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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第二十八話 まちがった愛で男を包んだ女と、偽物の愛で男を抱いた女

まちがった愛で男を包んだ女と、偽物の愛で男を抱いた女

慶長十九年八月、その事件は起こりました。事の発端は、秀頼様が秀吉の十七回忌に向け、京都の方広寺で大仏の開眼供養をする準備をしていた時のことでございます。
徳川様は方広寺の梵鐘に「国家安康」と記されているのを見て、因縁をつけたのです。
「これは家康の名前を分割したもので、豊臣は徳川家康の死を願っている」

秀頼様と茶々様、そして秀頼の妻である千姫様は驚かれました。
徳川様は秀頼様が成長するにつれ、彼に人望が集まるのを怖れていました。
ずっと豊臣をつぶすきっかけになるチャンスを、狙っていたのでしょう。
この一見些細に見えることが、水面下でくすぶっていた互いの不満を爆発させ戦へと向かう流れになりました。それが大阪冬の陣です。

戦が始まることを知ったわたしは、居ても立ってもおられず、文箱を取り出し墨をすりました。黒々した墨で、はやる心を押さえ深呼吸をし、一気に茶々様への手紙をかき上げました。
「プライドを捨て、徳川メインの政権で豊臣が生き延びられる道を探すようお考え下さい。
今よりもサイズダウンしても、とにかく豊臣が続くことが大切です。
千姫や江様にも相談され、ぜひ生き延びて下さい」

この手紙がどれだけ茶々様のお心に届いたかは、わかりません。
けれどこの戦で、私と茶々様は豊臣の行く末について袂を分かつのでございます。

大阪冬の陣が終わると、徳川様は大阪城の外堀を埋めることを条件に、豊臣からの和睦を受け入れました。
大阪城の外堀を埋める工事が始まる前、茶々様が高台寺を訪ねて来られました。
「高台院様、お久しぶりです」
茶々様は頭を下げました。
「きっと高台院様にお会いするのは、これが最後だろうと思い、挨拶に参りました」

「淀様、何を言われるのですか?」

わたしはその言葉に驚き、思わず立ち上がろうとしました。茶々様は、そんなわたしを両手で制しました。

「いえ、いいのです。私には、わかります。
最後だと思ったからこそ、こうして会いに来たのです」

わたしは畳から上げかけた膝を元に戻し、居住まいを直しました。すぅ、と大きく一つ息を吐きました。茶々様に会えるのはこれが最後だと、わたしの子宮も言っておりました。

「そうですか・・・もうあなたにも。会えなくなるのですか。さみしいことです。
みな、わたしを残して行ってしまうのですね」

「高台院様は、お幸せでしたか?」

「ええ、わたくしは秀吉に出逢い、ハラハラドキドキさせられながら、たくさんの夢を見させてもらいました。
わたくしにとって、秀吉こそが子どものような存在でした」

「夫ではなく、ですか?」

「ええ、夫と言うよりもやんちゃ坊主が一人いた感じです。
秀吉が亡くなった時は、夫と息子を一度に亡くしたような気持でした」

口が裂けても、わたしと秀吉のことを茶々様に話すわけにはまいりません。
けれど茶々様にお伝えながら、いつのまにかわたしの頬を涙が濡らしました。秀吉を失ったことが辛いのか、自己憐憫の涙なのか、わたしにはわかりません。

その涙を引き裂くように、茶々様が淡々と言いました。
「わたくしのこと、恨んでおりますか?」

その言葉に息を飲みました。
茶々様が自分の気持ちをさらすなら、わたしも伝えなければ、と覚悟を決めました。

「いいえ、恨んでなどおりませんよ。
あなたは秀吉が一番望むものを、与えてくれました。
あんなに喜んだ秀吉を見ることができて、本当にうれしかったです。
それに・・・・・・」

これを茶々様に伝えるのに、本当に勇気が必要でしたが思い切って言いました。

「わたしが勧めたのです。淀様とのことを。
淀様ならきっと秀吉の子を産んでくれるから、淀様を手に入れなさい、と」

この言葉は、茶々様に衝撃を与えたようです。
これまで無表情だった茶々様はするりと仮面を脱ぎ、生身の女の顔をのぞかせました。そして糾弾するように、わたしに身を乗り出しました。

「どうして、わたしが秀吉様のお子を産むと思ったのです?
これまであまたの側室がいても、産めなかったものを」

「あなたならきっとどんな手段を使ってでも、秀吉の子を産むことがわかっていました」

女の直感です。そうとしか言いようがありません。わたしは自分の本心をさらけ出すと、ふっ、と笑ってしまいました。

「あなたは本当に期待に応えてくれました。心から感謝しています」

それは暗に秀頼様が秀吉の子ではない、と言っているのですから、茶々様は背筋がゾッとした事でしょう。
わたしが事実を知りがら、秀吉のためにほ伏せていたのです。
もしかしたら、秀吉も気づいていたかもしれません。
けれどどうしても秀吉も、織田と浅井の血を引いた豊臣の継承者を求めていました。
それを、茶々様が与えてくれたのです。
茶々様だからこそ、どんな手を使ってでも、秀吉が欲しがるものを与えてくれると知っていました。わたしの言葉は、茶々様の首にナイフを当てたようなものです。わたしはこの切り札を出し、茶々様にある交渉を始めました。

茶々様はショックを受けたのか、何も言えず青ざめた顔をしておられました。

「ところで、千姫はどうするおつもりですか?
あの子は、あなたの姪ですよね。とても素直な方ですね。
秀頼様のことをとても愛しています。
あの方は秀頼様と離れたくないのでは?運命を共にしようと思っているのではないでしょうか?」

千姫の話を持ち出すと、茶々様はハッと正気に戻り背筋を正されました。

「千姫がいることで、秀頼は生かされているのでしょう。彼女には、感謝しています」

「あなたはこのまま千姫を、大阪城に置いておくのですか?」

「いえ、あの子にはいずれ江のところに戻ってもらいます。
豊臣に道連れにするわけにはいけません」

「では、そのむね、徳川の方に伝えてよろしいですか?」

わたしは茶々様の確約を取る為、念押しいたしました。

「ええ、よろしくお願いいたします」

わたしは徳川様に頼まれておりました。
徳川様は孫娘の千姫をことのほか可愛がっていましたから、ぜひ救いたい、と思い、わたしに彼女の救助を頼んだのです。これで交渉成立です。
交渉が終わった茶々様は、もう用がない、とばかりに立ち上がり、別れを告げました。

「高台院様、ごきげんよう。もうお会いすることはないでしょう。
ありがとうございました。さようなら」

わたしもそっと頭を下げました。

「茶々様、さようなら」

これがわたしと茶々様が、この世で交わした最後の言葉でした。
まちがった愛で男を包んだ女と、偽物の愛で男を抱いた女。
わたし達は表裏一体でした。黒と白。陰と陽。月と太陽。
愛おしいほど、同じような存在でした。

翌、慶長二十年、再び豊臣と徳川の大阪夏の陣が始まりました。そして五月八日、茶々様は大阪城で秀頼様と命を断ちました。
茶々様は愛する息子と一緒に、あの世へど旅立ちました。
茶々様が一人この世に残されても、死んだまま生きていたでしょう。
茶々様の最後は、もしかしたら幸せだったかもしれません。

わたしは高台寺から大阪城の方に向き、そっと両手を合わせ彼らを悼みました。

秀頼様の側室の子、国松様は捕えられ殺されました。
女児は千姫の懇願もあり仏門に入ることを条件に、命を許されました。
こうして、豊臣は滅びたのです。
秀吉が秀次の妻子を根絶やしにしたように、秀頼様も根絶やしにされました。
これが豊臣の末路です。
秀吉が一代で栄華を極めた末路です。
何も残っていません。

すべて失った時、わたしは自分の中にある深いふかい闇に正面から向き合いました。
真っ暗で深い底なし沼のような闇。わたしは身も心もたっぷり、この闇に覆われていることを知り、茫然としたのでございます。

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