「８月最後の日曜日だから」

「8月最後の日曜日だからプールに行こう！」と、ナツコから言われた最初の夏、僕は単純に「どうして？」と訊き返した。

「だって、習慣なんだもの」とナツコは答え、何か問題でもある？　という顔でつんと斜め上に鼻を向けた。そんな仕草も可愛いから、僕はいそいそとプールへ行く支度をした。

　彼女はフジ色のワンピースの水着を着けた。彼女に言わせると「スミレ色」なんだそうだけれど、とにかくそれは色白の彼女にとてつもなく似合っていて、ボクはプールの中で密かに欲情した。

　その次の年の８月最後の日曜日。去年のこと思い出した僕は当然のように、「今日はプールに行く日だよな」と声をかけた。ナツコは「覚えていてくれていたのね！」と嬉しそうにはしゃいで、また、あのスミレ色でフジ色の水着を着けた。

　彼女の泳ぎはすばらしく滑らかで、水面に一本のくっきりとした直線を描いていく。僕はプールサイドのデッキチェアーに腰掛けて目を凝らし、彼女の泳ぐ先に居る人たちが速やかに退くように念じ続けた。誰にも彼女の邪魔をさせたくなかった。

　その次の年、何が原因だったのか、僕らは喧嘩をしたまま８月最後の日曜を迎えた。むしゃくしゃしていた僕は、最初の夏の質問を蒸し返した。
「どうして８月最後の日曜にはプールなんだよ」と。そもそも僕は、プールなんかあんまり好きじゃないとまで言った。

　彼女は「イヤならひとりで行くからいい」と、つんと背中を向けた。

　ナツコが「習慣だから」と主張することは、他にはない。どうして「８月最後の日曜のプール」だけ拘るんだろう。僕と付き合う前にも、他の誰かを「習慣」につきあわせていたんだろうか。なんだかモヤモヤする。

　それでもナツコのことを好きな僕は、その年もプールへお供して、デッキチェアーで荷物番をして過ごした。

　彼女は時々プールから上がると、僕の隣に座ってほんの少しだけ休憩し、「泳がないの？」とおざなりに訊いては、返事も待たずにまたプールに戻っていった。僕も彼女の泳ぎを眺めるのは時々で、ほとんどは、ただぼんやりと空を仰いでいた。

　次の年の８月最後から二つ目の日曜日、すこぶる機嫌の良かった僕は買い物の途中で、「新しい水着を買おうよ」と提案した。けれども彼女は「そんなのいらない」と、セール中の売り場の方を見ようとさえしなかった。

　そうしてやってきた８月最後の日曜日。

　いつもと同じフジ色の水着の彼女は、泳ぎに行ったきり、デッキチェアーに寝そべって待つ僕のところには一度も戻って来なかった。

　僕には彼女を見失った瞬間さえ分からなかった。泳ぐ彼女のことなど全く見ていなかったのだから、当たり前といえば当たり前の結末だった。

　僕はナツコを失ってしまった。

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　今日、僕は新しい女友達を誘って、８月最後の日曜日のプールに行った。それが４年前からの僕の「習慣」だからだ。

　僕はデッキチェアーからプールを眺め、スミレ色の水着を着て一直線にすばらしい泳ぎを見せているはずの彼女…ナツコを探し続けた。そして、結局は一日がかりで大きな落胆をした。

　ナツコはいない。

　だけど、僕はきっと、来年も同じことをするだろう。
　ナツコか、ナツコに代わる人を見つけるまではずっと、「８月最後の日曜日のプール」を繰り返さずにはいられないだろう。

　帰り支度をしながらそう思ったとき、誰かにいきなり人差し指で突かれたような痛みを胸に感じて、何がストンとふに落ちた。

　……そうかナツコ、そういうことだったんだね……