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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第二十話 子どもを産んだくらいで偉そうにしないで

子どもを産んだくらいで偉そうにしないで

茶々様の城に戻った鶴丸様の熱はなかなか下がらず、ずっと寝込んでいます。犬猫もそうですが幼い時は男の方が弱い、と言いますね。まさにその通りですね。鶴丸様は豊臣の後を継ぐ大切なお子ですから、心配です。
鶴丸様に何かあれば、秀吉は半狂乱になるでしょう。
そんな秀吉は見たくありません。そのためにも鶴丸様に早く良くなってもらわねば、とわたしは固く目を閉じ、祈り続けました。

淀城では、大阪城で鶴丸様が毒でも盛られたのではないか、と茶々様の乳母の大蔵卿局が聞いて回っているそうです。それを聞いてわたしは、なんと失礼な!と腹が立ってたまりませんでした。
失わたしが城を采配してるのに、そんなことはさせませんよ。決して。
わたしはわたしなりに、鶴丸様を豊臣の跡継ぎとして大切に処遇しておりましたからね。
そんな茶々様の誤解を解くため、お手紙を書きました。

鶴丸様が病に伏せったことを知った秀吉は、奈良の興福寺に数多くの供え物を贈り、春日神社で鶴丸平癒の祈祷をさせました。
茶々様もろくに眠らず、食事もとらず、鶴丸様のそばで祈り続けているそうです。それに対して秀吉は一人、遠く離れた小田原でつらい思いをしています。わたしはそれが大そう切なかったです。
わたしがそばにいたら、秀吉の背中をさすり熱いお茶を飲ませ、手を握ってあげるのに、今はできません。
わたしは秀吉のため、鶴丸様のご無事を祈り続けました。

わたし達の願いが天に届いたのでしょう。
鶴丸様の熱は下がり、回復されました。
小田原から戻った秀吉は、聚楽第に茶々様と鶴丸様を呼びました。
みなの前で鶴丸様を抱きしめ

「おお、おお、よくがんばった。よく元気になった。
わしも、お前のためにがんばったぞ。共に戦ったのう。」
と、うれしそうに言い聞かせていました。
秀吉のこぼれそうな笑顔を見て、本当によかった・・・と、わたしもジンと胸が熱くなりました。
茶々様もさすがにうれしそうでしたよ。
いつもはすましたお顔をされていますが、この日ばかりは大輪の花が開いたような華やかな笑顔でした。
それは、それは、とてもお綺麗でした。

わたしは茶々様にお声をかけました。
「鶴丸君はすっかり快復し、元気になって本当によかったです。
豊臣の跡継ぎですから、気をつけて下さいね」

すると茶々様は顔をこわばらせ、きつい声で言いました。

「鶴丸が豊臣の跡継ぎであろうとなかろうと、わたしにとっては愛おしい我が子です。
我が子が元気で大切にいることが、母であるわたしの喜びで生きがいです。
ですから、もう秀吉様がどう命じてもわたしは鶴丸のそばを離れません。
母と言うものは、そういうものです」

「淀殿、秀吉の妻はわたくしです。
ですから秀吉の子は、わたしくの子でもあります」

「鶴丸はわたくしの子です。
わたくしと秀吉様の子です。
鶴丸が病の間、わたしも秀吉様も鶴丸と共に戦いました。
北政所様は、そうではなかったですよね?
でも、それでよいのです。
北政所様のお子では、ございませんから」

茶々様はわたしに向かってはっきり物申し、くるりと背中を向け立ち去って行きました。
事実をついたその言葉に、ショックを受けました。うつむいて唇を噛むわたしのそばに秀吉がやってきました。

「大丈夫か、寧々?」
申し訳なさそうな顔をした彼は、そっとわたしの手を握りました。
わたしはとっさに笑顔を作り、うなずきました。
仕方ありませんものね。
たしかに父母の気持ちで、一緒に戦っていないは事実です。
この時、わたしは茶々様に対するドロリとした黒い感情を感じました。
いえ、わたしはそれを以前から持っていたけど抑え込んでいたのでしょう。
その蓋が開き、自分の暗い感情を認めた時、わたしの子宮からこんな声が聞こえました。

「たかが、子どもを産んだくらいで偉そうにしないで」

そうだ、そうだ、とわたしは自分の子宮に手を当て、うなづきました。

そして立ち去った茶々様の背中に向け、念を送りました。

子どもを産んだのが、偉いのですか?
子どもがいなければ、いけないのですか?
子どもへの愛をダダ漏れにするのが、尊いのですか?

その念が届いたのかどうかわかりませんが、茶々様と鶴丸様は淀城に戻られた後、茶々様はわたしに会うのを避けるようになりました。秀吉は天下平定に向け忙しくなったので、あまり淀城に行けず、茶々様に手紙を書きご機嫌を取っていました。わたしは茶々様に会わずにいたら、心が波立たず平和でした。

年が改まった天正十九年、鶴丸様がまた熱を出して寝込んだ、と知らせが届きました。
秀吉は、日本国中の神社仏閣に鶴丸様平癒の祈祷をさせました。
そして前回、鶴丸が元気になったことを受け、春日神社に三百万石の寄進をし、祈祷をお願いいたしました。
お金を積んだ甲斐もあり、鶴丸様は回復しました。
ですが夏にまた病になったのです。
秀吉はまた全国の神社仏閣に祈祷をさせ、金に糸目をつけず春日神社に莫大な寄進をし、鶴丸様の平癒祈願をお願いしました。

巷からは
「秀吉は、金で我が子の命を買おうとしている」
という声が聞こえてきました。

わたしはその声に向かって言いたかったです。

「ええ、その通りですよ。
そのどこが悪いのですか?
お金はありますし、鶴丸様は秀吉の子ですよ(世間的には)。
だったらお金をかけてもらって、当然ではありませんか!」

秀吉は国中から名医と呼ばれる医者たちも集め、鶴丸様を診せました。
家来たちにも鶴丸の平癒祈願をさせました。
茶々様からはわたしにまで、鶴丸様平癒の祈りを願う手紙もやってきました。よほど切羽詰まっているのでしょう。
わたしも、もちろんです、と返事を書いて送りました。
そして書き加えました。

「お金のことなど気にしなくてもいいです。
世間に何を言われても、ほっておきましょう。
鶴丸様は大切な特別なお子ですから」
なんて偉いんでしょう、わたしは。

茶々様は真夜中に水をかぶり、震えながら鶴丸様の病平癒を祈っている、と聞きました。秀吉も東福寺でずっと鶴丸様の病平癒を祈っています。
わたしはこの城で、鶴丸様の病平癒を祈っています。
妻も愛人もみな同じ方向を向いて、心を一つにし願いを叶えようとしている、という現実が不謹慎かもしれませんが、ちょっとワクワクしました。変な話ですが、わたしは何だかこの状況を楽しんでおりました。
これもわたしが本当の母親ではないからでしょうね。
母親である茶々様に、そんな余裕はありませんからね。

けれど、今回わたし達の願いは天に届きませんでした。
病から三日後、鶴丸様は数え年で三つで、この世を去ったのです。


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