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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第十九話 生母と聖母

生母と聖母

天正十八年、秀吉は最後まで残っていた北条氏との決着をつけるため小田原に向かいました。
後に小田原征伐、といわれた戦いです。
この戦いで秀吉は、難攻不落として名を響かせた小田原城をぐるりと取り囲みました。
北条はこの城に絶対的な自信を持っており、城を死守する考えでした。
これに対し秀吉は、得意の長期戦で兵糧攻めに持っていく作戦でした。
じっくり腰を据え、北条氏が頭を下げるのを待っている秀吉から、わたしに手紙がまいりました。
そこには、こう書かれていました。

「今回の小田原城攻めは、かなり時間がかかりそうだ。
みなの士気も上げるために、国から妻を呼び寄せていいことにした。
男はその方が、やる気が上がるからな。
で、わしもそうしたいんじゃが・・・・・
わしだけ一人っていうのも、さみしいし、つまらーん!
わしが一番すきで大切なのは寧々じゃ。
だがわかってるじゃろ?
寧々には、城を守ってもらわねばならない。
だから寧々の次にすきな茶々を呼んでもええかな?
寧々から茶々に言って、段取りをつけてほしいんじゃ」

わたしはこの手紙を読み、なんとまぁ、下手に出た手紙!と思い、笑ってしまいました。
わたしを持ち上げながら、茶々様を呼んでほしい秀吉の本音が見え見えでした。
けれど秀吉の言う通り、確かにわたしは豊臣の母として、この大阪城を守らねばなりません。しかも遠い小田原になど、行きたくありません。
喜んで若くて体力のある茶々様に秀吉のそばに行っていただきましょう。
秀吉にはぜひとも小田原城を落とし、残った奥羽地方も平定してもらわねばなりませんからね。
それをもって、秀吉の天下統一が成されるのですから、勝っていただかねばなりません。

わたしは侍女に支度をさせ、秀吉の手紙を持ちわたし自ら茶々様のところに行きました。前もって行くことを知らせていたにも関わらず、わたしはお茶を二度も変えるほど、茶々様のおいでを待ちました。怒っても仕方ないので、お庭を眺めながらゆっくりお茶を楽しませていただきましたよ。お茶菓子も美味しゅうございましたしね。ま、わたしが持っていったお持たせの茶菓子ですから美味しいに決まっています。

しばらくして、平然としたお顔で茶々様がやって来られました。わたしは挨拶もそこそこに茶々様に頭を下げ、いきなり本題に切り込みました。

「茶々様、お願いがございます。
秀吉から手紙がまいりました。
これから急ぎ、小田原城に向かってくれませんか?」

「なんでしょう?いきなり」

茶々様は面食らったようです。鳩が豆鉄砲を食ったようなお顔で目を見開いておられました。
わたしは茶々様に秀吉の状況を説明し、手紙の一部を抜粋して読み上げました。

「小田原城は、長期戦になるようです。
そこで秀吉はさみしくてあなたにそばにいて欲しいそうです。
秀吉の手紙には、こう書いてありました。
ーお前の次にすきな淀を、ここに呼んで欲しいーと。
さぁ茶々様、急ぎ小田原までお願いいたします。豊臣の命運はあなた様にかかっております」

にこやかに申し上げましたが、半ば命令ですからね、これは。
秀吉がそう望んでいるのですから、茶々様にはご自身の意志に関係なく、その望みに従ってもらわねばなりません。
突然の小田原行きの命令に、茶々様はしばらく無言で何かを考えておられるようでした。きっと行きたくないのでしょう。でもあなたに忖度の自由などありませんよ。そう思い、彼女の言葉をじっと待ちました。
茶々様はようやく口を開きました。

「北政所様、わたくしは小田原城までいくのは構いませんが、鶴丸はどうなるのでしょうか?」
それそれ、そうくると思いました。
わたしは、ニッコリ笑って茶々様にお伝えしました。

「鶴丸君は、わたくしが面倒見させていただきます。
どうぞ何もご心配せず、安心して秀吉のところに行って下さいな。
大丈夫です。大阪城に鶴丸君の乳母もお連れします。
遠く離れた危険な場所に、大切な豊臣の後継ぎを連れて行けば、わたしが秀吉に怒られます。鶴丸君も安心安全な大阪城に居る方が、すくすく育ちます。さっ、茶々様すぐにお仕度を!」

茶々様に継げるとわたしは家来を呼び、茶々様の旅支度を命じました。
危ない戦地に、大切な豊臣の跡継ぎを連れて行けるわけがありません!
わたしがしっかりと大阪城で、面倒をみますとも!
あなたはさっさと、秀吉の夜伽の相手として小田原まで行ってらっしゃい!!慌ただしく荷造りをし小田原に向かう茶々様達一行を、わたしは城門で見送りました。茶々様は何度の鶴丸君を抱きしめ、目に涙を浮かべ別れを惜しみました。その様子を見ながら、早く行けばいいのに、と心の中でため息をつきました。

名残惜しそうに何度も後ろを振り向きながら、ようやく茶々様は小田原に向け、出発しました。わたしは肩の荷を降ろしたように軽い気持ちになりました。わたしのすぐ後ろで乳母が鶴丸君を抱っこしておりました。
子の時初めて、まじまじと鶴丸様を眺めました。
きょとんと丸い目をしてわたしを見ている鶴丸様は、まったく秀吉には似ていません。
手の形も、足の指も、額も、つむじも、何もかも。
もちろん茶々様には似ています。
けれど、もっと似ているのは・・・・・・
わたしの頭に、茶々様の乳母の大蔵卿局の息子、大野治長が浮かびました。

すとん、と腑に落ちました。なるほど茶々様はよく考えました。
秀吉に抱かれながら、大野治長の子種をもらったのですね。
大野治長ならいつでもそばに控えていますし、茶々様の乳兄弟です。
気心も知れているし、忠誠心も強いでしょう。
鶴丸様は茶々様のお腹に大野治長殿の子種を仕込み、秀吉が子を受け取ったという図式ですね。

それがわかった時、わたしは秀吉を哀れに思いました。
もしかしたらわたしが気づくほどなので、秀吉は鶴丸様が自分の子種ではないことを知っているかもしれません。
けれどそれをあえて封印し自分の子どもとして受け入れ、豊臣の跡継ぎにした秀吉の本心は・・・・・・出自です。
偽りの子でもあっても、秀吉は浅井と織田の血筋を持つ子どもを自分の跡取りにしたかったのでしょう。それしかありません。

男とはなんと憐れな生き物でしょう。
女は子ができても、誰の子種がわかると言います。
しかし男は女に「あなたの子です」と言われたら、否定できないのです。
わかっていながら自分が望んだものなら、否定せず黙って受け入れる時があるのです。
わたしは哀れな秀吉を、ますます愛おしく感じました。

鶴丸様は秀吉の子で、豊臣の跡継ぎ。
茶々様は豊臣の跡継ぎを産んだ、生母。
わたしはそれを受け入れる、聖母。それで良いのです。

わたしは乳母から鶴丸様を奪い、思いきり抱きしめました。
鶴丸様は自分の母親ではないわたしに気づき、おびえて泣き出しました。
いくらあやしても泣き止みません。
思わず鶴丸様の太ももをキュウ、と軽くねじりました。
鶴丸様はまるで火がついたように、大声で泣きます。
その声が耳にうるさいので、わたしは乳母に鶴丸様を渡し、連れて行かせました。そして大阪城に向かう支度をさせました。

やはりわたしにとっての子は、秀吉だけですね。秀吉という子の方が、何十倍も楽でございます。
翌日からわたしはもう鶴丸様に、興味を失ってしまいました。
ただ豊臣の跡継ぎとして大切にするよう、心がけてはおりましたが。

わたしのこのような気持ち、遠く離れた茶々様に通じたのでしょうか。
生母とはすごいものです。
茶々様はさっさと小田原から戻り、大阪城から奪い取るように鶴丸様を取り戻され、自分の城へと連れて帰りました。
しばらくして鶴丸様が、病に倒れた、との知らせが入りました。
わたしは驚いて、鶴丸様のご無事を祈りました。
鶴丸様のため、というよりも誰よりも鶴丸様を大切にする秀吉のために、わたしは昼も夜も祈り続けました。

愛する我が子・・・
わたしにとっては秀吉ただ一人です。

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