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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第二十四話 その思い込みが、あなたを不幸にする

その思い込みが、あなたを不幸にする

秀吉が茶々様と生まれたお子に対面する日が、近づいてきました。
秀吉は落ち着きなくうろうろしたり不機嫌になったり、と心なしか緊張しているようでした。
けれどそばにいるわたしには、待ちに待ったお子との対面を待ちきれず、こらえきれない喜びに溢れているように見えました。
わたしに気を遣い、堂々と喜びを表せない秀吉が可愛いような気の毒なようでした。わたしは敢えて何も言葉をかけず、横に座っているだけでしたけどね。

そして、いよいよ対面の時がまいりました。
茶々様が乳母たちを従え、大名行列の先頭を歩く女王のように堂々と入ってきました。
お子は恭しく迎えられました。
茶々様は乳母から大切な宝物のようにお子を渡され、秀吉の前に進み出ました。茶々様は少し緊張されたご様子でしたが満面の笑みで満、秀吉に抱っこしてもらおうと、お子を彼の手元に傾けました、
「秀吉様、わたし達の鶴丸が再びわたし達の元に還ってきました」

秀吉は茶々様から、おずおずお子を受け取りました。
お子を抱きながらしばらく黙って、お子の顔を見つめていました。
秀吉はお子の顔が、自分に似ているか探していたのでしょうか。わたしは、似ているところなどあるわけない、と思いました。彼は自分の中でこの子を自分の子だと認める折り合いをつけていたのだと思いますよ。
あまりに秀吉が黙ったままなので、その場はぴくりとも動けない緊張感に支配されておりました。しんと静まり返っていたので、茶々様がごくん、と唾を飲みこむ音が響きました。
やがて秀吉は、赤子を抱きしめたまま涙を流しました。彼の心はこの子を自分の跡取りとして認めるに至ったのです。

「おお、おお、わしの元に還ってきたか。よくぞ、還ってきてくれた。
よくぞ、無事に生まれてきてくれた。」

息をつめて様子を見ていた周りの者たちの緊張感は取れました。固く握った手がぱっ、と開いたように、広間は喜びの声に満ち溢れました。

「太閤様、おめでとうございます!!」

寿ぎの声で、華やかな場になりました。誰もが笑顔で、豊臣の繁栄を喜び合いました。がしかしその中で一人複雑な顔をしていたのが、現関白の秀次でした。秀次はこの時すでに、自分の子と認めた秀吉の喜びように、危機感を持ったのです。
なぜなら茶々様は、生まれたお子を鶴丸様の生まれ変わり、と秀吉に言ったからです。もともと亡くなった鶴丸君が豊臣の後継ぎでした。鶴丸君が亡くなったから後継ぎの玉座は、秀次に滑り降りてきたのです。秀次が不安になるのも仕方ありません。
茶々様は、秀吉にお子を鶴丸様の生まれ変わりがまたやってきた、と告げることで鶴丸君の再来を演出し、お子を得た喜びをさらに盛り上げました。
茶々様のもくろみは見事に当たりました。
本当に秀吉の子かどうかわかりませんが、秀吉が受け入れ認めたことが何より大切なのです。茶々様は太鼓判をいただいたのです。
さすがです、茶々様。

広間が喜びに沸き立っていた時、不意に秀吉が高らかに言い放ちました。

「この子の名は拾(ひろい)にする」

さっきまでの騒ぎが嘘のように、一転静かになりました。横で茶々様が奇妙な顔をしています。それにも目もくれず、拾様を手に抱きしめたまま秀吉の言葉は続きます。

「鶴丸の時は、棄てられた子は長生きする、と言われ棄という名にしたが、あの子は三歳になるやならずに死んでしまった。
この子はそうなってはいかんから、棄の反対の拾うにする。
そして、城の前に一旦捨てるんじゃ!」

「秀吉様、それはなんと!!」
茶々様は、ついに叫び声をあげました。

「大丈夫じゃ、茶々。ちゃんと見張りの守役をつける。そうだ、大野治長にさせよ。
一度城の前に捨てて、治長に拾わせるのじゃ!それでこの子はきっと無事に成長する」

大野治長の名を聞き、茶々様が一瞬、息を飲んだような気がいたしました。わたしは茶々様の顔をじっと眺めました。けれどすぐに茶々様は脱ぎすてた仮面をかぶり無表情になり、秀吉に笑顔を向けました。

「それなら、仕方ありませんわ。
拾いが無事成長するのでしたら、わたくしも母として賛成いたします」

二人の子を産んだ茶々様は以前に増して、したたかさを身に着けられたようです。秀吉に従うように見せながらも、すべて事は茶々様の思うように進んでいるのです。わたしは心の中で舌を巻きました。

秀吉はこの会見の間中、ずっと拾様を胸に抱き茶々様や乳母に渡そうとしませんでした。秀吉が提案した子捨ての儀式。それは拾様のため、というよりも、秀吉が拾様を自分の子だと自分に納得させるための儀式だと、わたしは秀吉を見ながら思いました。
それで秀吉が納得するのならいいのです。できてしまった子ならば、秀吉を喜ばせてくれるだけで満足です。けれど茶々様の野望はそれだけでは終わりませんでした。

五十七歳でまた子どもを得た秀吉は、拾様への溺愛を日ごとに強めました。
そしてわたしが恐れていた通り、秀吉は我が子の拾様にどうやって豊臣を継がせるか、模索したのです。ある日、秀吉がポツリとつぶやきました。

「寧々、わしは少し早まった・・・」

わたしは彼が何のことを指しているのが、すぐわかりました。秀吉は眉間に皺を寄せ、腕組みをしながら苦い顔で続けます。

「なぜ、秀次を養子にし関白を譲るのをもう少し待たなかったのだろう?わしは本当にバカだった」

その言葉を聞き、口の中がざらつくような嫌な予感に襲われました。
「なぜですか?
秀次は、お姉さまのお子であなたの血のつながった甥ですよ。
秀次の後に拾様が関白を継げば良いではありませんか!」

わたしの提案に首を振りながら、秀吉の顔つきが厳しくなりました。

「いや、もし秀次が関白になったままわしが亡くなったら、秀次は自分の息子を次の関白にするだろう。なにせ、秀次はまた二十五じゃ。
今も何人も息子がいるし、これからももっと増えるだろう。
わしよりいくらでも長生きできる。
そうしたら、拾いはわしの子として生まれながら、関白を継げんじゃ。
それは、いくらなんでもおかしいじゃろう?」

誰がそのようなことを・・・と言いかけて、茶々様の進言だと気づきました。
拾様の地位を確固たるものにするために、茶々様は秀吉にそう伝えたのでしょう。わたしは両手で秀吉の膝を揺すり、説得を続けました。

「お前様、一度お譲りになったものを、取り上げる真似だけはお止め下さい。秀次は立派にあなた様の後を継ぎ、関白として努めております。
秀次の次に拾様を関白にするよう、約束したらいいのです。
秀次ならきっとその約束を守ってくれますよ。
同じ豊臣の一族なのですから」

豊臣の母として何としてでも一族内で、もめごとを起こさせるわけにはまいりません。秀吉にとっても秀次は、まれた時から我が子のように可愛がってきた血をわけた甥です。本当に秀吉の子かわからない拾様とはわけが違います。わたしの懸命な説得に耳を傾けた秀吉は、どうにかうまく秀次との関係を保ち拾様に継承できるよう、日本分割説を考えました。
日本を五つに分け、内四つを秀次に、残る一つを拾に譲ることをしました。
さらに秀次の娘と拾様を婚約させました。
秀吉は秀吉なりに、懸命に豊臣の行く末を模索していました。
わたしもそれがよい方向につながる、と信じていました。

ところが婚約の話は、秀次の了承なしに秀吉が勝手に進めていた話だと知りました。
秀次にはそれがショックで、秀吉が自分を阻害している、と疑念を深めたのです。
彼は拾が生まれてから、持病のぜんそくもひどくなり、心身の消耗がひどくなったのです。
もしや自分が関白の座を追われるのではないか?という恐怖と不安が彼を追い詰めていました。
わたしはそんな秀次を心配し、気分転換に吉野に花見に連れて行きました。
満開の桜を眺めながら、わたしは秀次を勇気づけました。
「誰が何と言おうと、あなたが関白です。あなたは秀吉と血のつながった甥です。秀吉を信じて、しっかりとお役目を果たしなさい」

その後、秀吉と秀次の仲を取り持つために二人で吉野に花見に行くようにも取り計らいました。こうやって、再びなごやかな雰囲気が二人の間に流れました。わたしは安心しました。

この頃、秀吉は隠居の地としてわたしと伏見に住み、近くの聚楽第に秀次が住んでいました。
秀吉に拾という嫡男が生まれた事で、意図せず伏見の周りに大名屋敷も数多く作られ、隠居の地とは程遠い賑わいになりました。
それを見た秀次は「秀吉に監視されている」と勝手に疑い、どんどん自分を追い詰めました。
彼はもともと感情の起伏が激しく、叔父の秀吉に認めてもらうことを何よりの喜びにしていました。秀吉の愛情が自分から拾様に移ったことで、彼はどんどん精神的に不安定さを増したのです。

わたしは秀次に
「自分でどんどん妄想をふくらませ、自分で自分を追い詰めてはいけませんよ。それはすべてあなたの思い込みです。その思い込みが、あなたを不幸にしますよ」
と、何度も伝えました。

勝手な妄想は、人を不幸にします。
どんどん自分で自分の首を、絞めることになるのです。
伏見城は完成したので、秀吉は茶々様と拾い様も呼び寄せ、一緒に暮らそう言い出しました。
わたしも茶々様の動向を見張りたかったので、快く賛成しました。
ところが茶々様は
「二歳で鶴丸が亡くなったから、今二歳の拾を城から移動させるのは縁起が悪い」
と秀吉の願いを退けたのです。

わたしはこれは茶々様からの挑戦だ、と受け取りました。
「拾を正式な豊臣の継承者にしなければ、秀吉とは一緒に住まない」
それを暗に伝えているのです。
秀吉は溺愛している拾様と一緒に暮らせないのが、とてもショックだったようです。茶々様の思いをくみ取った秀頼は、拾様を自分の正式な跡取り、つまり豊臣の継承者にすることを急ぎました。

ちょうどその頃、ぜんそくの持病で朝鮮出陣も取りやめていた秀次に、よくない噂がたてられていました。
側室たちと城にこもり、むつみ合っている、そんなありもしない噂が秀吉の耳に届きました。
もちろん、それを持ってきたのは茶々様です。
わたしは秀次に会いに行きましたが、秀次はわたしの面会を断りました。彼は誰の事も信じられなくなっていました。

わたしは急ぎ秀吉に伝えました。
「そんな噂など信じて、迷わされてはいけません」
ところが、もはやわたしの言う言葉は彼の耳をすべり、雪のように消えていくだけでした。

養子しかいないわたしですが、これが息子をめぐる嫁姑のような争いなのかもしれない、と思いました。わたしが姑です。息子である秀吉は、嫁の茶々様の言葉しか耳を留めません。
母であるわたしの言葉は正論でも、わずらわしいだけなのでしょう。
いつの間にか秀吉は茶々様と拾様の三人で、一つの世界、一つの家族を作っていました。
わたしだけが、そこからはねのけられていたのです。
豊臣の母であるわたしだけが・・・・・・。
名ばかりの母、邪魔者の姑にされた侮辱と哀しみ、そして何もできない自分への歯がゆさに、両手を握り締め唇を噛んだまま涙を落しました。

そして文禄四年六月、秀次に謀反の疑いが起こりました。
これをきっかけに秀次は関白を追われ、ついに七月十五日、秀次は切腹を命じられました。わたしは必死に秀吉に、秀次の切腹を止めるよう泣いて嘆願しました。
けれど秀吉は耳を塞ぎ、秀次ばかりでなく、秀次の子どもたちや妻、側室達の首も切り落しました。
同じ豊臣の一族の中で、おびただしい血が流されたのです。

「秀次、ごめんなさい!!」
それを知ったわたしは、畳にうつ伏し大声で泣き叫びました。
そして何もできなかった自分の非力さに、打ちのめされました。
いくら泣いても、詫びても、殺された罪なき人達の命は戻ってきません。
拾様ただ一人を残し、豊臣の男達は粛清されたのです。

どうして、このようなことになったのでしょう?
一代で築いた豊臣の行く末は、どうなるのでしょう?
どれだけ自分に問いかけても、答えは返ってきません。
いえ、もしかしたらわたしは、その答えをどこかで知っていたのかもしれません。けれどその蓋を開くのが、怖かったのです。

こうして、拾様の豊臣継承が確定いたしました。
秀吉は多くの大名達に拾様に忠誠を誓う文書を作り、血判署名させました。こうして拾様の関白への道を念押しさせた秀吉は、自分の寿命を知っていたのでしょうか。
それを携え茶々様と拾様は、ようやく伏見城に移ってまいりました。わたしは複雑な気持ちで彼らを向かい入れました。
文禄五年、拾様は三歳で名を豊臣秀頼に改めました。
多くの身内の血を流した後に誕生した、豊臣の後継者でした。

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