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最期のときー認知症は「ロンググッバイ」

死ぬということ、その場面のことを、これを読んでいらっしゃる方は、どうイメージされていらしゃいますでしょうか?

さだまさしさんの曲のように、死ぬ間際に妻に向かって「お前のおかげで良い人生だった」と言い残して、家族に囲まれながら亡くなる、とか。映画やドラマのように、何かを言い残して、ガクッと死んでいく。とか。

以前の私は、そんなふうにイメージしていました。しかし実際、認知症になってしまった方は、そもそも話をするのが難しいですし、だいたいの方は、死ぬ時に言葉を発する力もないのが現実でした。

私の大好きだった伯父は、珍しく認知症もなく、亡くなる前日まで話が出来たのですが、私が一番伝えたかったことー伯父の存在が、私にとってとても心の支えになっていたことーを伝えられず、明日には絶対伝えよう。と思っていたのに、その時間もなく逝ってしまいました。「個室に移動する」ということの意味を、もっと早く知っておけば、と今でも少し悔やまれます。

伯父は亡くなる前日に言っていました。「耳だけは聞こえる。でも、はっきり言ってもらわないと、よく聞こえないんだ。だから大きな声で話してくれ。俺は声を出すのが、もう辛いんだ。」と。

伯父の話や実際の現場をみていると、亡くなる直前まで、本当に耳は聞こえているようです。でも、「その時」には、声をだそうとしても、もう言葉にならない。という状態と思われます。

それを考えると、親が認知症になり始めたら、理解できるうちに自分を産んでくれた感謝などを伝える。また、急激に体調悪化があるかも知れない時には、早めに「伝えたいこと」を伝えておく方が良いのかも知れません。

認知症のことを「ロング・グッドバイ」とも言うそうです。認知症の方と実際生活していらっしゃる方、介護をされていらっしゃる方は、なかなか心の余裕がないかも知れませんが、そう考えてみると、ちょっと心に余裕ができるかも知れませんね。


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