【童心の記憶】
流れの早い水路たちはこのためにあったのか。
佐久穂町では今、町中の田んぼに水が張られて、お田植えが始まっています。
どこに行っても田んぼの匂い。カエルの声。
ん?この匂い…
なんか懐かしいぞ…?
私が生まれた尼崎市武庫之荘でも昭和50年代当時、
住んでいたマンションは田んぼに囲まれていました。
田んぼにおたまじゃくしがいないか覗くのが楽しくて、
覗きこみすぎてそのまま田んぼにドボンして血まみれになった子どもは私ですw
(深い田んぼだった)
その後引越した名古屋市有松町でも1980年代当時はまだ田舎で、
よもぎやつくし…
道に生えてる草が宝物のようにキラキラ光って見えた春。
草餅にするんだと嬉しそうに摘み集める大人たちを見て、一緒にワクワクしたものだ…
…ということを、ここ佐久穂で思い出しました。
しかし、小学2年に上がる春に川崎市へ引越し…
田んぼなんて全くなかったし、
よもぎもつくしもどこかにもしかしたら生えてたのかもしれないけど、
そこここにわさわさと生えてるのは見たことない。
地面=コンクリートの世界。
以来、春のあのワクワク感をそんなに感じることなく大人になっていたんだ。
…ということに今、気づきました。
小2で寸断されてしまった私の春。
薄々、そんな気はしていたのだけれど、
あ〜、私は、あの春のその先をもっと、本当はあのままずっと感じて生きていきたかったのかもしれない。
あの生命力が空気中に溢れるあの感じ。
佐久穂に暮らす日々で、あの頃の記憶が一気に蘇りました。
だからか…
だから私は潜在的に田舎暮らしを求めたのかもしれません。
自分が叶えられなかった人生を子どもに託すような親にはなりたくないのだけれど、
息子と一緒に春のこの感じ。
また感じることができる日々を過ごせて幸せです。
母さんの希望の道連れにしてごめんよ。息子。
一緒にいてくれてありがとう。
(ということは逆にだ、息子は将来都会を恋しがるかもしれないな…ってことを覚悟とこう)
藤と茂来山
逆さ茂来
ふるさと迷子だったんだな。私。
ふるさとを再び。
ここで、自然の当たり前に合わせる暮らしの中で、親子で生きていってみたいと思います。
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