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いってらっしゃい(13)

【看板商品「ジャパン&アップル100」が、国産果汁100%をうたいながら濃縮還元果汁や香料などの添加物を使っていたことが明るみに。里沙子の後押しもあり、サン・ビバレッジの幹部は記者会見開催に追い込まれる】

午後3時45分。4時の会見開始時間を前に、「鶴の間」に用意した150席はすべて埋まった。会見者用のひな壇の前には新聞社や雑誌社のカメラマンが二重三重になって場所を陣取り、会場最後列にはテレビ局のカメラがひな壇に向けた砲台のようにずらりと並んだ。集まった記者たちはノートやメモ帳を広げ、手持ちぶさたな表情でボールペンやテープレコーダーをいじっている。交わされる言葉は少なく小さいものの、触れたら弾けそうなざわめきが会場全体を覆っていた。

4時ちょうど。入場した小島常務と岩本に向かって一斉にカメラのフラッシュがたかれ、ひな壇の脇に待機する里沙子は目がくらんだ。わ、わ。足を踏ん張り、小さく頭を振って気を取り直す。フラッシュの洪水の中、小島常務と岩本はひな壇にしつらえられたテーブルに並んで立った。小島常務がマイクを握る。ようし、お詫びショー第一弾の始まりだ。

「サン・ビバレッジ常務取締役の小島でございます。このたびは世間の皆様、お取引先の皆様、関係するすべての皆様にご迷惑とご心配をお掛けしたことを深くお詫び致します」
 小島常務は里沙子の作文通りに発言し、岩本とともに深く頭を下げた。角度はきっかり90度。再びシャッター音とフラッシュの嵐。10秒、そのままの姿勢で耐える。小島常務の禿げかけた頭と岩本の白髪交じりのぼさぼさ頭が、視聴者や読者の不信を和らげられるか。ここまでは里沙子のシナリオ通りに二人とも演じてくれている。このシナリオを見せたとき二人は猛反発したが、マスコミを敵に回したくないのならと半ば恫喝し、承伏させた。

 ようやく頭を上げた二人は、紅潮した顔でため息をひとつつき、「ここからは失礼ながら座って説明させていただきます」と断り、椅子に着いた。そして、小島常務が事前に配布したプレスリリースを読み上げる形で、現状報告を行う。違う製法で作られた「ジャパン&アップル」の数量、生産工場、出荷時期、そして回収方法。製法が変わった経緯など全くみえない中身のない報告だ。そして質疑応答。この会見のクライマックス。室長、うまく采配してよ。里沙子は祈るような気持ちで壇上の管理職二人を見つめる。
「製法が変わった原因は」
「会社はいつ事実関係の把握を?」
「サンプリング試験すればすぐに分かる話でしょう」
「うっかりミスではあり得ないんじゃないですか」
「味が変わったという問い合わせがここ2週間で20件きてたって話ですけど」
容赦なく、矢継ぎ早に押し寄せる質問に対し、小島常務と岩本は代わる代わる「申し訳ございません、現在調査中です」「判明し次第、すみやかに公表させていただきます」「今は商品の回収を優先しております」「飲んでも、健康被害は決してございません」等々、当たり障りのない回答でかわす。二人とも額には脂汗がにじみ、小島常務はひっきりなしに水を飲んでいる。若い頃はどぶ板営業で取引先に頭を下げまくっていた二人だろうが、管理職に就いてからはそういうことからも縁遠くなり、精神の消耗は激しそうだった。
会見の予定時間は午後5時までの1時間。説明する内容がないのだから、1時間もあれば質問は尽きると里沙子は算段していたが、甘かった。50分経っても収束するどころか、ヒートアップしている。
「会社ぐるみでやってるんでしょ」
「社長、出てこないの」
「偽装じゃないってどうして言えるんだ」
質問内容も、質問というより現段階では回答しようのない追求がほとんどだ。小島常務も岩本も話す気力を失いつつあるのか、無言でうつむいてしまうことが多々あった。岩本は腕時計をちらちらとひっきりなしに見ている。二人とも、ここががんばりどころだ。そして予定の5時を回ったとき。岩本が突然立ち上がってマイクを握った。
「終了予定時間の5時となりました。それではこれで記者会見を終了させていただきます」
記者席ではまだ質問の手が数本挙がっていた。一斉のブーイング。「質問終わってないよ!」
「挙げてる人、まだいるでしょ!」
「逃げるのかよ!」
小島常務が怒りに震えた表情で立ち上がり、岩本からマイクを取り上げ、叫んだ。
「こっちは朝から客や取引先の対応に追われて疲れてるんだ!」
あ、これはまずい。
里沙子は隣に立っていた篠崎の肩を掴んだ。
「篠崎、常務を抑えて。会見はエンドレスに変更。あんたが司会。行って!」
「は、はい!」
篠崎は引きつった表情で立ち上がった。小島常務の発言を受けて訪れたほんの一瞬の静寂の後、会場からは「我々も寝ずの取材してますよ!」「嘘の表示をしたのはそっちだろう!」「消費者を裏切るな」―。
会場は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。「篠崎、走れッ」。篠崎はひな壇に駆け上がり、降壇しようとする小島常務と岩本を引き留めた。「待ってください」。そして机上のマイクを手にし、会場に向き直った。
「申し訳ございません!会見は5時までとしておりましたが、皆様がご納得するまで、終了時間を決めずに質問にお答えします。私が順に指名致しますので、質問のある方は挙手の上、ご発言ください。申し遅れました、私、広報室の篠崎と申します!」
突然現れた若者に気圧され、会場は再び静まった。あ、朝、玄関で対応したヤツじゃないか、というささやきが漏れる。篠崎は登壇者二人に「もうしばらく我慢してください。踏ん張りどころです」と小声で話しかけ、二人を再び着席させた。
「多くの方が質問できますよう、お一人につき質問は1問、簡潔にお願い致します!」
篠崎はヨッシーに手渡された新しいマイクを握り、壇上の片隅に立った。里沙子の目には、篠崎からオーラのようなものが出ているのが見え、それが小島常務らの存在をかすませていた。
ヨッシーは里沙子に、「私、ホテルに会場の滞在時間の延長を交渉してきます!」と告げて出口に向かって走り去った。ヨッシーからも小さなオーラが発している。

会見が終わったのは午後6時を過ぎた頃だった。質問もほとんど同じ内容の繰り返しで、小島常務と岩本の回答も、「調査中」を中心に、同じことの繰り返しだった。そのうち記者も、納得こそしていないのだろうが、この場でこれ以上責めても何も出ないと一応は満足したのだろう、挙手もまばらになった。
誰もいなくなった会見場で、篠崎はひな壇の脇で力尽きたように床に四つん這いになって動かない。
「お疲れ。完璧な仕切りだったよ」
里沙子がしゃがんで、篠崎の肩をぽんと叩いた。
「…勘弁してください。朝もそうだけど、いきなりすぎっすよ」
「まあ、うまくやれたんだから。…ヨッシーもいろいろ気が付いてくれて助かった」
「えへへ。篠崎くん、すごくかっこよかったよ」
ヨッシーの言葉で篠崎は多少元気を取り戻したのか、頭をかきながらのろのろと立ち上がった。「さー、片付けますか。これで終わりじゃないんすからね」。

里沙子と篠崎とヨッシーは、ホテルのスタッフの協力を得て簡単な片付けをし、隣の控え室にいる小島常務と岩本を迎えに行った。ドアを軽くノックして部屋に入ると、ソファにほとんど倒れ込むように横たわった小島常務と岩本がいた。
「お疲れさまでした」
3人が声を掛けると、小島常務が薄く開けた目を里沙子に向けた。
「…あんたが言ったとおりに対応した。あれでよかったのか」
「はい。途中で無理に切り上げようとなさったのはまずかったですが、他は完璧です。故意か過失かをにおわせない素晴らしいご対応でした」
「…記者会見など二度とごめんだ…」
ボロ雑巾のようになった管理職二人をヨッシーが「ほら、しっかり」と叱咤し、5人でホテルのタクシー乗り場に向かう。午後7時を回った夏の空が、昼間の熱をはらんだまま薄紫色に染まり始めている。ホテル正面に位置する日比谷公園の噴水広場から子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。

 (2―3)7月17日水曜日

翌日の朝刊紙面には、「サン・ビバ、責任認めず」「説明不十分」など辛辣な見出しが並んだが、会見に関する記事がほとんどで、新たなスクープは見当たらなかった。扱いも一面トップではなく左肩に落ち着いている。社会面には、「100%、信じていたのに」「子どもに飲ませられない」などと消費者の声がまとめられている。広報室で紙面をめくっていた里沙子は、一面より社会面に胸をつかれた。そしてまた、あのきーんとした頭痛を感じる。何なのだろう、この痛みは。
サン・ビバレッジは、しばらくは商品の回収と消費者からの問い合わせへの回答が全社的に最優先となった。と同時に、水面下では社内調査委員会による原因究明と称した調査が始まった。実際には、うっかりミスであることを示すための証拠の捏造だ。並行して、マスコミにたれ込んだ内部告発者探しも必死になってやるのだろう。
それまでに何とかしないと。どうやったら上層部の方針を変えられる?そして、告発者を守らなければならない。告発者が刺されるような会社にしてはいけない。でも、一体誰だろう。最高機密を知りうる立場の人間。経営幹部か高崎工場の従業員か。里沙子は考える。
「西村さん、眉間のしわがエグいことになってますよ」
「あ?」
篠崎の顔を見たら、池田のことを思い出した。里沙子は人差し指で眉間をすりすりと伸ばしつつ、篠崎の襟首を掴んで自分の方に引き寄せた。声を潜める。
「ちょっと。高崎工場のあんたの同期。昨日でも今日でも、あれから連絡取ったの?」
「は、はい、昨夜。今、ちょうど西村さんに報告しようと思っていたところです」

くたびれた。長い一日だった。
帝国ホテルの会見を終え、いったん社に戻って残務整理をした後、篠崎は終電で一人暮らしするアパートへ帰宅した。外した腕時計はすでに日付が変わったことを知らせている。
敷きっぱなしのせんべい布団に突っ伏してると突然けたたましく電話が鳴り、跳ね起きた。岩本か、マスコミか。
「も、もしもし」
「篠崎か?俺だ」
「ああ、池田か。お前、今どこだ」
「寮の近くの公衆電話だ。ずっと連絡取りたかったんだが、目を付けられててな」
「目?」
 受話器の向こうから、りーりーとうるさいぐらいの虫の声と、その合間にごうっとトラックか何か、重量のある車両が走り抜ける音が伝わった。
「マスコミにたれ込んだの、俺だと思われてる」
篠崎は自分の耳を疑った。
「おい、おい。違うんだろ?」
3日前の夜、麻布で握手して別れた池田の真摯な目を思い出す。
「もちろん、俺はやってない。お前から連絡があるまでは、俺は黙って待つつもりだったからな。でも、あのとき言ったように、工場で偽装に気付き、止めるよう工場長に食ってかかっていたのは俺だけだ。あの工場で原材料の調達状況を調べたり品質試験ができたり、またそういう情報にアクセスできる人間は限られるが、俺はその一人だ。状況として俺が真っ先に疑われて当然だろう。明後日の木曜、本社から派遣される役員と面談しなくちゃならない」
「まじかよ…」
「もちろん戦うさ。俺じゃないって。逆に会社ぐるみの偽装じゃないかって追求してやるよ。そんなわけで篠崎、本社の状況を知りたい。何がどこまで進んでいる。会見は俺もテレビで見たが、ほとんど内容はなかったからな。刺されると分かっているのなら、反撃するための材料をそろえたい」
「…聞け。やっぱり、社長を含め上層部は全員、偽装工作を把握している様子だ。その上で、『従業員の単純ミス』で通そうとしている。俺は今、広報室の仲間とこの流れをどうにか変えようとしているんだが、なかなかいい策が浮かばない」
篠崎は悔しい思いで正直に話した。
「…なるほど。おそらく、俺が『単純ミスを犯した従業員』に仕立てられるって寸法だな」
上は本気でこの不祥事をもみ消そうとしている。篠崎は心のどこかにあった上層部の良心への期待というものが潰された気がして、背筋が冷たくなった。自分の覚悟の甘さを思う。池田が続ける。
「しかし…本当の内部告発者は誰なんだろう。本社の上層部で心ある人間か、うちの工場で…。でも、うちの工場で事実関係を知っている人間なんて知れているし、その中にタレコミしそうな人間はいない」
「それは俺も分からん。会社としても知りたがっているはずだ。池田を犯人に仕立てようっていうのが本当なら、会社もまだ真犯人を見つけてないってことじゃないか」
「たれ込んだヤツって、何のためにやったんだろうな。会社を愛するゆえか、何かしら会社へ恨みを持っているためか。愛するゆえなんだったら、俺たちと共闘できるのにな」
「…とにかく、明後日、面談が終わったら、内容教えてくれ」
「分かった」
「無茶するなよ。お前の無実は絶対証明してみせる。お前が刺されるようなことがあったらだめだ」
「サンキュ。…お前こそ刺されるな」
「おう」
二人は同時に、静かに受話器を置いた。

篠崎は昼前の人気のほとんどない社員食堂で、里沙子とヨッシーに昨日の池田とのやりとりを報告した。里沙子の考えで、ヨッシーにも池田の存在を説明した。高崎工場の状況、池田の立場、内部告発者がいるらしいこと。ヨッシーをこれ以上巻き込みたくはないが、ちゃんと真実を知っていてほしい。会社に残って再生に携わる立場だとしても、会社が偽装をしていたことを知っていると知らないでは、やり方が違う。荷が重いかもしれないが、ヨッシーならきちんと背負ってくれるはずだ。たとえ自分たちが辞めることになるとしても、今は一緒に広報の仕事を全うしたかった。それが里沙子の身勝手だと分かっていても。ヨッシーが有能だと思うからこそ。
「そんな!池田さんは何もやっていないんでしょう?むしろ、偽装を止めようとしたんでしょう?会社が、組織が一個人に対してそんなことするんですか?ひどい!信じられない!」
篠崎の話を一通り聞いたヨッシーの怒りようは、尋常ではなかった。顔は青ざめ、テーブルに載せられた二つの小さな握り拳は震えている。目には涙さえ浮かんでいた。
里沙子は静かに答えた。
「過失の裏付け…。やっちゃった人間の自白がいちばん手っ取り早いね、確かに。ミスった人間、いるはずのない人間をでっち上げる。まだ配属されて間もなく、他の製品のレシピと勘違いしてとか。工場の従業員、それも総合職男性の証言だったら、世間もとても人身御供だとは思わないでしょう。マスコミもそれ以上つっこめない。…にしても、会社がそこまでやるとはね」
「…池田さんはどうなるんですか」
「分からないけど、会社がクビにすることまではできないんじゃないかな。いや、むしろクビにしちゃったら、池田くんが辞めた後に何をマスコミに暴露するか分からない。むしろ会社に残して、それなりの昇進コースを歩ませる方がありえそうね。罪をかぶった論功行賞。池田くんがハイって言えばの話だけど」
「それはないッスよ。あいつ、そんな取引みたいなことができる器用なヤツじゃない」
篠崎が割って入った。
「もちろん、あんたの話からうかがい知る限り、池田くんって正義感の強い人だもんね。そううまくいくとも思えない。でも、池田くんが何か弱みを握られていたら?それを見逃してやる、あるいは助けてやるから罪をかぶれと言われたら?」
「そんな弱み、あいつにあるんすか」
篠崎の声がかすかに震える。
「知らない。分からない。…やだなあ、そんな怖い顔して。すべて私の想像よ」
里沙子は、性善説でものを考えるのはやめなくてはならないと自身に言い聞かせた。篠崎はどっかりと椅子の背にもたれ、ため息をついた。
「池田からの役員との面談報告を待つしかないっすかね。次の手を考えるのは」
「…そうね」
ヨッシーは胸の前で両手のひらを祈るように握りしめ、口を真一文字に結んだまま動かなかった。(続)

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