男尊女卑が処女信仰のもと? 『処女の道程』
ふと立ち寄った本屋に目を引く書籍がありました。
明らかに私好みの内容の予感がしたので即購入。
最初は社会学者の研究かなと思いきや、エッセイストの方の著作でした。
頁数は300を超えない程度の文庫サイズなので、比較的気軽に読むことができる一冊です。
ただし読み応えがあって、以前ご紹介した『日本の童貞』(澁谷知美:社会学者)と似たような印象を受けます。
目次を見てみると「平安時代の貞操事情」が冒頭にあり、著者は源氏物語や当時の歌を注目しながら、古い時代の日本人の貞操観念を分析しています。
そこから時代を中世、近世、現代へと進めていき、日本人が経験してきた処女の「道程」を明らかにしようとする本です。
言ってみれば日本における処女の歴史にスポットライトを当てようとする試みで面白かったです。
今回はその中で個人的に興味深かったところをふたつご紹介します。
母権から父権への変化
そもそも日本において処女を重視するような時代はあったのか。
あるにはありましたが、それは出身階級や地域に限定され、むしろ日本人一般で考えるなら重視されなかった時代の方が長かったのではないか。
この本では平安期はもとより鎌倉期まで、そして江戸時代は、日本人は処女であるか否かにはさほど興味を持っていなかったとしています。
著者は戦国時代にはあまり触れていませんが、武士の時代が日本人の貞操観念に関するひとつの変化の時であったと考えているようです。
その要因となった一例として、結婚のシステムの変化があがっています。
平安時代は女の実家が男に対して家や衣服を提供していました。
天皇に娘を嫁がせた藤原氏の力が強大化したのは、母方の権力が強まる外戚政治のシステムがあったからこそ。
ところが戦国の時代になり、政への影響力が男の方にシフトしていくにつれ、権力が母方から父方へと移行していきます。
父権性がベースとなった社会では、〇〇家の人間として、これまで以上に家をつなげていくことが重要視されるようになり、当然、生まれた子どもが本当に父親の子どもであることが大事でした。
そのために必需とされたのが、女性の貞操意識です。
江戸時代には儒教が流行しますが、これは徳川政権を長く維持する意図によって儒教が広く推奨されたためです。
今でこそ「純潔」という言葉は一般的ですが、これは明治期にキリスト教が本格的に入ってきてから訳されたもの。
それまで日本人に馴染んでいたのは「貞」という儒教由来の語であり、これは「女性が操を守り通す」という意味だったようです。
DNA検査もない時代にあっては、妻が産んだ子が本当に夫の子であるかという確証を得るためには、妻に強い貞操観念を植え付ける必要がありました。
儒教には家臣が主君に尽くすための「忠」や、子どもが親に尽くすための「孝」と、徳川の社会構造に役に立つものでしたが、夫に尽くす「貞」も、正当に血統を守るという当時のニーズにマッチしたものだったのです。
ところで、戦国時代から江戸時代にわたって本当に貞節が重視されていたのかというと、微妙なところです。
織田信長に面会したことで有名なルイス・フロイスは、日本の庶民が性に奔放であることを記録しています。
血筋や家を重視する戦国時代でも、それはあくまで上流階級だけで、少なくとも庶民には貞操観念はなかったのでしょう。
また『性と愛の戦国史』では、当時の上流階級である武将や姫であっても、処女であるかどうかは気にせず、再婚も普通であったと言われています。
そして「貞」は結婚する時に処女であるかどうかを重視していたわけではなく、むしろ結婚した後に夫にのみ尽くすというのが正確なところだと思われます。
一方でフロイスはキリスト教徒として「処女性」そのものを重視していたのであり、「貞」と「処女」の意味内容には大きな違いがあるでしょう。
「処女」は「性的に未経験であること」ですが、「貞」は必ずしもこの意味を含まないのではないか。
もっとも、処女であるなら、後にも先にも血統に間違いは生じないため、父権社会においてはより好ましいものであったのは事実でしょうが、一般的に当時の人たちに処女性という観念はなかったと言ってもよいと思われます。
ただし、処女性が重要視されるピークである大正期日本人の純潔信仰の土壌が、こうした父権社会のシステムによって準備されていたというのは無視できないでしょう。
男尊女卑が処女信仰を生んだのか
読んでいてたびたび著者の背景思想として感じたのは、「男尊女卑が処女性の原因になったのではないか」ということです。
もちろん著者は明言してはいませんし、「かもしれない」くらいの書き方ですが、あとがきや解説の文章を含むこの本全体を通してみると、なんとなくそんな感じがします。
それは「なぜ処女が好まれるようになったのか」という疑問から導かれるもので、処女の歴史のある意味で根源の部分に迫る問いです。
日本人の場合、儒教の「貞」ということがあって、その後キリスト教の「処女性」が入ってくることで大正期の「純潔」が成立した。
逆に言えば日本人の「処女の純潔」信仰には、儒教が基礎的な役割を果たしたという背景がある。
ところで、儒教においては「男尊女卑」があるべき姿でしたが、そのベースにあるのは「陰陽」思想です。
太極図で示されるように、天と地、男と女などが、陰と陽とで示される有名な二元論ですね。
陰陽は互いの調和が必要な関係ですが、両者の力は同じというわけではなく、実は陰の方が強いのだそうです。
男女で言うと陰が女で陽が男。
陰である女の方が本来的に強いからこそ、両者の調和を保つためにできたのが男尊女卑思想であった。
すなわち、強い女を押さえ込むことによってようやく、男女の力は平均化する、とこのように著者は述べています。
太古の昔から、中国の人は「女を野放しにしたら、男の立場は無い」と知っていた。
だからこそ陰陽思想をもって、女が暴発しないようにしていたのだとか。
こうした思想が日本にも伝播した結果、日本人女性もまた自らの欲望を全開にしてはいけない、貞節を守らなければならないという感覚を叩き込まれるようになったのであり、男が女を抑える形が一般的になったのだろうと言われています。
実はこれと似たようなことは陰陽思想だけではなく、キリスト教や古代ギリシアの女神崇拝にも見られます。
キリスト教の場合、エヴァ(女)が知恵の実を食して堕落したから女は男以上に罪深いというのは有名でしょう。
古代ギリシアでは、女はより罪深いというわけではありませんでしたが、プラトンの『響宴』などを読んでみると、明らかに女は男に比べて下等な存在であることが記されていますし、参政権も男性のみに与えられたものでした。
一方でキリスト教では、救世主を生んだマリアには「母にして処女」という特異なステータスを付与し、ギリシア神話では、女神アテナは都市を守る女神としてアテナイで崇拝されていましたが、守護女神としてのアテナは「処女神」でした。
両者に共通する背景は男尊女卑ですが、その中でも処女というステータスを付与されることで、下等であるはずの女性が男性にとって崇拝対象となる特別な存在に仕上がっているのです。
というのは、「処女」には女性性を無効化し、女性を女性にしないという側面があったからだそうです。
こちらの本では、女神が処女であることによって強力な信仰を得たという分析がなされています。
つまり、女性のもつ本来的な力を抑えた女ならざる女をこそ男は求めていたのであり、裏を返せば本来的な力を発揮するような女を男は恐れていた。
それを正当化するために処女というステータスを作り出し、それを讃美することで、女は慎ましく控えることが理想であり、またそのようにか弱い女性は男性が管理するのが自然だという思想が生まれたのだとか。
ですから、処女信仰が男尊女卑の思想から生まれ、男尊女卑の思想が男が女の力を恐れていることに起因するなら、処女とは、女の本来的な力を知り恐れていた男がそれを無効化しようとして女に当てはめようとする「俺の理想の女」のアーキタイプだということになるでしょう。
この線が正しいなら、もしかすると処女には聖なる力が宿るというのは女性性の力を発揮を妨げたい男性側のプロパガンダに過ぎないのであって、実は全く逆である可能性も出てきます。
女性がセックスのオーガズムで宇宙と一体になった感じがするという話はたまに聞きますが、そういうことなのかもしれません。
純潔は私が個人的に興味のあるトピックなので、処女や童貞についての本はそれなりに読んできたように思っていたのですが、『処女の道程』は思いがけない新たな視点を与えてくれた本でした。
男尊女卑の思想が処女信仰を生んだ確たる証拠はもちろんありませんが、そう感じさせるものが何かあることは否めません。
実際のところ、キリスト教でも儒教でも「男が貞操を守る」、つまり「童貞」であることはあまり重視されていませんし、現代の感覚からしても、男が童貞であるかどうかは女にとってもどうてもよいこととして捉えられていると思います。
女性アイドルに対するファンの反応と、男性アイドルに対するファンの反応は、現代の典型例ではないでしょうか。
逆に女尊男卑の世界だったら、女が童貞を讃美することになるのかどうか。
そもそも女性の性質上、そのようなことにはならないのか。
これは気になるところです。
あまりSFを読まないのでそのような世界観の作品を知らないのですが、もし「こんなのがあるよ!」というのがございましたらぜひ読んでみたいので、教えていただけたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました🌸
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