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「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第十九話 今、いる場所で私ができることは何だろう?

今、いる場所で私ができることは何だろう?

1865年、和宮様との結婚の三年後、イギリスとフランス、オランダが兵庫の開港を要請してきた。
「兵庫開港が認められなければ、幕府と交渉は止め、京都御所にいる天皇と直接交渉する」これらの国は、そう脅しをかけてきた。
兵庫開港拒否は、彼らに攻撃を受けるチャンスを与えると考えた幕府は、天皇に許可を得ないまま兵庫開港を決めてしまった。
しかし一橋慶喜は天皇からの許可を得るため、これら三国との交渉延期を主張したため、家茂様の面目は潰れた。家茂様は天皇に将軍職の辞職を申し出た。
これは和宮様の兄上でもある孝明天皇の外国嫌いを尊重しながらも、この国を外国の攻撃から守るため、家茂様にとって苦渋の決断だった。

この時期から朝廷と幕府の板挟みになった家茂様は、重責の為か身体を弱らせていった。
それを心配した和宮様は、一生懸命家茂様を労わっていた。
私も家茂様に申し上げた。
「あなたのお身体は、あなた様お一人のもの。誰もあなたの代わりなどおりません。
どうぞ、もっとご自愛下さい。和宮様のためにも、この国のためにも」

この時期、日本は大きく変わろうとしていた。
その流れをいち早く読み、龍の背に乗ったのが西郷ともう一人、土佐藩から脱藩し長州にいた坂本龍馬だった。
坂本龍馬は、西郷と長州藩の仲立ちをし、薩摩と長州を結び付けた。
これが薩長同盟だ。
この薩長同盟が、後に徳川幕府の息の根を止めることになる。
彼らは
「今の幕府では日本を守る力がない。
この国を外国と戦える強い国に新しく生まれ変わらせるには、幕府を倒すしかない」
という倒幕を打ち出したのだ。

彼らは天皇を掲げる、と言いながら、孝明天皇の本当のご意思を理解していなかった。
それでも、戦況は坂道を転がり落ちるようにどんどん幕府に不利になっていく。
私の故郷の薩摩が、和宮様の故郷の天皇家のために、私達に刃を向ける形になった。
公武合体政策は失敗だった。
今度こそ、私達の帰る場所はなくなってしまった。

私は覚悟を決めた。
誰もがみな、この徳川をつぶそうとするならば私は、徳川を守る。
徳川の女として、とことん生き抜いてやる!この大奥を守って見せる!
私の負けん気が目を覚ます。
男達は、この国のことで争っていればいい。
だが私達女は、今いる場所でひたすらできることをしていく。

私は家定様との間に、子を産むことができなかった。
和宮様もこのままいくと、家茂様との間にお子を産むことは無理だろう。
嫁いでも子を産めなかった私達。
命のバトンを手渡せなかった私達。
だが、私達の役目はそこではないはず。
家、というバトンを渡すのではなく、何かもっとちがうバトンを渡すお役目があるのだろう。
だからこそ、故郷や生まれた家を敵に廻しながら龍は私達をここに運んだ。
子を産むことだけが、女の役割ではない。私はそう信じている。

今、いる場所で私ができることは何だろう?

考えろ、考えろ。龍に背中を押される。


そう考えていたさなか、薩長同盟と戦う為に上洛した途中で家茂様は病に倒れられた。
そしてそのまま、愛する和宮様にも別れを告げることなく、この世を去って行った。


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運命を開き、天命を叶えるガイドブック

あなたが、もし子供がいなくてもあなたにはやるべきことがあります。

女は子を産むためだけに、生まれてきたのではありません。

あなたには、もっと別の役割があります。

だから、胸を張って生きましょう。

あなたはあなたのままでいいのです。



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