記者もニュースバリューの大きさを掴みたくて接触してくるのであり、きちっとした回答を期待しているわけではない。そのことを篠崎とヨッシーに含み置かせ、記者の勢いに怖じけて余計なことを答えないよう指示した。通常の会見なら、「ちゃんと準備した方がいいと思います」、「まあ、いつものやつですよ」などと記者に対しニュアンスを出してやることもできるのだが、今回は例外だ。里沙子自身、どうメディアに扱われるのか予測が付かない。30分ほどで電話も落ち着いた。

午後2時58分。帝国ホテル本館2階「牡丹の間」。ひな壇には小島常務と岩本が並ぶ。3日前と似た光景だが、今回は始めから篠崎が司会として傍らに立っていることと、そしてマスコミ席からあふれる熱量が違う。前回の鶴の間より20席多い170席を用意したが、立ち見の記者も少なくない。ドア口の付近では、マイクを持ったテレビのリポーターたちがカメラを前に、「これから、サン・ビバレッジの記者会見が始まります」などと切羽詰まった表情で話している。今度こそサン・ビバレッジの悪の所業を暴いてやろうという記者たちの執念が里沙子たちを緊張させた。壇上の二人は会見が始まっていないにも関わらず、蛇ににらまれたカエルのようにすくみ上がっている。空気が張り詰める。一触即発。里沙子が腕時計に目を遣ると、長針が12に達したところだった。

「お待たせしました。定刻になりましたので、ただいまから『ジャパン&アップル・ストレート100』の原料取り違えについて、社内調査の結果を発表させていただきます」
篠崎のよく通る声がマイクを通して部屋中に響き、記者たちのざわめきが消えた。同時に、里沙子とヨッシー、そしてヘルプで来てもらっている総務部の若手3人、計5人で手分けして、刷りたてのリリースを記者席に配る。まだ温かみの残るリリースはひったくられるように奪われ、何人かの記者はリリースを片手に会見室を飛び出した。本社のデスクへ向けて一報を入れるため、ホテルの公衆電話の奪い合いが繰り広げられるのだろう。通信社やNHKは速報が命だ。
同時に、記者席では「これだけかよ」「中身ないじゃん」などと、記者たちのつぶやきが方々で発せられる。上から下りてきたあのすかすかの調査結果を、縦を横にしただけの内容だ。もっともな反応だと里沙子は思う。リリースが全体に行き渡ったところで、再び篠崎が口を開いた。
「皆様、リリースはお手元に届きましたでしょうか。…では、常務の小島、広報室長の岩本から説明させていただきます。遅ればせながら司会は私、広報室の篠崎が務めさせていただきます。ご質問は小島の説明が一通り終わった後に、まとめて受けさせていただきます。では小島常務、よろしくお願いします」
記者席からはメモ帳やノートをこする音が聞こえた。小島常務が咳払いをひとつして、リリースを読み上げる。
「えー。『ジャパン&アップル・ストレート100』に国産果汁以外の原料が入っていましたのは、高崎工場の従業員が製造レシピを他の商品のものと間違えたことが原因で―」
説明というより、むしろただのリリースの読み上げは5分もかからず終了した。里沙子は小さくため息をついた。もう少し自分の言葉を入れて、申し訳ないという雰囲気を出してほしかったが、小島常務にはハードルが高いか。
説明後、里沙子の振り付け通りに小島常務と岩本は立ち上がり、「お騒がせして、誠に申し訳ありませんでした」と小学生のように声を合わせ、深々とお辞儀をした。
前回を上回る勢いのシャッター音とフラッシュの洪水の中で、二人のプライドはサンドバックのように叩きのめされていることだろう。顔を認識して間もない常務と到底気の合わない室長だが、自分の親くらいの年齢の幹部がマスコミの矢面に立たされているのを見るのは、さすがに里沙子もいい気がしない。がんばって耐えて。きついのはこれから。
シャッター音が少し落ち着いたところで、二人は顔を上げ、席に着いた。二人とも羞恥のためか怒りのためか、顔が真っ赤だ。懺悔のためではないのは確かだろう。
「では、ご質問をお受けします。多くの方にご質問いただけるよう、お一人につき2問まで、簡潔にお願いします」
篠崎が言い終わらないうちから、無数の手が挙がっている。篠崎は「では、前列左から3番目、メガネをお掛けの方」と無作為に当てた。
「毎朝の清水です。結局、上層部は知らなかった、会社ぐるみではなかったということですか?その間違えたという従業員はベテランですか?パート?他の商品のレシピと勘違いしたなんていうミス、ちょっと信じられないんですけど。ありえんでしょう、どういう状況だったんですか。もう少し詳しく状況を」
小島常務は慌てて里沙子たちが用意した想定問答集をめくる。
「…はい、お答えします。その従業員は総合職の正社員ですが、まだ社歴も浅く、工場勤務も始まったばかりでした。取り違えた二つの商品の製造法は同じファイルに挟まっており、また、どちらの商品もラベルは液体を缶詰めした後に張るものでしたので、その従業員は間違っていることにずっと気付かなかったということでした。取り返しの付かないミスをしてしまったと本人も悔いております。会社ぐるみかどうかということに関しては、そういう次第でございますので、違う、というお答えになります」
小島常務は問答集から顔を上げ、ハンカチで額の汗をぬぐった。「本人も悔いている」というくだりは、岩本から聞いた内容だ。池田が本当にそう言ったのだろうか。里沙子の意地で、会社ぐるみかどうかについては敢えて想定問答に入れなかったが、小島常務はいとも簡単に「違う」と言ってのけた。胸は痛まないのだろうか。いや、痛むくらいなら最初から偽装などしていない。間断なく、記者席では記者たちの手が矢のように挙がる。
「ABSテレビの山田です。工場のチェック体制はどうなっているんですか。品質の違いに気付かなかったなんて、おかしいでしょう。あなたたちが作っている商品ですよ。素人の消費者ならともかく、プロのあなたたちがどうして分からないんですか」
小島常務がせわしげに問答集をめくる。
「…はい、お答えします。もちろん、できた製品のチェックはしております。ただ、頻繁にというわけではなく、月に一度、数本を抜き取るサンプリングテストです。今回の材料取り違えは6月1日から7月15日までで、テストする機会は一度しかありませんでした。テストは6月30日に五本を抜き取ってのテストで、開栓しての視覚チェック、飲んでみての味覚チェックでした。テストの目的は、健康に影響を与えるような異物が入っていないかということが主眼です。加えて『ジャパン&アップル』はご存じの通り、天然果汁100%。ということは、リンゴの出来によってジュースの味も変わって参ります。そのため、テストで微妙に違う味に気付くということにはなかなか難しいものでございます。もちろん、原材料そのものは日々チェックしておりまして、それは虫や異物が入っていないか、腐っていないかということですが、それは問題ございませんでした」
「プロなんだから、果汁100%とそうじゃないものの違いくらい、分かるでしょう」
まったくだ。
「申し訳ございません。気付かなかったということでございます」
平謝りするしかない。
「その正社員ひとりの責任じゃないでしょう。もっと構造的な問題じゃないんですか」
その通り。
「その従業員が犯した単純ミスは、普通ならありえないことでございます。構造的な問題とは切り離して考えていただきたく…」
ありえないことが起きるということが、構造的な問題ではないか。
質疑応答が進めば進むほど、想定問答集を作った里沙子自身の気持ちはしらけていく。

私はいったい、何を守りたいんだっけ。
里沙子は自問した。
会社?ヨッシー?池田?あるいは広報という自分の仕事?
こうして報道に出てしまうまでは、ただちにまがい物の生産を中止し、出回った商品を回収してサン・ビバレッジを正常な軌道に戻さなくてはと思っていた。世間にばれないように。しかし、あっさり露見してしまう。こうなっては社としてちゃんと事実関係を認め、謝罪しなくてはいけないと思った。会社のブランドを守るため、それ以外はないと。ところが報道の内容は、会社ぐるみの偽装かどうかまで詰め切れていない。それをいいことに、社の上層部は単純ミスで通そうとする。上層部が自分たちの非を認める道は探しても見つからず、ずるずると今に至ってしまった。
私は何をしているんだ。会社側に立って、単純ミスだという会見の想定問答など作って。広報という立場にしがみついて、私はいったい何を。
私は、根本的なことから目をそらしている。
根本的なことって?
里沙子は、動悸が速くなるのを感じた。報道陣のざわめきと、マイクを通じて響く小島常務の割れた声。胸の鼓動がそれらの雑音を上回る大きさで、ドラのように鳴っている。
突然、里沙子の目の前に広がる光景から、糸を切るようにぷつりと音が消えた。
代わって里沙子の頭に滑り込んできたのは、2016年のサン・ビバレッジ広報部の情景だった。沢井は広報案でもチェックしているのだろうか、パソコンの画面に釘付けだ。若葉は携帯でなじみの記者と親しげに話している。他の広報部の面々も、それぞれ忙しそうにパソコンのキーを叩いたり、資料を読み込んだり。一面ガラス張りの窓からは明るい光が差し込み、里沙子のデスクのパソコンや山積みになった資料や新聞のスクラップをやわらかく照らしていた。固定電話の傍らに置かれたマスコミの連絡先名簿は使い込まれて変色し、ぼろぼろだ。片付けなくてはと思いつつ増える商品の販促グッズ、新商品のペットボトル、茶渋がついたマグカップ。椅子の傍らにはファイルが詰まったバッグ。
ここが、私の働く場所。社会との接点。自分という存在を示すひとつの拠点。
…私は無様なサン・ビバを見たくないのだ。みんなを笑顔にするおいしい飲み物をつくるサン・ビバレッジ。売り上げではポカ・コーラやカントリーに負けるが、ものづくりにかける真摯な情熱だけは決して引けを取らないサン・ビバレッジ。私の仕事への情熱を受け止めてくれる―私の大好きな2016年のサン・ビバレッジ。
目前の風景が、音を無くしたまま動き続ける。
鬼気迫る勢いで挙がる無数の手。口角泡を飛ばしながら壇上の二人を糾弾する記者。額の汗をぬぐいながらマイクを握り、必死に想定問答集を繰る小島常務。問答集をめくり、指さす岩本。ひな壇と記者席を交互に見遣る篠崎は、表情には出さないものの気はいっぱいいっぱいに張り詰めていることだろう。小島常務の表情がゆがむたびに、フラッシュの咆哮が目に痛い。
これは、私が守りたいサン・ビバレッジだろうか?
広報には愛がなくちゃだめなのよ。
沢井の声がよみがえる。そうですよね、沢井さん。
今の私の広報に、愛はない。

「里沙子さん」
呼ばれた瞬間、風景に音が戻った。罵声とざわめきが耳をつんざく。
ヨッシーが両手で里沙子の腕をかき抱くようにして掴んでいる。ヨッシーは泣いていた。どうしたの、と声を掛けようとして、自分も泣いていることに気付く。ヨッシーは里沙子の目を見つめたまま、首を横に振った。
もう、これ以上は耐えられません。
ヨッシーの目が、確かにそう訴えていた。
里沙子は、ああ、とすこし首を横に傾けて会場を一瞥した後、静かにうなずいた。
里沙子はヨッシーの手を握ってそっと自分の腕から離し、ゆっくりと篠崎の方に向かった。とりあえず、この茶番を終わらせよう。篠崎が歩み寄る里沙子に気付き、怪訝な顔をしている。篠崎のマイクに手を伸ばした。
その時、会場のドアを細く開け、目立たないよう里沙子と篠崎の元に駆け寄る男がいた。記者たちも壇上の小島常務たちも気付いていない。男は総務部の社員だった。汗まみれの顔をゆがめ、あがった息の間から何とか言葉を絞り出す。
「お、おい、会社の前、大変なことになってる。マスコミも気付いて集まり始めてるぞ。テレビ、みてみろ」
男は総務部長の命を受け、広報メンバーに異変を伝えに来たのだった。テレビ?里沙子の涙が引っ込んだ。
会見を篠崎に預け、ヨッシーといっしょに会場を飛び出した。ホテルの従業員に頼み込み、泊まり客のいない客室のテレビを点けてもらう。
「こちら、サン・ビバレッジ本社前です!帝国ホテルでは会社側の記者会見が続いていますが、いったんこちらに切り替えております!」
男性リポーターの金切り声が響く。画面には、段ボールで作られたプラカードを持った女性たちが正面玄関前に陣取っている姿が映し出されていた。20人はいるだろうか。20代から40代の女性たちに混じって、小さな子どもがちょろちょろと辺りを走り回り、テレビカメラに向かってピースサインをしたりしている。プラカードには、マジックペンで「誠意を見せて」「本当のことを」などと書かれていた。
ヨッシーが、「あ」と漏らす。
「里沙子さん、この人たち、高崎工場の!」
「高崎?」
ブラウン管の中で、マイクを握りしめたリポーターが画面に迫る。
「彼女たちは高崎工場のパート従業員の方々です。そう、あの『ジャパン&アップル』の偽装事件が起きた工場です。どうして本社に集まっているのか。お話を聞いてみます!」
そう言って、集まった女性たちのうちの一人に歩み寄った。
「みなさん、きょうはなぜここに?」
ほとんど化粧っ気もなく、髪を後ろでひとつに束ねただけの小太りの女性が大映しにされる。
「私たち、高崎工場からやってきました。新聞とかテレビで、『ジャパン&アップル』の材料をこっそり変えてたって言われてる、あの工場です。きょうの昼、正社員もパートも、従業員全員が集められて、材料を間違えたのはうちの工場の一人の男性従業員で、彼が勘違いしてやったことだったって工場長に説明されたんです。それを午後に東京でマスコミに発表するって」
女性はそこで言葉をいったん切った。彼女の子らしき小さな男の子が、彼女の足にまとわりつき、彼女はちょっとだけ静かにしててね、と頭をなでる。
「本当はそうじゃないんです。国産のリンゴが足りないから、輸入リンゴとか甘味料とかで代用してるってことは、パートの私たち全員が知っています。だってそうでしょう、毎日工場のラインを目を皿のようにして見てて、材料に異物が入っていないかっていうチェックも私たちがひとつひとつやってるわけです。分からないわけがない。でも、それはあくまでも工場長の指示です。会社の方針としてやっていたんです。いけ…、ミスをしたことにされている男の子のせいではないんです!」
「もちろん、世間のみなさまには、材料が違うのに、今までの『ジャパン&アップル』として売っていたことは本当に申し訳なく思っています。騙していたということですから」
小太りの女性に代わって映し出された隣の背の高いショートカットの女性は、そう言って深々と頭を下げた。女性は頭を下げたまま、しばらく動かなかった。
「工場長に、ちょっと材料が足りないから、しばらくの間だけって聞いて、まあそんなものかと深く考えませんでした。私たちが、それって変だよね、だめだよね、って早く声を上げていればこんな大ごとにならなかったんだと思います」
「お母さん、はやくふつうの『ジャパン&アップル』のみたいよー」
女の子が女性の手を引く。「ここに来たら元の味にもどるって言ったじゃない」。
「…今回の件に対する会社の誠意のない対応もそうですが、何と言っても、子どもたちが今の『ジャパン&アップル』はおいしくないって訴えることが、今回、みんなで立ち上がった最大の理由でもあります」
そうだ、そうだ、と女性たちの群れから声があがる。
「私たちの高崎工場を、これ以上傷つけないで!」(続)

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