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「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第九話 「あきらめ」を明らかに改めたい

「あきらめ」を明らかに改めたい

眠れないまま朝を迎えた。布団にじっとこもったまま横を見ると、起き上がり手を伸ばせば届く距離に、家定様はいる。
が身体はそこにあっても、心は何億光年も離れている。
天を衝くほどに高い木々に囲まれ、道もない大きく深い森の中でたった一人取り残されたような、とてつもない寂しさが私を襲う。
これから私はどれだけの夜を、この大奥で過ごさなければならないのだろう?
なんの希望もない閉ざされたこの場所で、どんな生きがいを持って生きていけばいいのだろう?
一瞬だけ見えた私を待っている誰かのために、ここに来たというのに、
それは家定様ではないのだろうか?
もし家定様でないのなら、一体誰なのだろう?

両手で頭を抱え、自分の世界に入り込んでいた時だった。
「御台」
私を呼ぶ声がした。
どこから?と思い声をたどると、家定様がじっと私を見ていた。
「泣いておるのか?」
何の感情もない平坦な声で問われた。
「えっ?泣く?」
私は慌てて自分の目元をぬぐった。指に雫がついた。自分が涙を流していることに気づいていなかった。
「私、泣いていたんですね・・・・・・」
ぽつり、と言葉が布団に落ちた。
泣いている自分がショックだった。
「御台はこれまで、あまり泣いたことがないのであろうな」
「はい、兄上達に負かされ悔しくて泣いたことはございましたが、このような気持ちで泣いたことは、初めてでございます」
「このような、とは?」
「母親からはぐれ迷子になり、見知らぬ大きな森に迷い込み、一人ぽっちで寂しくて悲しくてたまらない気持ちです。
大奥は私にとって、見知らぬ大きな森です。
幾島や侍女達はおりますが、上様だけを頼りに参りました。
その家定様が私に心を閉ざしておられるのは、仕方のないことです。ですがとてもつらいです」
思い切って素直な気持ちを口にした。言い終えた後、家定様のご機嫌を損ねたかもしれない、と唇を噛んだ。
家定様は何も言わずじっと私を見つめたままだ。
言葉が私の真意かどうか、見定めているようにも見えた。

家定様の視線にひるんだが、この際だ!どうせ無視されるなら全部正直に話してしまおう、心を決め閉じた口を開いた。

「大奥は、たくさんの女達がいて花園のようです。
けれど、この花園で私はよそから植えられた花です。
誰も水をくれる人がいなければ、枯れてしまうでしょう。
ご縁を結んだ上様と心を通わせられないのなら、私はこれからの人生で何を生きがいにして生きていけばいいのか、と思うと泣けてきたのだと思います。
もともと島津の義父上が私を養女に望んだのは、上様のお察しの通り、一橋慶喜様を次の将軍にするためです。
けれど上様はそのような企みをすべてご存知でした。
でしたら私は何のために上様に嫁いできたのでしょう。
私は上様に何もできないのでしょうか?」

私は半分前のめりになり、一気に言いたい事を伝えた。だが家定様は昨日の夜と同じようにくるりと背中を向けた。

「何もできぬ。御台に何も期待しておらぬ。
大奥という花園で、朽ちていけばいい。私のようにな」

ゾッとするような冷たい声だった。心は震え、背筋は凍った。
「これから毎朝、徳川家先祖代々の位牌がある「御仏間」で礼拝するから、仕度をせい」

家定様はそう言い放つと、寝床を出て行った。
もう涙も流れなかった。
呆然とし絶望の淵に落とされた私を、幾島が引きずるように部屋に連れて帰った。

私は幾島の腕にすがりながら、ようやく歩くことができた。

「幾島、私はこれからどうすればいいのだろう?」

「何を弱気になっておられます!!
これから家定様の生母の本寿院様に乳母の歌橋様、御年寄の滝山様、そして家定様の側室のお志賀の方もご一緒に参ります。さぁ、早くお支度を!」

私の弱気を払うように、幾島は叱咤激励し背中を押す。幾島にせかされ、身支度を整えられたが、頭の中では家定様に言われた
「御台に何も期待しておらぬ。 大奥という花園で、朽ちていけばいい」
という言葉が、リフレインした。

やがて皆が揃い「御仏間」での礼拝を終えた。
家定様はやれやれ、とでも言うようにそそくさとその場を立ち去った。
私は本寿院様にご挨拶に行った。
本寿院様の部屋には、歌橋と御年寄の滝山も一緒にいた。
「本寿院様、お初にお目にかかります。篤子、と申します」
本寿院様は上から下までなめるようにわたしを見定めた。
「そうですか、よく参られた。
上様はこれまで二度のご結婚で、御台を亡くしています。
今度は健康な御台を、ということで、島津からご縁をもらいました。
あの通り、暗くて頑固な上に病弱じゃ。
うまくやれるわけもなかろうが、頼みましたよ」

私は伏していた顔を上げて、聞いた。

「あの、上様は幼き頃はどのようなお子様でしたか?」
「上様は、とても利発なお子様でした」
本寿院様に代わり、歌橋が告げた。
「人見知りは大層激しかったのですが、鳥がお好きでした。
よく鳥の名前を憶えては、教えて下さいました」
「上様は、鳥がお好きなのですね!
上様は何度も毒を飲まされ死にかけた、と申しておりました。
信じているものなど、誰一人おらぬとも」

歌橋の顔色がサッ、と変わった。
反対に本寿院様は、不自然なくらいに声を出して笑った。
「上様は何をおっしゃられる。
確かに命を狙われることはありました。
が、あの通り生きておられる。
信じているものが誰もおらぬ、などとよくもまぁ、ぬけぬけと。
せっかく将軍にしてやったのに、その言い草。
だから御台も次々亡くなるのじゃ。
本当に恩を仇で返すようなことを、言うものじゃな、歌橋。
そなたの入れ知恵か?」

本寿院様は隣にいる歌橋にあごを向け、目を細めにらみつけた。

「本寿院様、とんでもございません。
私の教育がなっておらず、大変申し訳ないことでございます」
歌橋はこちらが恐縮するほど身をかがめ、本寿院様に頭を下げていた。
「このような上様じゃ。
そなたも何かとやりにくいであろうが、仕方ない。
うまく合わせてやりなされ」

生母様にしては冷たいお言葉だ、私は嫌な気持ちになった。
本寿院様は家定様をお生みになり、ほとんど面倒を歌橋に見せていたそうだ。
私の母上と比べるのもおこがましいが、母上はいつも私の礼儀作法を厳しく教えながらも、あたたかい視線で見守っていてれくた。
そのあたたかさが本寿院様からは感じられかった。
大奥とは、親子の愛情でさえも育たぬ不毛な花園なのだろうか。

自分の部屋に戻り、つい幾島に話しかけた。

「のう、幾島、上様は、本当に孤独なのじゃな。
先ほど、本寿院様と話して良く分かった気がする。
母上があのような感じでは、上様はさみしい子ども時代を送ったのではないだろうか。
まだ歌橋の方が、上様に愛情をかけておられるように見えた。
子どもはいくつになっても、親に愛されたい、認められたいと望むものじゃ。
けれど、本寿院様はそのようなお気持ちを上様に持っておられぬように思った」

「それが大奥でございます。
先の将軍、家慶様はたくさんの側室と十四人の男子と十三人の女の子どもがおりました。
けれどほとんどが夭逝されました。
毒殺された、という噂もございます。
二十歳歳まで成長されたのは、家定様のみです。
誰もが自分の産んだ子を将軍にさせたいと望みます。
本寿院様もそうでしょう。
母親の愛情よりも自分の権力の道具として子どもを使ったのではないでしょうか。
その負い目から歌橋殿にすべて面倒を見させ手元でお育てにならなかったのではないでしょうか。
ここ大奥ではよくあることかと存じますが、さみしいことでありますね」

幾島はしみじみと言った。
子どもを産むことが、自分の権力の道具とはなんと悲しいことだろう。家定様の醒めた目つきを思い出した。
確かに私も権力の道具にはなっている。
けれど私は自分でそうなろう、と決めた。
自分の意志だ。
だがそうではなく生まれてきた意味が「道具」なら、なんと悲しい事だろう。

胸が苦しくなったその時、私は幾島から弾むような声で、今夜も家定様のお渡りがあることを知らされた。
また家定様にお会いできる!胸のつかえが取れ、そこに光が注いだ。
ほんの少しでもいい、心の距離を1ミリでも2ミリでも近づけたい、そのチャンスはある。私は思わず立ち上がった。
あきらめたくない。
あの方の心にある「あきらめ」を明らかに改めたい。
あきらめない!両足にぐっ、と力を入れ、踏ん張った。
あきらめが明らかに改まった時、光が見える。
私はこのまま朽ちてなんか、生きたくない。
私は私らしい生き方でこの場所を変えて行く。

そう決めて扉を開かせた。部屋にさぁ、と明るい光が差し込みすばらしい庭が見えた。見上げると澄んだ青い空を鳥が飛んでいた。
鳥は自由だ。
どこへでも飛んでいける。
だが・・・翼はなくても飛ぶことはできる。
心に翼をつければいい。
心は自由だからだ。
どこへでも飛んでいける。

私はそれを家定様に伝えたい!と思った。
空を見上げ空に向かい、手を挙げ背伸びをした。
「御台様!はしたのうございます!!」
幾島が声を上げた。
その声を聞き流し、私はなおも大きく背伸びをし手をのばした。

なんといい気持ちだろう。そして深呼吸をした。

体中に新鮮な空気と勇気が入ってきた。

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運命を開き、天命を叶えるガイドブック

あなたは、何かあきらめていることはありませんか?

どうしてあきらめたのでしょう?

一度、明らかに改めてみましょう。

ほんとうにそれ、あきらめられますか?

あきらめて、いいのですか?



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